そんなに遊んで欲しいなら、提督の絵描いてあげよっかー?
秋雲(あきぐも)とは、大日本帝国海軍所属の夕雲型駆逐艦2番艦陽炎型駆逐艦19番艦「秋雲」をモデルとした、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場する艦娘(かんむす)である。
後刻(2019年12月7日オンメンテ)、秋霜という制服も同じな艦娘が実装されたが、こちらは大阪生まれの生粋の夕雲型・18番艦である。
秋雲着任~概要よろしくねぇー
陽炎型姉妹の末の妹にあたる「秋雲」は、2013年9月13日のメンテナンス後、南方海域の解放(ただし当時は2面目まで)と同時に、「夕雲」と共に新たに実装された。
実装から長らく建造不可だったが、2015年9月25日のアップデートで建造可能になった。史実で関わりのある翔鶴の改二実装に合わせたものと思われる。
ドロップは南方海域(いわゆる5面)と3-5ボスのみだが、南方海域では道中マスでもドロップするため、ボスドロップのみである「夕雲」に較べれば、やや出易いとされている。
服装は陽炎型の姉達といずれとも違い、夕雲型の「夕雲」と同じ臙脂色のジャンパースカートに緑のネクタイリボンという姿だが、これは史実でも長い間夕雲型として扱われていたところからと思われる。図鑑でも他の陽炎型とは離れて夕雲型の上3人と並んでいる。
絵が両手を挙げたポーズなところから、「コロンビア2号」と呼ばれる事も多い。(「コロンビア1号」は鬼怒)
また、一際目立つドヤ顔なところから、遊び心のある提督達からは格好のコラ材料として扱われており、後発な割に知名度は高い。
その表情のインパクトゆえにあまり話題にならないが、実はポニーテールにした状態で腰まで届く程のロングヘアの持ち主(中破してぼろぼろになってても髪型は変わらないので、ウィッグとかではないと思われ)。
「朝ご飯食べてから原稿するかなぁー」とか「もうすぐ早割入稿日じゃない!」とか「これがイケてるサークルなのよ」とか言うところから、薄い本描きではないかとも言われている。あと「治ったら倍返ししてやる」とか「ウキウキウォッチングしたくなるぅ」とか、やたらとメタなネタが多い。総じてやたらとノリが軽い愉快な艦娘である。
余談だが、図鑑の自己紹介では、説明文にないことまでしゃべっているので、一度聞いてみて頂きたい。
とはいえ、そんな秋雲さんでも戦闘時には「戦艦クラス、食いたいなぁ~」と呟いたり、MVPを取ると「戦艦にも重巡にも出来ない事出来ちゃうのよ~」と(多分ドヤ顔で)言い放つなど、駆逐艦であることに誇りを持っている一面が見られる。
あと、中破絵はあからさまなパンモロである。パンモロである。大事なことなので二度言いました。
ここまであからさまな娘もそうそういないほどお尻がモロ出しになってしまう(&さらにパンストもびりびりに破ける)ので、秘書艦にしている提督は背後に注意されたし。★柄の水色おぱんつがまぶしい。あと、何気に駆逐艦としては立派な上部装甲をお持ちのご様子であるが、もっと圧倒的な陽炎型の姉達や同等以上の夕雲型の妹達がいるためか、秋雲の場合はそちらではあまり話題にはならない模様。
そりゃこの秋雲だって二次創作くらいするさ~
何かと同人活動を思わせる発言が多いため、二次創作では同人誌を描いているネタが定番である。「同人作家のオータムクラウド先生」(オータム=秋 クラウド=雲。略してオークラ先生とも)は、もはやパパラッチ報道記者の青葉並に界隈では定着しており、同人誌を描いてない秋雲の方が希少というレベルに達している・・・というか2017年12月11日のアップデートで以前の10月アップデートで実装されたシックな「秋の私服mode」から明らかにヤバい表情の「修羅場mode」に変更されるなど公式公認のネタにされている。
・・・確かに実装日の12月も半ばの時期では冬のコミックマーケット向けの入稿も締め切り直前(というか頁数や部数によってはアウト)である。追い詰められているのも解る
