福島ユナイテッドFCとは、福島市、会津若松市、伊達市、国見町、 桑折町、川俣町を中心とする福島県全県を本拠地とする、Jリーグ所属のサッカークラブ及びそのトップチームである。
概要
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2002年にJリーグ入会を目指すサッカーチームを作るため「福島夢集団」を結成し、2004年に「福島夢集団JUNKERS(ユンカース)」を設立。2006年にFCペラーダ福島の運営を譲り受け、東北リーグ2部に参戦。2008年に現在のチーム名に改称し、その後、東日本大震災による存続の危機を乗り越えて、2014年に悲願のJリーグ入りを実現した。
ユナイテッドのチーム名は、チーム・選手・スタッフ・サポーター、そして福島が“ひとつ”となり、福島の発展・活性化のために活動していくことを表現している。
エンブレムは、チームの力強さと、クラブ・サポーター・市民が"ひとつ"になって夢を叶え、そして戦っていくイメージを表現。「未来に続いていくクラブの活動」を象徴するフェニックスが王冠を被り、福島県の地図が描かれたボールを掴んでいる。
歴史
『福島県からJリーグ入り』を目指して立ち上がったものの…
2002年4月、エフエム福島のアナウンサーだった横田篤が福島からJリーグを目指す団体として「福島夢集団」を創設。2004年4月に「福島夢集団JUNKERS(ユンカース)」を設立。しかし横田がJリーグ入りを目指して団体を立ち上げた当初、周囲の目線は冷ややかだった。
というのも、その理由は、かつて福島県にJリーグ入り目前だったサッカークラブが一つだけ存在していた時代にまで遡る。
その名は「福島FC」…福島県郡山市を本拠地に置いていた、福島県教育委員会直属のサッカーチーム「福島教員サッカー部」を前身とするクラブであった。
しかしホームスタジアムとなる郡山総合運動場開成山陸上競技場や郡山市営西部サッカー場の改修や、何よりチームに対する財政支援の目処が立たなかったことから、1997年シーズンの旧JFLを最後に解散してしまった。
(なお、その前年の1996年シーズンに天皇杯にてジュビロ磐田に勝利したりするなど実力は十分にあった。)
周囲の目線が冷ややかだったのはこれが原因と言える。
だが、それでも横田は前向きに活動し、福島夢集団ユンカースを立ち上げ、トップチームを自前で作り、2005年に福島県リーグ3部西ブロックに参入。2006年には2部を制して1部への昇格を決める。
この2006年の12月に、当時東北リーグ2部南で活動していたFCペラーダ福島の代表が、福島夢集団ユンカースの活動に感銘を受け、なんとFCペラーダ福島の運営譲渡を申し出た。FCペラーダ福島からの運営譲渡の申し出を引き受けた福島夢集団ユンカースは2007年、FCペラーダ福島のチームをトップチームに、福島夢集団ユンカースのチームをサテライトチームとした。なお、この2007年当時のFCペラーダ福島に、2012年シーズンの躍進の立役者である時崎悠が、選手兼任監督として水戸ホーリーホックから移籍している。
『福島ユナイテッドFC』誕生、そして荒波の日々…
そして2008年、クラブは現名称へと改称する。この年の東北リーグ2部南では全勝優勝し、2部北優勝クラブの盛岡ゼブラとの対決を制して、2部優勝クラブとなり1部へ昇格する。またこの年には、旧・福島夢集団ユンカースであったサテライトチームが、「FCシャイネン福島」というクラブとして独立している。
ただ、JFL昇格まで決して順風満帆というわけではなかった。
2008年シーズン、ライバルクラブのビアンコーネ福島の監督だった斉藤誠を招聘したが、成績とは裏腹にチームをまとめることが出来ず、全国社会人サッカー選手権大会東北予選での敗退を契機に途中解任、再び時崎悠を選手兼任監督とする。
さらに所属するプロ契約選手が相手を負傷させる交通事故を起こしてしまい、横田はクラブとしてどうするかは迷ったが、「地域の人への信頼」を考え、クラブ自ら公表した上でクラブとしても責任を負うことを決めた。
