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福留孝介(ふくどめ こうすけ、1977年4月26日-)とは、鹿児島県出身の元プロ野球選手(外野手)である。
経歴
OB | |
---|---|
福留孝介 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県曽於郡大崎町 |
生年月日 | 1977年4月26日 |
身長 体重 |
182cm 92kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1998年ドラフト1位 |
引退 | 2022年 |
経歴 | |
選手歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 1996年、2004年 |
WBC | 2006年、2009年 |
プロ野球選手テンプレート |
立浪和義に憧れ、PL高校時代は中日ドラゴンズか読売ジャイアンツ(巨人)を志望するも叶わず、近鉄バファローズからの指名を拒否して日本生命へ入社。アトランタ五輪に出場し、銀メダル獲得に貢献した。
中日時代
1999年(1年目)は打率.286の15本塁打とまずまずの成績を残したが、三振数がリーグトップと粗さも目立った。
加えて守備(当時は遊撃手)に難があり、試合後半は守備交代させられるケースが多かった。
2002年、内野守備の不安から山田久志監督の方針により外野手にコンバートされ、打撃フォームも大幅改造。これらが功を奏し、打っては.343で首位打者を獲得して松井秀喜(当時:読売ジャイアンツ)の三冠王を阻止、守っては強肩・好守を連発、打撃・守備共に目覚ましい成長を遂げ、球界を代表する外野手となった。
2003年も打撃好調は続き、2年連続の三割到達に加え34本塁打を記録した。
6月8日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)では1度目のサイクルヒットを達成した。
2006年WBCでは極度の打撃不振(2次リーグ終了時点で19打数2安打)に陥ったが、準決勝・決勝と代打で大活躍。
そして勢いそのままにペナントでは打率3割、30本、100打点、100得点を達成。
チームの優勝に貢献し、セ・リーグMVPを獲得した。
2007年シーズン・オフにFA宣言。MLBのシカゴ・カブスと契約し、念願のメジャーへ移籍した。
MLB時代
2008年のシーズン序盤は大きな活躍を見せたが、後半は打撃不振に陥り平凡な成績に終わった。
2009年も開幕こそ好調だったものの失速。慣れない中堅守備にも苦しんだ。
2010年も開幕の好調が続かず失速。好不調の波が激しかったことが災いして3年目で初めて規定打席に到達できなかった。
2011年もやはり序盤は好調だったが、失速。7月下旬にトレードでクリーブランド・インディアンスに移籍したが、オフにFAとなる。
2012年2月14日にシカゴ・ホワイトソックスと1年契約を結んだが、6月に戦力外通告を受けた。その後7月にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだが、メジャー昇格はならず、9月3日に再び戦力外通告を受けた。
メジャーではもうひとつこれといった結果を残せなかったが、選球眼は良く、ISODは3年連続で.100を越えていた。
2012年オフ、横浜DeNAベイスターズとの争奪戦の末、阪神タイガースに入団。背番号8。
阪神時代
2013年は相次ぐ故障によりわずか63試合の出場に留まり、打率は何と2割を下回った。福留獲得競争に敗れたベイスターズが代わりに獲得したナイジャー・モーガンが活躍したこともあって、ベイスターズファンの溜飲を下げる結果となった(しかし、モーガンはオフに解雇された)。
2014年は、開幕三試合目(3月30日)の巨人戦の守備中、セカンドの西岡剛と衝突するというアクシデントに見舞われる。西岡は前年ベストナインに選ばれるほどの大活躍をし、この怪我のせいで長期離脱を強いられたため、福留は阪神ファンから「お前が怪我すれば良かったのに!」と罵倒される結果となってしまった。
ただ、不振による二軍落ちで打撃を改造し、後半戦はやや成績が持ち直した。7月22日の巨人戦で延長12回裏2死からサヨナラ本塁打を放ったり、クライマックスシリーズでカープの前田健太からホームランを放ち、ファーストシリーズ突破に貢献したりしている。
2015年は、突如として打撃が復活した。昨年までは打てなくても守備で貢献することは多く、「守備の人」として消極的にスタメン起用を歓迎する向きはあったが、最終的に打率リーグ8位(チーム2位)、本塁打リーグ5位(チームトップ)、打点リーグ4位(チームトップ)という好成績を残すとは、開幕時点では誰も信じていなかっただろう。この活躍が評価され、自身9年振りとなるゴールデングラブ賞とベストナインを受賞した。
