- 秋葉原 - 秋葉原の歴史
ここでは秋葉原の歴史について記述する
秋葉原、誕生。
秋葉原という地名は、明治初期に作られた防火を願う神社に由来する。
1869年 (明治2年)の暮れ、神田の相生町が大火に見舞われ、甚大な被害をもたらした (「もえ」の原点である) 。その後、二度とこのような災害が起きないようにと防火の利益のためにまつる神社 (鎮火社) が設けられたが、これを地元の人々が、江戸において馴染み深かった防火の神様「秋葉大権現」を祭った神社と勘違いして「秋葉神社」と呼ぶようになった (ドジっ娘の原点である) 。この神社周辺を大火時に延焼を防ぐために空き地にしていたことから「秋葉の原」から「秋葉原」と呼ばれるようになった。当初は正式な地名ではなく通称であった。
地名四方山話
「秋葉原」の地名についてはさまざまな説がネット中を縦横無尽に飛び交っていた。ネット上のさまざまな由来説に突っ込みを入れている (参考 ① ② ③ ④) SIGNAL-9氏は、自身のブログエントリに寄せたコメントにおいて「インターネット上の情報の信頼性論議つーのは、延々と続いてますが、公的機関でもこういう状態-出所不明の 情報が事実として掲載される-なんで、つくづく難しいものだなぁと思います。」と述べている (④参照) 。
世界有数の電気街 ……1980年代までの秋葉原
戦前までは材木屋が多く立ち並び、現在の秋葉原再開発地域には神田青果市場が1980年代まで存在した。このほか、1970年代まで秋葉原駅には貨物駅が存在しており、かつて秋葉原は流通の一大拠点でもあった。その名残で日本通運が2002年まで秋葉原に本社を構えていた。また、鉄道貨物の輸送のみでなく、神田川を利用した水運も盛んであり、現在の佐久間橋跡および秋葉原公園がその名残である。
終戦直後より、旧日本軍や米軍払い下げの電子部品の闇市が発生。当初は周辺地域にも多く点在していたが、露店の排除に動いた占領軍により行き場を失ったそれらの店が入居する商業ビルが秋葉原に建てられるなどして、多くの電気商が秋葉原に集まってくることになった。こうして秋葉原に電気街が発生する。その中から石丸電気やラオックスなどの有力店が生まれ、「世界有数の電気街」として有名になった。
家電販売店だけでなく、特に電子工作を趣味とする人たち(ニコニコ技術部のうp主に多い)の間では、今でも「電子部品の街」 としても有名である。トランジスタやダイオードなど電子部品を販売している店(例:秋月電子通商、千石電商など)や、アマチュア無線関連のグッズ(無線機 やアンテナなど)を販売している店が数多く集まっているのも魅力の一つで、電子工作を趣味とする人にとっては憧れの場所として当時から現在までずっと親しまれている街でもある。 なお、このように電子部品の街になった背景には、近くにある東京電機大学の学生をターゲットに部品店が集まったことが影響しているという話もある(このことについては別記事「東京電機大学」を参照)。
電脳の街 ……1990年代の秋葉原
1990年代頃から関東近郊において、コジマやヤマダ電機といった、秋葉原よりも価格面・利便性で勝る郊外型家電量販店が台頭。それに伴い秋葉原で展開していた旧来の家電量販店が衰退し始め、それに代わって当時、一般普及過程にあったパソコン関連の専門店が多くなっていく。また、テレビ・パソコンゲームの専門店も登場。これに少し遅れて、裏通りにとらのあなやゲーマーズなどのオタク向けのグッズを扱う店舗が発生する。この頃の秋葉原は「電脳の街」と呼ばれていた。
この時期は「ラオックス ザ・コンピュータ館」「ヤマギワソフト」「T-ZONEミナミ」が街のランドマークとして栄えていた。
同人ショップの創興
このころ、在りし日のラオックス ザ・コンピュータ館の向かいにある小さな雑居ビル (神林ビル) にて、今日では新刊同人誌委託販売業大手として知られる「とらのあな」が店をかまえることとなる。当初は「古書店」として出発し、ビルの一室で中古同人誌 を販売していた。後に有限会社設立とともに委託販売に着手、業務を拡大してゆき現在に至る。
サブカルチャー街への変貌 ……2000年代の秋葉原
1990年代末から2000年代前〜中期にかけて、旧来の中小の家電量販店が出店していたラジオ会館等のテナントが次々と撤退する。姿を消した跡にはオタクショップが進出。各々が固定客層を確実にとらえ成長してゆく。
やがて大規模な家電量販店も次々と閉店・規模縮小するようになり、中央通りの様相は著しく変化してゆく。
サブカルチャーの中央通り進出とランドマークの変貌
かつては裏通りや路地を入ったところに目立たない程度に店を営んでいたホビーショップ達であったが、2000年代に入りアニメイト・とらのあなが現在の地に店を開くこととなる。
90年代の3大ランドマークも、この時代に姿形を変えていく。大きな理由としてはパソコンの低価格化による売上減少(および自作の衰退)と、パソコンの一般化に伴い秋葉原のパソコン専門店の存在意義が希薄化したことがある。
まず、T-ZONE本店(旧T-ZONEミナミ)が2002年5月31日をもって閉店し、跡地にはラオックスが総合ホビー店・アソビットシティをオープン。広い売り場面積を活かした「日本最大級の総合エンタテインメント店舗」 (Wikipedia, 2011) として注目を浴びた。が、わずか1年半で閉店。ビル所有者の事情によるものだとか。その後2004年8月にドン・キホーテ秋葉原店がオープンし、現在まで続いている。アソビットシティは数多のビルに分散移転という形をとったが、次々と閉店・統合され、今日では秋葉原で営業している店舗は無くなってしまった。