2009年は1部リーグでのライバル、岩手県盛岡市の「グルージャ盛岡」との優勝争いに敗れ2位となる。一方、福島県代表として出場した天皇杯では、2回戦で当時J2のセレッソ大阪に競り勝ち、福島ユナイテッドFCとして初めて全国リーグのクラブに対する下克上をやってのける。しかしながら、この時の監督であった石田学はシーズン終了後に退任した。
引き続き東北リーグ1部に参戦することとなった2010年、新しい監督として、『昇格請負人』と言われた手塚聡が就任。しかしシーズン途中に緊急非常宣言を出し、クラブ運営が危ういことを公表、県内全体からの支援を訴える。この年もリーグ戦は2位であったものの、全国社会人サッカー選手権大会にて4位となり、全国地域サッカーリーグ決勝大会への出場権を獲得した(他の1~3位のチームは既にリーグ戦にて優勝し、出場権を獲得していたため)。だが、予選リーグで3位となり、二度目の東北リーグ1部残留となった。そして、来シーズンからクラブを新しい運営会社に移管することと、クラブ創設者であった横田篤の代表退任が発表された。
2011年の心機一転から2012年の大躍進、そしてJFLの舞台へ…
2011年、福島県財界が中心となって設立した運営会社「AC福島ユナイテッド」にクラブは移管される。また、手塚監督続投の下、三度目の東北リーグ1部となる。が、シーズン開幕前の矢先に、東日本大震災が起こる。また関連して起きた原発事故の影響から、多くの選手が退団してしまう。そのためコーチ専任だった人間を急遽選手として復帰させざるを得なかった。そんな中でも、リーグ戦では悲願の優勝を達成する…ものの、全国地域サッカーリーグ決勝大会ではまたしても予選リーグで敗退する。この年を持って、手塚は監督を退任した。また、時崎悠が選手を引退し、翌年2012年から監督に就任することが決定する。
2012年、再び時崎悠が監督となる。このシーズン、クラブは全12節中11勝1敗という成績で2度目の東北リーグ1部優勝を果たす。一方、天皇杯では、セレッソ大阪、横浜F・マリノス、ソニー仙台FC、ジュビロ磐田という全国リーグで活躍するクラブとの対戦が活きてきたのか、2回戦で当時J2のヴァンフォーレ甲府を、3回戦で当時J1のアルビレックス新潟に勝つという、Jリーグ開幕以降史上初めて公式戦でJリーグ勢から連続で勝利した地域リーグクラブとなった。
そして3度目の全国地域サッカーリーグ決勝大会、ついに念願の決勝ラウンドに進出し、ノルブリッツ北海道にPK勝ち、ファジアーノ岡山ネクストに圧勝して、念願のJFL昇格を内定させる。最終的にS.C.相模原に0-1と負けて準優勝の成績を収めた。同年12月5日、FC町田ゼア、S.C.相模原と共に、JFL臨時理事会にてJFL入会が承認され、晴れてJFL昇格が決定した。
2013年、JFL加入後の初戦に、J2から降格してきたばかりのFC町田ゼルビアを1-0で破る活躍を見せるも、最終的には下位での戦いになり、8勝10分16敗の18チーム中14位。
また9月にJリーグ準加盟が認められ、10月にはJ3ライセンスも支給された。そして11月に正式発表されたJ3初年度参加チームにも無事に名を連ねることになった。
J3へ。挑戦はまだまだ続く。
J3は初年度の2014年、監督に栗原圭介が就任。守備はともかく得点力の無さが響き、リーグ戦は13チーム中7位。
2015年は福島市出身の茂木弘人が神戸から加入。結果は前年と同じ13チーム中7位。
2016年は16チーム中14位と低迷。シーズン終了後、栗原圭介が監督を退任。
2017年から大分、清水で指導歴のある田坂和昭が監督に就任。”密集”をコンセプトにしたパスサッカーを志向するチーム作りを行う。開幕4連勝と好スタートを切るも、6月に入り4連敗を喫するなど失速。守備では成果をみせるも、得点力不足が課題となり、17チーム中10位。
2018年も引き分けが多いものの、第7節から12試合無敗を記録し、前半戦を5位で折り返す。しかし後半戦はわずか3勝しかできず、17チーム中12位。シーズン終了後、田坂和昭が栃木SCの監督に就任。