(ちなみに下記の関連動画でそんな状態の秋雲にケッコンカッコカリした剛の者が居る。あまりのインパクトで爆笑必至である)更にコミックマーケット開催前々日の12月27日(17年の最終アップデート)では更に追い詰められた「超修羅場mode」も実装・・・秋雲先生の明日はどっちだ!?・・・と思ったら、翌年1月1日のオンメンテで安堵の表情を浮かべる秋雲の姿が提督たちの前で披露されホッとした提督(主に二次創作者)も多かったと思われる(中破すると肩掛けの紙袋から戦利品らしき薄い本が・・・あ、夕雲姉さんこっちです)
現在では上記の同人作家以外のネタとして長らく同僚である第十駆逐隊の仲間で欠員だった「風雲」が加わり、風雲の時報や季節限定セリフを含めて史実での関係とデザインに共通項があるためか「風雲」との絡みも徐々にクローズアップされつつある・・・そんな流れからか、2018年末も相変わらず修羅場modeな秋雲先生の力作に「風雲」と思わしきイラストがタブレットに描かれていたが・・・12月21日には「超修羅場mode」に突入。前年以上に追い詰められた表情であり(憔悴しており明らかにヤバイ表情)中破するとタブレットに非情なるエラーメッセージが・・・(滝汗)しかし、2019年1月1日のオンメンテでめでたく「麦酒乾杯mode」が実装。何とか脱稿出来た様子。以後、同時期に再登場しており、恒例になっている。
ちなみに「麦酒乾杯mode」は以前の三越コラボで艦これ限定ビールとして登場した際のイラストが元。何故か中破するとキラ付けみたく輝くのはどういう事であろうか・・・同時期に冬の限定作戦「邀撃!ブイン防衛作戦」が展開されており、折角の執筆時間を思い切り削られて色んな意味で振り切れたゆえかもしれない。
改夕雲型……じゃなかった、改陽炎型……つか、改秋雲型! 秋雲、準備オッケーィ!! 提督、今日もよろしくっ!
2020年9月下旬、同月発売の雑誌に「呉の...」と呼ばれた、あの伝説の駆逐艦の大規模改装準備を進めていることが公表されて半月を経て、C2機関twitterより以下の情報がもたらされた。
現在C2機関では、「佐世保の時雨」と共に「呉の…」と呼ばれた、あの伝説の駆逐艦の「艦これ」大規模改装準備を進めていますが、その前に!この秋、秋の名を持つある駆逐艦の改二実装準備も進めています。最近実装されたあの大型空母とも縁のある彼女…こちらも密かにお楽しみに!
2020年梅雨夏イベで実装された大型空母、すなわち、ホーネットと縁のある「秋」の名を持つ駆逐艦は…ほぼ秋雲名指しでの改二予告となった。そして、2020年10月16日、満を持して「秋雲改二」が実装された。
改装にはLv74に加え陽炎型改二艦ではおなじみの改装設計図、更に夕雲型改二艦で要求される戦闘詳報も、陽炎型改二艦としては初めて必要となる。
能力的には、陽炎型改二・夕雲型改二双方の装備特性を有し(夕雲型改二艦寄り)主砲ではD型改二・D型改三・四連装酸素魚雷後期型・電探で装備シナジーの二重取りを得ることができる。また、対空電探単体でも装備シナジーが発生し、D型改二・探照灯・熟練見張員でもシナジーが発生する。
一方で、今までの甲型駆逐艦改二で実装できた「中型バルジ」、一部艦で実装できる「司令部施設」系、「大発」系(カミ車含む)は一切装備できない。(第三水雷戦隊司令部を載せた経歴や撤退作戦で小発動艇を載せたりした経歴を持ってるのに…)また、陽炎型改二で高い補正が付くC型改二・改三では陽炎型の基本補正(装備時火力+1・命中+1)のみになっている。その為、秋雲改二の装備は基本夕雲型改二の構成になる。
僚艦の風雲同様、史実では潜水艦により斃された戦訓を踏まえて対潜能力値も高め。(流石に対潜特化の浦風・谷風丁改には劣るが)
