秋山勝彦とは、1959年4月11日生まれのO型のミュージシャン。
かつて平沢進が結成したP-MODELに所属していたベーシスト・キーボーディスト・ギタリスト・ボーカリスト・ドラマーである。
経歴
デビュー前後
埼玉のとあるレストランでライブをしていたMANDRAKEの三人の観客のうち、拍手をし立ち上がったのが秋山本人であった。そこから平沢進との交流が始まり、1979年1月1日、大学浪人中に平沢進らとP-MODELを結成。ちなみに秋山はベーシストとして参加したが、本人は結成前は阿媚叫喚というバンドでキーボードを担当しており、ベース経験は全くなかった。(当時の様子を平沢は「かっこよかった」と語っている)そんな秋山が参加したいきさつを平沢は「アイドル的な存在がほしかった」と語っている。実際ライブでは女性ファンの黄色い声援が秋山に集中していたそうで、まさに計算通り!であった。
同年7月25日、シングル「美術館であった人だろ」でデビュー。翌年にはNHKの生放送のテレビ番組に出演。田井中貞利のドラムの音を「お母さんに怒られてるみたい」と発言し、あの平沢進を笑わせる偉業を達成する。
1980年のアルバム「ランドセル」では曲製作にも積極的に参加するようになり、「タッチ・ミー」「ナ・カ・ヨ・シ」など3曲を提供する。特に「タッチ・ミー」では弱冠20歳の初々しいボーカルが聴ける。月刊雑誌ではコラム連載をしていたこともある。
脱退~再加入~その後
1980年11月に脱退。この脱退理由について、平沢は「音楽性ではそんなにズレてなかったと思うが、ステージに向かう姿勢に大きな隔たりが出てきた」「P-MODELとしては、おしゃれじゃない、カッコ悪い方向を目指して演出するのに、秋山は逆だった」、秋山は「調子ぶっこいてたんです。だからクビになっちゃった」と語っている。しかし、実際はライブの次の日にセンター試験があるというトンデモスケジュールだったせいで勉強に専念できなかった秋山を配慮しての対応だったかもしれない。
1982年には日大歯学部に入学するも、1985年に中退。Elle Najiaや夢幻会社を経て1989年には、ヒカシューを脱退しヤプーズに参加していた泉水敏郎とHERE IS EDENを結成する。1990年にはイカ天に出演しアルバム未収録曲「それでも君は僕を軽蔑するかい」を披露。同年には、ことぶき光などと共に平沢進のソロ活動にサポートで参加する等の活動を経て、1991年にP-MODELの解凍(活動再開)と共にキーボーディスト・シンセサイザーとして復帰。2年間の在籍中に2枚のアルバムをリリースし、各アルバムにそれぞれ2曲ずつ(平沢との共作含む)提供する。
解凍期にことぶき光と共作した曲が存在したが、奇しくもお蔵入りとなってしまった。しかし「殻落ちて身だけ」(アキブキ)と題しCROSSの来場特典として配布された。
HERE IS EDENを解消後はafter the rain名義でソロ活動をしていたが、近年は高橋芳一との音楽ユニットCROSS(Crazy Rider On Standard System)、NoME、フジアキなど幅広い音楽スタイルを展開している。
ステージ上での表現
90年代の秋山のステーパフォーマンスはとてもアグレッシブであった。それはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジからかなり影響されていた。
クネクネ踊る、マラカスを持てばもっと激しく踊る、上手から下手まで走りまくる、曲の最後にシンセを蹴飛ばす、平沢進のソロライブにいたっては、自分メインのライブじゃないのに、アンコールで半裸になった挙句ステージ前に出張るなど、平沢やP-MODELの「動」の部分をひとりで全て受け持っていた。
ただしあくまでシンセサイザーであり、激しく首を左右に振ったりしながらも両手はしっかり和音を押さえていたり、曲の合間にキーボードソロを披露したりとちゃんと本来の仕事もしている。解凍最後のライブにはベースを弾いていた。
華麗なルックス・確かな存在感を持つ秋山は、ライブ後に薔薇の花束を大量に抱えて歩いていたこともあったり、上手側からは黄色い声が飛び交っていたりとファンの人気は半端ではなかったようだ。
しかしステージ後のごくごく一部ファンからのアンケートでは「秋山をもっと離してください」「横川タダヒコさん、中野テルヲさん(両名ともP-MODELの歴代ベーシスト)カムバック!」と書かれたり、家庭の事情により肉体労働に精を出して日焼けすれば「テクノミュージシャンがハワイやグアムに遊びに行くな」「そんなやつをメンバーにしてていいのですか平沢さん?」と謂れのないバッシングを受けるなど、ごくごく一部ファンからの扱いはぞんざいであった。
ちなみにそれらを聴いたメンバーの反応も、
ヤスチカ「マジッスか?ガハァハァ ひで〜」
ことぶき「かわいそ~!マイクで言っちゃえば?」
平沢&社長「秋山は、そういうキャラなんだから いいんだよ。」
などかなりぞんざいであったが、秋山本人はかなり傷ついていた。(会話の内容の真偽は不明)
現在はマラカスを振る一面はあるものの、鍵盤ハーモニカやアナログシンセサイザーを使い、時にはアコースティックなゆったりとした、時にはドラムを合わせたロックンロールな激しい音楽を披露している。
adolescence
キャリア史上初のソロ名義、打ち込みで製作されたアルバムが東京中野ブロードウエイ3F ショップ・メカノにて発売中。P-MODELの2ndアルバム・LANDSALE(ランドセル)に収録されていた地球儀が35年越しの再演収録。
関連動画
関連商品
関連項目
外部リンク
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