2019年、監督に元INAC神戸レオネッサ、鳥取などで指導歴のある松田岳夫が就任。監督に元INAC神戸レオネッサ、鳥取などで指導歴のある松田岳夫が就任。武颯が15ゴールを挙げて得点ランキング4位に入り、夏のイスマイラの加入もあって過大<だった得点力がアップするが失点も増え、18チーム中11位といつも通りの位置に落ち着く。
6月4日付で増資を行い、東洋ワーク(仙台市青葉区)の子会社(保有割合:53.5%)となることが発表される。
2020年はイスマイラ13ゴールを挙げて得点ランキング4位に入るも、18チーム中13位と低迷。
2021年は時崎悠が2013年以来となる監督復帰。リーグ戦は一時2位に立つなど中盤以降上位をキープ。得点源の7月にイスマイラが京都へ移籍したが、樋口寛規が9ゴールを挙げて穴を埋める。最終的には過去最高の5位となる。J3での一桁順位は初。
2022年、時崎悠が栃木SCの監督に就任したため、前年までジュビロ磐田のヘッドコーチを務めた服部年宏が監督に就任。丁寧にビルドアップするスタイルを模索し、序盤は首位に立ったが、若い選手が多いためミスが目立ち、最終的には11位に終わる。
3月にホームタウンをこれまで福島市、会津若松市に加えて、伊達市、国見町、桑折町、川俣町を中心とする全県となった。
6月30日までに、ホームスタジアムのJ2基準を充足する工事を行うことを前提とした特例規定を適用したJ2ライセンス申請を行い、10月25日にJ2クラブライセンスを取得した。
2023年も開幕3連敗と厳しいスタートとなると、その後もチームは低迷。7月の2試合でいずれも大敗し18位と低迷したことで服部監督は事実上の解任となり、ヘッドコーチの依田光正が後任となる。監督交代後は8試合無敗で3連勝も記録するなど調子を上げたが、勝ち切れない試合が目立った。結局一度も一桁順位に上昇することないまま15位で終える。
2024年は川崎フロンターレでコーチを務めていた寺田周平が監督に就任。開幕当初は苦戦していたが、第11節の岩手戦で9-0という記録的な大勝を飾ったのを皮切りに勢い付き、破竹の4連勝で一気に上位争いへと浮上。寺田監督の掲げる攻撃的なパスサッカーも浸透するようになり、6位以内の昇格プレーオフ争いを繰り広げる。第19節からの3連敗で一時は順位を落としたが、中断期間を経て再び勝ち点を積み重ねて追い上げるようになり、第30節で6位に再浮上。ラスト3試合で3連勝を飾り、最終節でJ2昇格プレーオフ進出が決定。最終的にFC大阪を抜いて5位となる。
プレーオフ準決勝では4位松本山雅と対戦するが、1-1の引き分けに終わり、規定により敗退となった。
主なタイトル
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | 寺田周平 | 1975.6.23 | 2024 | 川崎フロンターレ コーチ | 【新】 | |
1 | GK | 吉丸絢梓 | 1996.3.27 | 2024 | ギラヴァンツ北九州 | 【完】 | |
2 | DF | 山田将之 | 1996.3.27 | 2024 | ギラヴァンツ北九州 | 【完】 | |
3 | DF | 松長根悠仁 | 2004.9.12 | 2024 | 川崎フロンターレ | 【レ】 | |
5 | MF | 大森博 | 2002.9.10 | 2022 | 徳島ヴォルティス | 【レ】 | |
6 | MF | 秋山陽介 | 1995.4.13 | 2024 | ベガルタ仙台 | 【完】 | |
7 | FW | 塩浜遼 | 2000.5.27 | 2023 | 順天堂大学 | ||
8 | MF | 吉永大志 | 1996.10.14 | 2019 | 日本大学 | ||
9 | FW | 澤上竜二 | 1993.10.8 | 2023 | ガイナーレ鳥取 | ||
10 | MF | 森晃太 | 1997.6.13 | 2021 | レノファ山口FC | ||
