稀勢の里とは、田子ノ浦部屋に所属する元大相撲力士である。第72代横綱。本名は萩原寛。
概要
1986年7月3日生まれ、茨城県牛久市出身。中学時代までは野球をやっていたが、中学卒業後に角界に入門。「実家に一番近い」という理由で千葉の松戸にあった鳴戸部屋を選び(師匠の鳴戸親方=元横綱・隆の里=の没後にゴタゴタがあり、現在所属する田子ノ浦部屋は江戸川区にある)、最初に部屋を訪ねた時は家から自転車で行ったという。同じく千葉県にある松ヶ根(現・二所ノ関)部屋のおかみさん(元アイドル歌手の高田みづえ)がこの話を聞いて「道を間違えてうちに来てくれればよかったのに」と惜しんだほど、入門当初から規格外の力士との評判が立っていた。
左四つやおっつけを得意とし、その恵まれた体格を生かした前に出る相撲が持ち味であり、昇進と共に多くの年少記録に名を連ねていった。しかし、幕内上位進出以降は脇の甘さがたたり簡単に中に入られたり、土俵際で逆転されるなどといった弱点を一向に克服できずにいる。そのため、当初は大関候補、若手筆頭株などと角界関係者から多くの期待が寄せられていたが、琴欧洲、白鵬、日馬富士、把瑠都と外国人力士に次々追い抜かれ、ついには日本人期待の星の座も琴奨菊に大関昇進レースで先を越されてしまった。時に張り差しに頼る取り口(ただでさえ脇が甘いのに張り手に出ると余計に脇が甘くなる)が好角家からの批判を集めたのもこの時期。かつては小結で3場所連続で勝ち越したのに関脇に上がれなかったこともあるなど、番付運も少々欠いていた。
それでも2010年11月15日、九州場所2日目で、白鵬の連勝を63で止める寄り切りを見せて存在感をアピールすると、ついに2011年九州場所後に大関昇進を決めた。入幕までが早かっただけに、新入幕から42場所かかっての大関昇進は歴代5位の遅さという、スピード出世とスロー出世の双方の記録を持つ力士となってしまった。
大関昇進の際は、目安とされる3場所合計33勝に足りていなかった(32勝だった)ために、メディアや好角家からはその昇進に疑問符を付ける声も上がったが、大関昇進以降はコンスタントに成績を残している。格下相手の安定感のなさや若手時代からの腰高、そして「たぶん稀勢の里より稀勢の里ファンの方がメンタル強い」と言われるくらいのここ一番でのメンタル面の弱さがあるために優勝争いに最終盤まで絡むということはあまりないが、勝ち越しがやっとな他の大関陣とは別格の実力で場所を盛り上げる。毎場所のように優勝を期待されるし毎場所のように「場所前の稽古では稀勢の里の調子が良かった、今場所の稀勢の里は面白い存在」などと解説陣に言われるのだが、一向に初優勝に手が届かない。それどころか優勝決定戦の経験すらない。なぜなのか。2016年にはついに、「優勝なしでの年間最多勝受賞」という年6場所制以降で初めての珍記録まで達成してしまった。これは安定感が抜群でないと貰えない賞である。どうしてこうなった。
しかし、迎えた2017年初場所14日目、1敗の稀勢の里が勝利、唯一2敗で追っていた白鵬が結びの1番で敗れたことにより、初優勝を飾った。さらに千秋楽には白鵬を直接対決で破り、前年の安定感も評価されて満場一致で横綱昇進が決定した。新入幕から所要73場所での横綱昇進は昭和以降1番のスロー記録。3代若乃花以来19年ぶりの日本出身横綱の誕生となる。このとき、抜かれていった琴欧洲と把瑠都はとっくに引退、白鵬、日馬富士、鶴竜の横綱には陰りが見え、琴奨菊は大関から陥落していた。
横綱として初めての場所となった2017年3月場所では初日から12連勝と好調を維持するが、13日目に苦手の日馬富士の速攻相撲に一方的に敗れ、土俵下に転落した際に左肩付近を強打しすぐには起き上がれない程の重傷を負う。14日目の鶴竜戦は全く勝負にならず敗れ、1敗でトップを走る照ノ富士との千秋楽直接対決は相手も膝に怪我を抱えているとはいえ勝ち目薄と思われた。しかし、迎えた千秋楽では照ノ富士に本割・優勝決定戦と連勝し、賜杯を抱くのに苦労するほどの痛みに耐えて気迫の連続優勝を果たした。
しかしその代償として続く5月場所では怪我が完治しないまま強行出場。怪我の影響で左が使えず、初日に嘉風に敗れるなど精彩を欠いた。それでも中日までは6勝2敗と持ちこたえたが、その後は栃煌山と琴奨菊と三役級のベテラン力士に左が使えないところを付け込まれ何も出来ずに2連敗を喫し、横綱・大関戦を前に途中休場となった。
その後も厳しい場所が続き、2019年初場所も初日から精彩なく三連敗を喫し、かつての相撲にもう戻せないことを痛感したことでついに引退を決断した。
キャリアについての総評
稀勢の里の横綱昇進後のキャリアを見る限り、大怪我を抱えたまま強行出場した2017年初場所の最後の2日と2017年夏場所が既に30歳を過ぎて昇進となった彼の力士生命を一気に縮めてしまったとも言える。
横綱昇進場所で優勝した後、皆勤できた場所は僅か1回でそれも10勝どまりである。横綱は常時優勝を争い、最低でも12勝を上げて最低成績ともいわれるほど厳しい地位であり、横綱としては力不足だったといわれても仕方ないとも言える。