目を引くのは、その衣装。デザインそのものは絵師繋がりの夕雲型改二艦と同じながら、ベースとなるスカート部分は陽炎らコニシ艦陽炎型の軍艦色に更新。対水上艦戦闘用艤装はすべて腰部に接続されたユニットに集約され、身につけている武器は太ももにある爆雷のみ。両手には秋から冬の期間限定グラでおなじみの約30万円相当の液タブとタブペン。左手にはタブペン用グローブを装備し、腰の艤装を外したらただの同人絵師・秋雲先生そのもの。更新された母港まわりのボイスでもホーネットをモデルに絵を描こうとするし、放置したら修羅場なのか、アシスタントの風雲にベタや集中線の指示を出す始末。もうやだこの先生…
秋雲改二実装で史実第十駆逐隊(秋雲・夕雲・巻雲・風雲)は全員改二化し、第八駆逐隊(朝潮・大潮・満潮・荒潮)第十八駆逐隊(霞・霰・陽炎・不知火)に続く3番目の改二駆逐隊コンプリートとなった。
うん、そう。史実は大切だよねぇ
駆逐艦〈秋雲〉は、1939年海軍軍備充実計画にて建造が決定。一等駆逐艦第115号の仮称を付けて、1940年7月2日に浦賀船渠で起工。1941年3月25日に駆逐艦秋雲と命名され、4月11日に進水。1941年9月27日、竣工。すぐに第一機動部隊に編入され、真珠湾攻撃に出撃[1]。帰還後は夕雲型駆逐艦の〈夕雲〉〈巻雲〉〈風雲〉)と共に第一〇駆逐隊を編成し、機動部隊と共に太平洋を駆け回る。
1942年1月8日、柱島を出港し赤城の護衛としてビスマルク諸島攻略作戦に参加。20日はラバウル空襲を支援し、23日はラバウルとカビエンへの揚陸を支援。2月1日、米空母「エンタープライズ」からなる機動部隊がマーシャル諸島を空襲。赤城とともに迎撃に向かったが作戦中止に伴い反転。その後、赤城と分離し、瑞鶴の護衛に付く。本土へ帰還し、館山に艦攻や艦爆を輸送。24日、東京湾を出港した秋雲はスターリング湾へ到着しセイロン作戦に参加。
5月27日、ミッドウェー作戦参加のため赤城とともに柱島を出撃。しかしミッドウェー海戦は知ってのとおり惨敗。秋雲は残存艦艇とともに北方へ退避し、アリューシャン方面に展開していた第二艦隊と合流。7月14日、第10戦隊は第3艦隊へ編入。
ミッドウェー海戦後は南方戦域に転戦。ソロモン海の戦いや、鼠輸送に従事した。
8月14日、ソロモン方面へ進出するため呉を出撃。翔鶴とともにトラックへ向かうも、途上で入港を取りやめ、第二次ソロモン海戦に参加。
9月25日、第10戦隊はガダルカナル島近海で行動。27日にトラックへ帰投した。
この時期の活動のうち、特筆すべき戦果として、南太平洋海戦における米空母CV-8〈ホーネット〉[2]撃沈がある。
空母〈翔鶴〉〈瑞鶴〉、さらに〈隼鷹〉の艦載機の攻撃により大破炎上していた〈ホーネット〉をあわよくば拿捕しようと、連合艦隊司令部は〈秋雲〉と〈巻雲〉を分離・前進させる。 一方の米軍は、〈ホーネット〉の復旧は不可能と判断し、処分を決定。駆逐艦2隻(〈マスティン〉と〈アンダーソン〉)が魚雷9本と砲弾400発を撃ちこむも沈まず、2隻は日本艦の接近を受けて離脱していった。
入れ替わりにやってきた〈秋雲〉と〈巻雲〉だったが、大炎上中のうえに既に浸水して右に傾いていた〈ホーネット〉を見て、とても曳航できるものではないと、撃沈を決める(もし曳航に成功した場合は多摩川に浮かべて見世物にする予定だったらしい)。
最初は砲撃で沈めようとしたが、24発の砲弾を撃ち込んでも沈まなかった。そこで2隻は方法を変更。魚雷4本を発射し、3本が命中。〈ホーネット〉は傾斜を強め、ようやく沈没していった。
この時、〈秋雲〉艦長の相馬正平少佐は沈没の様子を写真撮影するよう命じるも、航海長に「夜ですから写真は無理」と言われ、それではと絵の達者な信号員にスケッチをさせた。
と言っても、夜の話である。「暗くて細かいところがよく見えない」と信号員が訴えると、艦長は「どうだ、これで明るくなったろう」と言わんばかりに、探照灯を5、6回に渡り点灯させた。
しかし、 探照灯の使用は自分の位置を晒す危険行為 であり[3]、乗員たちが驚いたのは勿論、僚艦の〈巻雲〉も「何事か!?」と驚きの発光信号を送っている。しかし艦長は意に介さず、照射を続けた。
艦長の大胆な手助けもあり、ホーネットのスケッチは無事完成した。同艦はドゥーリットル東京空襲に用いられた空母であることが知られていたため、仇討が出来たと喜ぶものもいたという。
