福島ユナイテッドFC単語

フクシマユナイテッドエフシー
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福島ユナイテッドFCとは、福島県福島市を本拠地とする、J3リーグ所属のサッカークラブ及びそのトップチームである。

概要

日本プロサッカーリーグ
福島ユナイテッドFC
基本情報
創設年 1977年
クラブカラー ユナテッドレッド
ユナテッドブラック
ユナテッドイエロー
ホーム
スタジアム
福島市信夫ヶ丘競技場[福島市]
福島県営あづま陸上競技場[福島市]
ホームタウン 福島県福島市
前身 FCラー福島
サッカークラブテンプレート

トップチーム1977年に創設。Jリーグ昇格をすべく設立されたサッカークラブ福島夢集団ユンカース」の新しいトップチームとして吸収されるまで「FCラー福島」のチーム名で活動していた。

一方、福島夢集団ユンカースは、エフエム福島アナウンサーだった横田篤が中心となって2004年に創設されている。(なお、横田福島県初のJリーグクラブ誕生に向けて活動したそれ以前の歴史については、当クラブWikipedia記事を参照のこと。)

『福島県からJリーグ入り』を目指して立ち上がったものの…

横田Jリーグ入りをして団体を立ち上げた当初、周囲の線は冷ややかだった。

というのも、その理由は、かつて福島県Jリーグ入り前だったサッカークラブが一つだけ存在していた時代にまで遡る。
その名は「福島FC」…福島県を本拠地に置いていた、福島県教育委員会直属のサッカーチーム福島教員サッカー部」を前身とするクラブであった。
しかしホームスタジアムとなる山総合運動場開成山陸上競技場や西部サッカー場の修や、何よりチームに対する財政支援処が立たなかったことから、1997年シーズンの旧JFLを最後に解散してしまった。
(なお、その前年の1996年シーズン天皇杯にてジュビロ磐田勝利したりするなど実は十分にあった。)
周囲の線が冷ややかだったのはこれが原因と言える。

だが、それでも横田は前向きに活動し、福島夢集団ユンカースを立ち上げ、トップチームを自前で作り、2005年福島県リーグ3部西ブロックに参入。2006年には2部を制して1部への昇格を決める。

この2006年12月に、当時東北リーグ2部南で活動していたFCラー福島の代表が、福島夢集団ユンカースの活動に感銘を受け、なんとFCラー福島運営譲渡を申し出た。FCラー福島からの運営譲渡の申し出を引き受けた福島夢集団ユンカースは2007年FCラー福島チームトップチームに、福島夢集団ユンカースのチームサテライトチームとした。なお、この2007年当時のFCラー福島に、2012年シーズンの躍進の立役者である時崎が、選手兼任監督として水戸ホーリーホックから移籍している。

『福島ユナイテッドFC』誕生、そして荒波の日々…

そして2008年クラブは現名称へと称する。この年の東北リーグ2部南では全勝優勝し、2部北優勝クラブ盛岡ゼブラとの対決を制して、2部優勝クラブとなり1部へ昇格する。またこの年には、旧・福島夢集団ユンカースであったサテライトチームが、「FCシャイネ福島」というクラブとして独立している。

ただ、JFL昇格まで決して順満帆というわけではなかった。
2008年シーズンライバルクラブビアンコーネ福島監督だった斉藤を招聘したが、成績とは裏チームをまとめることが出来ず、全社会人サッカー選手権大会東北予選での敗退を契機に途中解任、再び時崎を選手兼任監督とする。
さらに所属するプロ契約選手が相手を負傷させる交通事故を起こしてしまい、横田クラブとしてどうするかは迷ったが、「地域の人への信頼」を考え、クラブ自ら表した上でクラブとしても責任を負うことを決めた。

2009年は1部リーグでのライバル岩手県盛岡市の「グルージャ盛岡」との優勝争いに敗れ2位となる。一方、福島県代表として出場した天皇杯では、2回戦で当時J2セレッソ大阪に競り勝ち、福島ユナイテッドFCとして初めて全リーグクラブに対する下克上をやってのける。しかしながら、この時の監督であった石田学はシーズン終了後に退任した。