2016年、NPB通算1499安打、日米通算1996安打で迎えた6月20日のオリックス・バファローズとの交流戦において、第1打席に二塁打を放ち、NPB通算1500本安打を達成した。続く第2打席にも安打を放ちダブル達成が期待されたが、第3打席、第4打席と勝負してもらえなかった。
リーグ戦が再開した24日の広島戦はノーヒットに終わるが、25日は第二打席に二塁打を放ち、リーチを掛ける。そして続く第3打席にセカンドへの内野安打を放ち、日米通算2000本安打を達成した。
7月30日の中日戦(甲子園)では、二回裏の先頭打者として打席に入ると、先発の吉見一起から先制のソロホームラン(5号)を放つ。続く打席でもシングルヒット、タイムリースリーベースを記録し、6回裏に二死満塁で打席が回ってくると山井大介からタイムリーツーベースを放ち、13年ぶり2度目のサイクルヒットを達成した。39歳3ヶ月での達成は最年長記録であった。
40歳を迎え、またキャプテンにも就任して迎えるシーズンとなった2017年はレフトを守ったり、休養しながらの出場が増え、打率も前年より大幅に落とす結果となったが、休養明けのゲームで本塁打、決勝打を数多く放ち、チームの2位進出に貢献した。
2018年はシーズン開始当初はウィリン・ロサリオ出場時は3番、欠場時は4番として起用されたが、ロサリオが不振で打順を下げられてからは4番を糸井嘉男が打つ形となり、自身は休養を挟みつつも、出場時は概ね3番に固定されることとなった。4月13日の東京ヤクルトスワローズ戦において日米通算300号本塁打、6月14日の北海道日本ハムファイターズ戦でホームランを記録し、全球団から本塁打を達成した。
2019年は両ふくらはぎの負傷で104試合の出場に留まり、契約更改では「4番の大山を助けられなかった」と振り返った。福浦和也の引退により、現役最年長選手となった。
2020年は深刻な打撃不振で出場機会が大きく減少。さらに9月にチームの内規に違反する人数での会食に参加し新型コロナウイルスの集団感染を起こしてしまい、自身も濃厚接触者に認定。登録抹消となり、球団から制裁金を課された。結局そのまま一軍に戻ることなく、来季の構想外を告げられ阪神を退団。
第2次中日時代
2020年オフ、14年ぶりに中日ドラゴンズに復帰した。背番号9。なお応援団変更を挟んでいるため応援歌も作り直された。
2021年はキャンプこそ二軍で迎えたが、伸び悩む若竜を尻目に格の違いを見せつけ3月に一軍昇格。オープン戦では12球団唯一となる代打ホームランを記録する。開幕戦では代打で出場し、四球を選んだが、この打席で日米通算10000打席を達成した。8月27日の巨人戦では通算1000四球を達成した。91試合の出場で打率.218、4本塁打、18打点だった。
2022年は開幕から25打席・20打数連続で当たりが出ず。26打席目にしてやっと初ヒットを記録したが、若手を差し置いて優先的に代打起用され続けたため、監督となっていた立浪共々批判を集め、6月初旬に無期限で二軍降格となった。以後二軍でも出場機会は減少し、9月8日に現役引退を表明した。
引退後
エピソード
- 中学時代、当時PL学園で活躍していた立浪に憧れをもっていた。立浪のサインやバットもあるという。
- 高校時代は通算本塁打40本を放ち、高校No.1スラッガーとして名を馳せた。
そのため1995年のドラフト会議では7球団が福留を1位指名するという異例の事態に(ちなみに交渉権を獲得したのは近鉄バファローズ。詳細は「佐々木恭介」の記事も参照。なお、佐々木は2002年の福留の覚醒の立役者ともいえる人物でもある)。 - 日本生命時代はアトランタオリンピックの野球日本代表に史上最年少の19歳で選ばれ、銀メダル獲得に貢献。
- 2006年WBC準決勝では、それまで不振ながら代打で起死回生の勝ち越しツーランを放ち、日本の勝利に大きく貢献した。あまりにも奇跡的な活躍に、2chでは福留に対する謝罪スレが乱立。この際の実況の「生き返れ福留!」という言葉はその瞬間ホームランとなったことで名実況として知られる。
- 今でこそ「名手」福留だが、内野手時代は「ミスター失策王」と呼ばれるほど、守備の酷さに定評があった。
- メジャーデビュー戦にファンから「偶然だぞ」というサインボードを掲げられる。
これはカブスファンの常套句である「It's gonna happen(ついにその時が来た)」を、そのファンが誤訳してしまったものである。
銭闘員としての能力
- (2004年)「上がった分は寄付するつもりだった……」