言うまでもなく、〈秋雲〉の絵描き設定や夜戦時のセリフ「夜は暗くて絵が描きにくいよねー。探照灯で照らしちゃうぜぇ~」や午後8時の時報セリフ「夜の部突入!サーチライトなら勿論、照らしちゃいます!」、さらに〈巻雲〉の「はわわわわ…こんな時に探照灯つけるなんて!秋雲のばかぁ!」はこのエピソードが元である。
作戦終了後、秋雲はトラックへ帰投した。
さて、翌年の1943年2月1日には、ガダルカナル撤退作戦に3回参加。予想以上の兵員を連れ帰った。
3月6日からはハンサ行きの輸送船団を護衛。14日、ハンサ湾空襲で放棄された貨物船桃山丸を撃沈処分。
コロンバンガラ島への輸送作戦も3回従事した。
5月23日、戦死した山本長官の遺骨を〈武蔵〉と共に日本へ送り届けた[4]。
この後電探を装備し、6月10日に横須賀出港。北方へ転戦し、幌筵寄港。7月29日、阿武隈に率いられてキスカ撤退作戦に参加。兵員一人欠けることなく連れ帰り、戦死者も出さなかった奇跡の作戦の立会人となった。
8月17日、北方より戻ると再び機動部隊に編入され、翔鶴を護衛して南方に進出。10月26日には第二次ベララベラ海戦に参加。本海戦で〈夕雲〉を失うも、敵駆逐艦3隻を大破させ、さらに本来の目的「ベララベラ島からの撤退」には成功している。
この後11月23日、ボナペ島へ向かう東亜丸を護衛するも、二日後に米潜〈シーレイヴン〉の雷撃を受けて撃沈されてしまった。作戦後の12月17日、横須賀に帰投。20日には戌一号作戦によりあの戦艦〈大和〉を護衛して横須賀出港。トラックへ向かう道中で大和が雷撃され損傷するも無事にトラックへ送り届ける。〈秋雲〉はそのままとんぼ返りし、横須賀へ戻った。
整備を終えた翌1944年2月6日には翔鶴と瑞鶴を護衛して東南アジア方面へ進出。横須賀やシンガポール、ダバオ、リンガを往復し輸送に従事。
4月11日、バリクパパンからダバオへ向けて航空用燃料を輸送する船団を護衛していた〈秋雲〉。しかしミンダナオ島サンボアンガ沖にて米潜水艦〈レッドフィン〉の雷撃を受け、わずか3分で沈没した。まさしく轟沈であった。また潜水艦か!入戸野艦長以下137名が死亡した。6月10日除籍。
他の陽炎型の例に漏れず、太平洋を縦横無尽に駆け巡った3年間であった。
制服ー?夕雲型かー、陽炎型かー…まぁいっかー!
戦後になってから、艦艇研究の第一人者たる福井静夫氏が〈秋雲〉を夕雲型駆逐艦に分類しており、概ねそれで通っていた。
これに対して、元自衛官の艦艇研究家である田村俊夫氏が、「夕雲型の中で〈秋雲〉だけが何故、二番砲塔を外して機銃追加、なんて改装をしたんだろう?」と疑問に思った[5]のを発端として、調査研究した結果を「世界の艦船」1994年4月号で発表した。
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陽 .| , Nヾ ゙ ゙ヽ |\/ ∨l/
炎 レ' 7N゙、 ゙i _|`
型 /N゙ゞ .! ヽ
だ 7ゞミミ、 ノ,彡イハヾ、 i Z 秋
っ Zー-r-==、'リノ_ノ_,.ヾミ,.ィ,ニi ヽ 雲
た / {i `゙';l={゙´石ゞ}='´゙'r_/ 〈 は
ん |: `iー'/ ヾ、__,.ノ /i´ /
だ i、 ! ゙ニ-=、 u / ,ト, ∠_
よ |` ヽ、i'、_丿 /// ヽ /_
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根拠としては、
- 旧海軍公式図「横廠兵秘砲18第180号」の増備機銃関係図に「陽炎型秋雲」と書かれている。=海軍は〈秋雲〉を陽炎型として扱っていた
- 〈秋雲〉で撮られた写真に写っている艦橋形状はどう見ても陽炎型駆逐艦のそれだった。
- 〈秋雲〉図面の船体寸法が、〈夕雲〉より0.5m短く「陽炎」型と同一。