引き続き東北リーグ1部に参戦することとなった2010年、新しい監督として、『昇格請負人』と言われた手塚聡が就任。しかしシーズン途中に緊急非常宣言を出し、クラブ運営が危ういことを表、県内全体からの支援を訴える。この年もリーグ戦は2位であったものの、全社会人サッカー選手権大会にて4位となり、全国地域サッカーリーグ決勝大会への出場権を獲得した(他の1~3位のチームは既にリーグ戦にて優勝し、出場権を獲得していたため)。だが、予選リーグで3位となり、二度東北リーグ1部残留となった。そして、来シーズンからクラブを新しい運営会社に移管することと、クラブ創設者であった横田篤の代表退任が発表された。

2011年の心機一転から2012年の大躍進、そしてJFLの舞台へ…

2011年福島県財界が中心となって設立した運営会社「AC福島ユナイテッド」にクラブは移管される。また、手塚監督続投の下、三度東北リーグ1部となる。が、シーズン開幕前の矢先に、東日本大震災が起こる。また関連して起きた原発事故の影から、多くの選手が退団してしまう。そのためコーチ専任だった人間を急遽選手として復帰させざるを得なかった。そんな中でも、リーグ戦では悲願の優勝を達成する…ものの、全国地域サッカーリーグ決勝大会ではまたしても予選リーグで敗退する。この年を持って、手塚監督を退任した。また、時崎が選手を引退し、翌年2012年から監督に就任することが決定する。

2012年、再び時崎監督となる。このシーズンクラブは全12節中11勝1敗という成績で2度東北リーグ1部優勝を果たす。一方、天皇杯では、セレッソ大阪横浜F・マリノスソニー仙台FCジュビロ磐田という全リーグで活躍するクラブとの対戦が活きてきたのか、2回戦で当時J2ヴァンフォーレ甲府を、3回戦で当時J1アルビレックス新潟に勝つという、Jリーグ開幕以降史上初めて公式戦でJリーグ勢から連続で勝利した地域リーグクラブとなった。
そして3度全国地域サッカーリーグ決勝大会、ついに念願の決勝ラウンドに進出し、ノルブリッツ北海道にPK勝ち、ファジアーノ岡山ネクストに圧勝して、念願のJFL昇格を内定させる。最終的にS.C.相模原に0-1と負けて準優勝の成績を収めた。同年12月5日FC町田ゼルビアS.C.相模原と共に、JFL臨時理事会にてJFL入会が承認され、晴れJFL昇格が決定した。

2013年JFL加入後の初戦に、J2から降格してきたばかりのFC町田ゼルビアを1-0で破る活躍を見せるも、最終的には下位での戦いになり、8勝10分16敗の18チーム中14位。
また9月Jリーグ準加盟が認められ、10月にはJ3ライセンスも支給された。そして11月に正式発表されたJ3初年度参加チームにも事に名を連ねることになった。

万丈を乗り越え、JFLへ、そしてJ3へ昇格を果たした福島ユナイテッドFC。挑戦はまだまだ続く。

関連動画

関連商品

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関連項目

クラブ公式サイト

福島ユナイテッドFC 公式ウェブサイトexit

関連サイト

参考文献

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スマホ版URL:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89fc

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1 記事作成主
2012/12/30(日) 18:43:46 ID: AZqASet/8W
時崎監督の名前を記事内で常にフルネームで書いたのは、実の時崎塁選手がこのクラブに所属しているからです。

あと記事内には書いていませんが、スポーツ雑誌『Number PLUS』にてこのクラブが取り上げられた際、
2011年事故で県外を転々としていた際にスタッフが県外の人から
お前ら放射能を持ち込んでくるな!」と言われたと書かれてあったのを読んだ時はショックを受けました。
2 ななしのよっしん
2016/06/11(土) 20:29:07 ID: 2cGBzhZr0y
設立が2011年2月1日3.11なのな……