続いて、2002年時点で既にソフマップに営業譲渡していたヤマギワソフトが、2007年9月13日になって看板をソフマップに掛けかえ再オープン。隅に申し訳程度に「ビックカメラグループ」とかかれている。
最後に残ったラオックス ザ・コンピュータ館も同年9月末をもって閉店した。その後このビル周辺は売却され、新オーナーにより再開発される予定であったが、不況により計画はほぼポシャってしまった。閉店し他人にの手に渡ったにもかかわらず、AKIBAカルチャーズZONEに改装されるまで長年ラオックスの看板のまま放置されていた。中央通りに栄えるサブカルチャーと対照的に、裏通りにたたずむかつての家電量販店の巨大な閉店跡は、ある意味この時代の秋葉原を象徴する顔であったと言えるかもしれない。
発展の多角化
2005年にそれまで街の裏手という趣きが強かった昭和通り側につくばエクスプレスが開通、そこから日が浅いうちにヨドバシカメラが出店。これにより人の流れが変わるほどの影響を与え、同時に通勤ターミナル化・観光地化が進んでいる。かつてはなかったカラオケボックスもこの頃に作られた。また居酒屋や遊技場も新規開店するなど「第二の新橋」化も進んだ。一方で中央通りには紳士服店のAOKI、裏通りにはカジュアル専門店のジーンズメイトが出店した。
2006年には、旧青果市場の地に秋葉原クロスフィールドが完成する。秋葉原ダイビルと秋葉原UDXの2つ高層ビルはオフィスビル、産学連携施設として秋葉原の新たな一面を見せることとなった。日立製作所およびグループは、この2つのビルに多く入居している。
通り魔事件とホコ天中止
2008年6月8日(日)に7人死亡10人が負傷する通り魔事件が発生。世間を震撼させた。→「秋葉原通り魔事件」参照
これにより一時期歩行者天国が中断されていたが、2011年1月23日13時に再開となっている。
サブカルチャー街の深化……2010年代の秋葉原
電子部品店に関しては最近の技術動向(マイコンやArduinoなど)を反映しながら現在でも人気を保っている店が数多くみられ、ニコニコ技術部を中心に再び電子工作ブームが盛り上がりつつある。2010年には、はんだごてなどの工具を無料で借りて電子工作を楽しめる「はんだづけカフェ」もオープンした(電気街からは少し北に離れていて、千代田区の北端に近い)。
ラジオ会館の建て替え移転をきっかけに、秋葉原のホビーショップ地図にも動きが見られた。2年にも満たず撤退したジーンズメイト跡はほどなくしてコトブキヤが開店した。また長らく放置されていたザコン跡も「AKIBAカルチャーズZONE」として改装され、秋葉原や中野のサブカルチャーテナントが転入、秋葉原のランドマークが商業施設として復活。ラジオ会館そのものも中央通りの石丸電気跡等に仮テナントを構える形となった。
そして、電気街時代の城址よろしく最期まで中央通りに鎮座していた石丸電気 (ishimaru akiba) も、家電量販店統合の波に押され、ついに2012年10月1日に看板を「エディオン」にあらためることとなった。中央線車窓や万世から眺める中央通りの様相がまた、大きな変貌を遂げることになる。
コロナ禍による打撃と変化……2020年代前半
新型コロナウイルスの大流行は、秋葉原の街並みにも多大な影響を与えている。
休業協力や会食制限による飲食店への打撃は、秋葉原のメイドカフェも当然同様に被った。
実店舗の営業が難しくなったことでネット通販がより一層発達し、電気製品もホビーグッズも同人誌も、秋葉原を訪れずとも手に入れられる商品が増えた。特に同人誌は、人流制限による即売会の減少によって発行自体が減ってしまった。
様々な界隈で、「秋葉原に行かなくても用事が済む」「秋葉原に行っても欲しいものが得られない」という状況が構築されてしまった。
そのためコロナ禍以降の秋葉原では、老舗やランドマーク的店舗の閉店が相次いでいる。
わけても象徴的なのは、とらのあなの秋葉原撤退。創業の地でもある秋葉原に、全盛期には5店舗を構えた大手同人誌ショップが、オンライン事業へのシフトに伴う実店舗縮小により姿を消した。2022年8月31日の閉店日には、かつて同店を利用していた人々が集まって名残を惜しんだ。
その一方では、再開発の機運が高まり続けており、旺盛なオフィス需要にこたえる計画が立ち上がっている。特に、エディオンAKIBAやラオックス秋葉原店が並ぶ外神田一丁目南部地区では、一帯をまとめて再開発して高さ約170mの複合ビルを建てる計画が進行している。
流行開始から時間が経過するとともに、人流制限の緩和などコロナ禍の悪影響を抜け出そうとする動きが進み、特に2022年末からは海外からの観光客の本格的受け入れによってかつての旺盛な観光需要が取り戻されようとしている。今後の秋葉原が、それに応えて往時のサブカルチャー街の姿を取り戻すのか、それとも電気街・サブカル街に続き新たな変貌を遂げるのか、行く末はまだ不透明である。
関連動画
かつて隆盛を極め衰退していった店舗へのレクイエムとしての動画。
関連項目
- 4
- 0pt