が挙げられ、この研究結果は「ちょっと不確定なところはあるけど、概ね正しいっぽい?」と受け取られ、現在は「秋雲〉は陽炎型19番艦である、というのが定説となっている。
ちなみに、当時の乗組員達の意識としては夕雲型2番艦秋雲だったらしく、戦後出された回想録にそのように書かれている(図鑑で秋雲が「自分では夕雲型だとおもってたんだけどなぁ」と呟いているのはこれを元にしていると思われる)
なお、なぜそんなことになったのかは諸説あり、
- 計画115番艦(後の〈秋雲〉)から建造を新型駆逐艦に切り替える予定だったが、資材の調達等が間に合わず、計画116番艦(後の〈夕雲〉)から新型になった、という「資材調達の関係説」
- 上の説に似ているが、現場が「一隻でも多く駆逐艦ヨロ」と言ってきたので、115番艦は手っ取り早く陽炎型の図面で作ってしまった、という「陽炎型を一隻余計に作ったよ説」
- 計画115番艦には他の陽炎型と同じく「○風」シリーズの名前を付け、計画116番艦に「秋雲」を使う予定だったが、その「○風」が別の駆逐艦に使われてしまったため、ネーミングが繰り上がった。ちなみに、その使われてしまった名前こそが「島風」である、という「島風の名前が使えなかった説」
等が挙げられている。
余談だが異説として、秋雲型の一番艦だったというものも存在する。しかし実のところ、開戦に間に合わないという意見が出たため結局陽炎型の設計図を流用したようである。
動画が戻ってきたぞー
秋雲にイラスト発注ですかー?
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提督は結局、どの娘が一番好きなの?
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 第十駆逐隊
- 朧(艦これ) - 五航戦附属時僚艦。朧の時報で秋雲への言及あり
- 鬼怒(艦これ)
- コロンビア
- 藤川【藤川艦隊】・竹達彩奈【竹達艦隊】
- 自衛艦これ(除籍):やまぐも型護衛艦
- うらが組(当代及び護衛艦「あきぐも」共々)
陽炎型駆逐艦(陽炎型姉妹) |
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1.陽炎 - 2.不知火 - 3.黒潮 - 4.親潮 - 5.早潮 - 6.夏潮 - 7.初風 - 8.雪風 - 9.天津風 - 10.時津風- 11.浦風 - 12.磯風 - 13.浜風 - 14.谷風 - 15.野分 - 16.嵐 - 17.萩風 - 18.舞風 - 19.秋雲 |
脚注
- *当初は、綾波型の〈朧〉と共に五航戦〈翔鶴〉〈瑞鶴〉のトンボ釣り担当だった(図鑑で「一航戦」と言っているが、一航戦に所属した事は無い。おそらく真珠湾のために編成された「一航艦(第一航空艦隊)」(一航戦・二航戦・五航戦・一水戦で編成)の間違いと思われる。
真珠湾のときは綾波型ではハワイまでの航続距離が足りないため〈朧〉は別任務に回され、〈秋雲〉単独での出撃となった。これは一航戦のトンボ釣り担当をしていた綾波型〈曙〉〈漣〉〈潮〉や、同じく二航戦担当だった睦月型〈卯月〉〈菊月〉〈夕月〉(艦これ未実装)も同じで、その代理として朝潮型・陽炎型の第一八駆逐隊(〈霞〉〈霰〉〈陽炎〉〈不知火〉)と第一七駆逐隊(〈浦風〉〈浜風〉〈磯風〉〈谷風〉)が同行している - *2020年夏イベにて実装。轟沈時に言及する”絵描き”とは史実では秋雲のこと。時報でも巻雲と共に登場する。
- *艦これの提督なら、探照灯を照らしたために轟沈する羽目になった〈古鷹〉〈神通〉〈暁〉の話はご存知と思う。
- *遺骨は基本的に〈武蔵〉が運んだが、最後に木更津沖から横須賀まで運んだのは〈秋雲〉だった。
- *夕雲型と島風に搭載された三年式12.7cm連装砲D型は限定的ながら対空射撃が行えたため、陽炎型などのように2番砲塔を撤去し機銃座を増設する改造を行わなかった。
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