- (2005年)「僕の年俸が上がらないと、後輩たちに夢を与えられない」
- (2005年)「井端(が上がった)?1回ゴネて3000万上がるのはおかしいよ!」
- (2007年)「誠意は言葉ではなく金額」
- (2012年)阪神タイガースに逆提示
なお、2011年の東日本大震災に際して、福留は何も言わずにポンと100万ドルを寄付。
「誠意は言葉ではなく金額」を身をもって示し、迷言は名言へと進化した。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
中日 | 応援歌のピコカキコ一覧#279 | 9153 | |
阪神 | 応援歌のピコカキコ一覧#278 | 9152 |
中日時代の応援歌は1997年に立浪の応援歌として使用されていたものを転用した物であり、2006年に歌詞が変更されている。
成績
年度別打撃成績
年 度 Year |
球 団 Team |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
犠 飛 SF |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
併 殺 打 GDP |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999年 | 中日 | 132 | 526 | 461 | 76 | 131 | 25 | 2 | 16 | 52 | 4 | 8 | 2 | 50 | 5 | 121 | 3 | .284 | .359 |
2000年 | 97 | 368 | 316 | 50 | 80 | 18 | 2 | 13 | 42 | 8 | 2 | 2 | 45 | 3 | 79 | 5 | .253 | .350 | |
2001年 | 120 | 442 | 375 | 51 | 94 | 22 | 2 | 15 | 56 | 8 | 4 | 3 | 56 | 4 | 90 | 4 | .251 | .352 | |
2002年 | 140 | 608 | 542 | 85 | 186 | 42 | 3 | 19 | 65 | 4 | 0 | 5 | 56 | 5 | 96 | 4 | .343 | .406 | |
2003年 | 140 | 617 | 528 | 107 | 165 | 30 | 11 | 34 | 96 | 10 | 1 | 6 | 78 | 4 | 118 | 5 | .313 | .401 | |
2004年 | 92 | 404 | 350 | 61 | 97 | 19 | 7 | 23 | 81 | 8 | 1 | 2 | 48 | 3 | 93 | 3 | .277 | .367 | |
2005年 | 142 | 612 | 515 | 102 | 169 | 39 | 6 | 28 | 103 | 13 | 0 | 3 | 93 | 1 | 128 | 8 | .328 | .430 | |
2006年 | 130 | 578 | 496 | 117 | 174 | 47 | 5 | 31 | 104 | 11 | 0 | 3 | 76 | 3 | 94 | 4 | .351 | .438 | |
2007年 | 81 | 348 | 269 | 64 | 79 | 22 | 0 | 13 | 48 | 5 | 0 | 4 | 69 | 6 | 66 | 5 | .294 | .443 | |
2008年 | CHC | 150 | 590 | 501 | 79 | 129 | 25 | 3 | 10 | 58 | 12 | 2 | 5 | 81 | 1 | 104 | 7 | .257 | .359 |
2009年 | 146 | 595 | 499 | 79 | 129 | 38 | 5 | 11 | 54 | 6 | 3 | 5 | 93 | 3 | 112 | 15 | .259 | .375 | |
2010年 | 130 | 429 | 358 | 45 | 94 | 20 | 2 | 13 | 44 | 7 | 3 | 4 | 64 | 0 | 67 | 5 | .263 | .371 | |
2011年 | 87 | 345 | 293 | 33 | 80 | 15 | 2 | 3 | 13 | 2 | 5 | 0 | 46 | 1 | 57 | 2 | .273 | .374 | |
CLE | 59 | 258 | 237 | 26 | 59 | 12 | 1 | 5 | 22 | 2 | 1 | 2 | 15 | 3 | 53 | 6 | .249 | .300 | |
