稲葉一鉄単語

イナバイッテツ

稲葉一鉄いなば・いってつ 1515 ~ 1588※)とは、美濃戦国武将である。一は出後の号であり、名は稲葉良通いなば・よしみち)。

(※旧正16年没。新に直すと1589年没)

概要

安藤守就氏家卜全と並ぶ西美濃三人衆のひとり。美濃国曽根

初めは美濃斎藤家に仕えていたが、織田信長に寝返り、以降その配下として活躍した。三人衆の中で最も最後まで生き残った人物。非常に頑固な性格だったと言われ『頑固一は彼の名前であるといわれている。

生涯

稲葉氏は元々は伊予河野氏の一族で、一の祖稲葉稲葉通貞)のときに美濃に流れてきた。説によっては安藤守就と同じ賀氏の一族であった稲葉氏の名を、河野出身のが継いだとされる。

そんな訳で稲葉氏の家紋河野氏と同じ(折敷に三文字)であり、通字の「通」も共通している。

土岐・斎藤時代

稲葉通則の六男として誕生。美濃守護土岐氏が後継者争いでゴタゴタする中、稲葉氏は土岐頼芸の側についていたのだが、1525年に敵対する浅井亮政との『牧田の戦い』でと5人の全員討死してしまう。このため、僧侶になっていた良通(一)が急遽、稲葉督を継いだ。

らの後見を受けて事に育った良通は、はじめ土岐頼芸に仕えた。この頃、彼の姉妹深芳野が頼芸の側室となっており、後に斎藤道三に譲られ、斎藤義龍を産む事になる。

三が盗りを起こすと彼に味方し、やがて義三が対立すると義に味方し・・・と巧みにを変えながら、安藤守就氏家卜全とともに西美濃三人衆と呼ばれる美濃の有者となった。ところが、義の子・斎藤には疎んじられた。

このため、美濃侵攻を進めていた織田信長の調略に応じ、他二人と共に織田替えした。彼らの寝返りが決定打になり、1567年、稲葉山城が陥落しては逃亡、美濃斎藤氏は滅亡した。

織田時代

以後は織田臣として各地を転戦した。この時点で既に50歳をえているがまだまだ元気。浅井朝倉との戦い、長島一向一との戦い、長篠の戦いなどなど、信長の有名な戦いには毎回のように参加しており武功を挙げまくっている。特にの戦いでは初め横山包囲に参加していたが、途中で浅井本隊の横っへの攻撃に移って大打撃を与えており、徳川家康に次ぐ戦功第二とされた。

長島一向一との戦いでは、1571年に氏家卜全がしんがりを務めて戦死しているが、一1573年にしんがりを担当、囮作戦を成功させて生き延びた。

1579年、嫡男の稲葉貞通に督を譲る。このとき65歳。貞通は34歳、自分と共に各地で戦いの経験を積んでおり、年齢的に見ても特に申し分ないタイミングでの隠居だが・・・何か気になるものがあったのだろうか。

この翌年、安藤守就が内通の疑いをかけられて織田を追放されてしまう。美濃の有者として隠然たるを持っていた安藤賀)一族を排除して、岐阜となっていた織田信忠の統治を安定させるため、とも言われているが詳細は

稲葉は特にこうした処分はなく、織田臣として存続した。初めは親族にあたる安藤一族を匿ったりしていたらしいが、結局信長安藤氏を許すことはなく、本能寺の変の直後に守就たちが反乱を起こした際には一自ら討伐した。

なお武田滅亡の際、旧である土岐頼芸が発見され、彼を美濃に帰還させている。

本能寺の変以降

明智光秀家老だった斎藤利三は、元々は稲葉臣で一(姪とも)を妻としていた。そうした縁で利三の・福(のちの春日局)は稲葉に引き取られて養育されることになった。

会議の後、美濃織田信孝が治めることになるが、賤ヶ岳の戦いが勃発すると稲葉氏は羽柴秀吉織田信雄の側に付いた。小牧・長久手の戦いでは秀吉方で参戦。これ以降前線に出ることはなく、1588年11月、74歳で死去。

『頑固一』のイメージからな人物と思われることが多いが、学問や茶道にも通じた教養人であり、信長からも高く評価されていた。あと肖像画の眉毛がとっても太い

子孫

上述の通り、嫡男(次男)の稲葉貞通(1546~1603)に督を譲っている。貞通は関ヶ原の戦いで西軍に属したが、途中で東軍に寝返って功を挙げたため、戦後豊後臼杵5万石の大名となった。以後、幕末まで続く。

庶長子に稲葉重通(?~1598)がいる。こちらは別して、一が隠居後に住んでいた美濃清水を継いだ。重通の子・稲葉通重は関ヶ原で貞通と共に行動して清水1.2万石を安堵された・・・が、乱行を起こしたために1607年に々に易された。

利休七哲のひとり・牧村利貞は重通の子(一の孫)。

同じく重通の子に稲葉通という人物がいる。「みちみち」ではなく「みちとお」と読むらしい。名前のインパクトすごいが、なかなかどすエピソードが残る。
の牧村利貞が1593年に病死したとき、その息子がまだ幼少のため、通が2万石の遺領を継いだ。関ヶ原の功績で更に加増されて伊勢田丸4.5万石を領する。が、甥が成人してもの領地を返すどころか甥を暗殺するという暴挙に出て、その半年後に急死。呪いと噂される。その息子稲葉紀通も狂気の末に自殺しており、この系統は断絶している。

そしてもう一人、稲葉正成という人物について紹介しておく。彼は稲葉氏の庶流の氏の出身で、織田臣の林秀貞とも同族である。彼は初め重通の婿となっていたが、妻に先立たれたため、重通の養女となっていた斎藤福(春日局)と再婚した。そして小早川秀秋家老となり、関ヶ原での寝返りを実現させている。秀の死後は一度没落するが、福が徳川家光となったことで取り立てられた。最終的にこの系は10万石を領する譜代大名となっており、外様で5万石の稲葉よりも格上だった。

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける稲葉一鉄(稲葉良通)の力一覧。

戦国群雄伝以来皆勤で、顔グラも初期から変化が少なく、強く頑固そうな親父顔である(でも戦国群雄伝では白髪だった)。統率を中心に政治養分野も高い、場所を選ばず働ける人材。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 73 政治 71 66 野望 73
武将風雲録(S1) 戦闘 74 政治 56 69 野望 72 教養 69
覇王 采配 78 戦闘 77 智謀 49 政治 56 野望 72
天翔記 戦才 154(A) 智才 104(B) 政才 142(B) 68 野望 72
将星 戦闘 77 智謀 72 政治 71
烈風 采配 63 戦闘 69 智謀 71 政治 70
世記 采配 62 智謀 68 政治 65 野望 67
蒼天 統率 62 知略 65 政治 66
下創世 統率 63 知略 64 政治 63 教養 62
革新 統率 78 武勇 70 知略 72 政治 71
統率 78 武勇 70 知略 72 政治 71
創造 統率 76 武勇 67 知略 71 政治 70
戦国立志伝 統率 76 武勇 67 知略 71 政治 70

関連項目

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https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E7%A8%B2%E8%91%89%E4%B8%80%E9%89%84

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稲葉一鉄

1 ななしのよっしん
2017/09/02(土) 19:32:30 ID: SJ2r3YeCRd
記事立て西美濃三人衆のトリを務める安藤
2 ななしのよっしん
2019/04/06(土) 12:55:32 ID: I/5l2KO0fI
凄い武将だけど、いまいちマイナーってイメージ

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