また年6場所制になって以降、横綱の記録としてはワースト記録となる8連敗(不戦敗除く)や横綱通算勝率(0.500)、ワーストタイ記録となる1場所金星配給5個、僅か12場所の横綱在位(短命横綱としては歴代8位)など不名誉な記録が並ぶことになった。そんな最悪づくしの記録だらけとなってしまったが、横綱昇進場所で優勝という記録に関しては15日制定着後4人目であったというのが唯一の救いである。
また不幸だったのは先代親方が2011年に急逝したことや元々怪我が少なかったことなどもあげられる。先代親方である隆の里は元横綱であるが、あとを継いだ現親方である隆の鶴は急遽部屋を継いだ形[1]だったとはいえ最高位は前頭8枚目、幕内在位も僅か5場所である。これではいくら角界の先輩とはいえ、強く稀勢の里に意見を言うことは出来ないであろう。また怪我も少なく、不調であった2014年のように何らかの問題を抱えた時期があったような推測は立つが、稽古や本場所に支障が出るほどの大きな傷病は経験がなかったため、大怪我に付き合うやり方になれる機会がなかったとも言える。
横綱昇進後のキャリアのケチこそついたものの、大関時代の成績は優勝こそなかなか出来なかったものの、絶対横綱であった白鵬をのぞけば他の横綱(日馬富士や鶴竜)とほぼ同等の勝率を残しており、決して実力がなかったわけではない。『作られた横綱』との批判の声も多いが、31場所在位した大関時代の勝率(0.714)はむしろ既に横綱に昇進していた鶴竜の大関時代(0.661)どころか横綱昇進後の勝率(0.704/2019年初場所時点)すら上回っており、大関時代に満たしていなかった条件といえば「2場所続けて優勝に準ずる成績」ぐらいである。
しいて言えば運がなかった、日本人横綱を欲していた周りに最後は押しつぶされてしまったということかもしれない。
合口
白鵬とは16勝43敗という対戦成績だが、そもそも白鵬に10勝以上した力士は朝青龍・日馬富士・琴欧洲・稀勢の里の4人しかいないので、数少ないまともに通用する力士の一人とも言える。前述のように連勝記録を止めたりするなど(2013年にも43連勝を止めている)、印象的な勝利も多いのだが、自身の優勝がかかってくると全く勝てない。
日馬富士とは24勝36敗。日馬富士の大関昇進後に10連敗するなどカモにされていた時期もあった。日馬富士の横綱昇進後に意地を見せるかのように5連勝するなど対戦成績を盛り返したが、その後は立合いから圧倒されて一方的に敗れる取組が多く見られ、再びカモにされてしまっている。どうでもいいけど日馬富士は稀勢の里のことが大好きらしい。
鶴竜とは31勝17敗と相性が良く、とくに稀勢の里が大関に昇進する前後からは7連勝と6連勝が1回ずつあった。ただし、鶴竜が急成長し初優勝・横綱昇進を決めた2014年以降は6勝8敗である。2015年9月場所14日目の2敗同士の直接対決では鶴竜が二回の変化の末稀勢の里を破るなど、鶴竜の存在もやはり初優勝へのひとつの壁になっている。
その他では概して琴欧洲・把瑠都・琴奨菊・栃ノ心・碧山といったパワーを前面に押し出す力士に弱い傾向にある。特に格下と言っていい碧山相手では前半戦に敗北することが2014年以降頻繁に見られ、対戦のたびに実況に「稀勢の里にとって前半戦でひとつの大きな山」などと言われる。そして負ける。
超会議場所トーナメント戦の成績
ニコニコ超会議で行われた大相撲春巡業のワンデイトーナメント大会の結果をここに記す。
大相撲超会議場所
ニコニコ超会議3で開催された。直前の3月場所では自身初の大関角番を脱出したばかりである。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | シード | ||
2回戦 | ○ | 寄り倒し | 西前頭16枚目 里山 |
3回戦 | ○ | 押し倒し | 西小結 松鳳山 |
準々決勝 | ○ | 寄り切り | 西前頭10枚目 照ノ富士 |
準決勝 | ○ | 浴びせ倒し | 西前頭7枚目 千代大龍 |
決勝 | ● | とったり | 西横綱 日馬富士 |
大相撲超会議場所2015
ニコニコ超会議2015で開催された。当時の番付は東大関(2015年3月場所)。準々決勝は高安との同部屋対決となった。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | ○ | 寄り切り | 東前頭13枚目 勢 |
2回戦 | ○ | 寄り切り | 西前頭6枚目 魁聖 |
準々決勝 | ● | 寄り切り | 東前頭3枚目 高安 |
準決勝 | |||
決勝 |
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関連項目
脚注
- *実績から考えれば本来は関脇の実績を持つ若の里が親方の急逝さえなければ部屋を継いでいたであろうが、先代親方が急逝した当時はまだ若の里も現役であり、そのため既に引退していた部屋付の親方であった隆の鶴に白羽の矢が立った形だった。
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