11 | FW | 長野星輝 | 2002.5.22 | 2021 | 東福岡高校 | 【H】 | |
13 | MF | 宮崎智彦 | 1986.11.21 | 2023 | レノファ山口FC | ||
14 | MF | 大関友翔 | 2005.2.6 | 2024 | 川崎フロンターレ | 【レ】 | |
15 | DF | 森璃太 | 2001.8.19 | 2024 | アルビレックス新潟 | 【レ】 | |
17 | MF | 針谷岳晃 | 1998.10.15 | 2024 | ジュビロ磐田 | 【完】 | |
18 | FW | 矢島輝一 | 1995.4.6 | 2024 | 大宮アルディージャ | 【完】 | |
19 | FW | 清水一雅 | 2001.8.2 | 2024 | びわこ成蹊スポーツ大学 | 【卒】 | |
20 | FW | 城定幹大 | 2001.2.25 | 2023 | 産業能率大学 | ||
22 | GK | 山本海人(C) | 1996.6.9 | 2019 | 立正大学 | ||
24 | DF | 宝納拓斗 | 2004.6.27 | 2023 | 佐賀東高校 | ||
27 | DF | 野末学 | 2000.5.30 | 2023 | 関東学院大学 | ||
28 | DF | 鈴直樹 | 2000.4.13 | 2023 | 青山学院大学 | ||
30 | MF | 加藤匠人 | 1999.5.9 | 2024 | 柏レイソル | 【レ】 | |
31 | GK | 安西駿 | 2000.5.1 | 2024 | 福井ユナイテッドFC | 【復】 | |
38 | MF | 粟野健翔 | 2001.1.5 | 2022 | 仙台大学 | ||
39 | GK | 中川真 | 2001.9.10 | 2024 | 法政大学 | 【卒】 | |
40 | FW | 樋口寛規 | 1992.4.16 | 2016 | SC相模原 | ||
41 | MF | 上畑佑平士 | 1998.7.25 | 2021 | 産業能率大学 | ||
43 | MF | 長﨑豊 | 2007.2.26 | 2024 | アルビレックス新潟U-15 | 【2】 | |
44 | MF | 廣瀬英斗 | 2007.2.26 | 2024 | 福島ユナイテッドFC U-15 | 【2】 | |
45 | DF | 齋藤碧 | 2006.9.4 | 2024 | 福島ユナイテッドFC U-15 | 【2】 | |
50 | DF | 酒井匠 | 1998.6.25 | 2024 | ロアッソ熊本 | 【レ】 | |
55 | DF | 柴田徹 | 2001.2.18 | 2024 | 湘南ベルマーレ | 【レ】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属したおもな選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
齋藤誠 | 2008年~2008年9月 | ||
時崎悠 | 2008年9月~12月 | ・選手兼任監督代行 ・東北2部優勝&1部昇格(2008年) |
|
石田学 | 2009年 | ||
手塚聡 | 2010年~2011年 | 東北1部優勝(2011年) | |
時崎悠 | 2012年~2013年 | ・東北1部優勝(2012年) ・JFL昇格(2012年) |
|
栗原圭介 | 2014年~2016年 | J3参入(2014年) | |
田坂和昭 | 2017年~2018年 | ||
松田岳夫 | 2019年~2020年 | ||
時崎悠 | 2021年 | ||
服部年宏 | 2022年~2023年7月 | ||
依田光正 | 2023年7月~12月 | ||
寺田周平 | 2024年~ |
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