11年計 | 146 | 603 | 530 | 59 | 139 | 27 | 3 | 8 | 35 | 4 | 6 | 2 | 61 | 4 | 110 | 8 | .262 | .342 | |
2012年 | CWS | 24 | 51 | 41 | 2 | 7 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 8 | 0 | 9 | 0 | .171 | .294 |
2013年 | 阪神 | 63 | 241 | 212 | 18 | 42 | 11 | 0 | 6 | 31 | 0 | 0 | 0 | 28 | 1 | 43 | 1 | .198 | .295 |
2014年 | 104 | 367 | 312 | 20 | 79 | 8 | 0 | 9 | 34 | 1 | 3 | 4 | 47 | 1 | 48 | 11 | .253 | .349 | |
2015年 | 140 | 569 | 495 | 53 | 139 | 24 | 3 | 20 | 76 | 1 | 1 | 7 | 65 | 1 | 75 | 15 | .281 | .361 | |
2016年 | 131 | 523 | 453 | 52 | 141 | 25 | 3 | 11 | 59 | 0 | 0 | 6 | 61 | 3 | 78 | 6 | .311 | .392 | |
2017年 | 127 | 526 | 441 | 68 | 116 | 20 | 3 | 18 | 79 | 1 | 1 | 4 | 77 | 3 | 92 | 17 | .263 | .373 | |
2018年 | 123 | 499 | 414 | 57 | 116 | 26 | 2 | 14 | 72 | 2 | 0 | 7 | 73 | 5 | 90 | 10 | .280 | .389 | |
2019年 | 104 | 403 | 348 | 39 | 89 | 16 | 1 | 10 | 47 | 0 | 2 | 3 | 49 | 1 | 85 | 5 | .256 | .347 | |
2020年 | 43 | 92 | 78 | 3 | 12 | 2 | 0 | 1 | 12 | 0 | 0 | 3 | 11 | 0 | 31 | 4 | .154 | .250 | |
2021年 | 中日 | 91 | 216 | 193 | 17 | 42 | 12 | 0 | 4 | 18 | 0 | 0 | 0 | 23 | 1 | 56 | 5 | .218 | .301 |
2022年 | 23 | 30 | 24 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 11 | 0 | .042 | .167 | |
NPB:19年 | 2023 | 7969 | 6822 | 1040 | 1952 | 409 | 50 | 285 | 1078 | 76 | 23 | 66 | 1009 | 50 | 1494 | 115 | .286 | .379 | |
MLB:5年 | 596 | 2276 | 1929 | 264 | 498 | 111 | 13 | 42 | 195 | 29 | 14 | 18 | 307 | 8 | 402 | 35 | .258 | .359 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
首位打者 | 2回 | 2002年、2006年 |
最高出塁率 | 3回 | 2003年、2005年、2006年 |
表彰 | ||
月間MVP | 1回 | 2002年9月 |
ベストナイン | 4回 | 2002年、2003年、2006年、2015年 |
ゴールデングラブ賞 | 5回 | 2002年、2003年、2005年、2006年、2015年 |
MVP | 1回 | 2006年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 4回 | 1999年、2002年-2004年 |
サイクルヒット | 2回 | 2003年6月8日、2016年7月30日 |
全球団から本塁打 | - | 2018年6月14日 |
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高校時代
中日時代
MLB時代
阪神時代
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関連項目
外部リンク
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