穴拭智子単語

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アナブキトモコ
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穴拭智子(あなぶき ともこ)とは、「ストライクウィッチーズシリーズの登場人物である。

ノベルスオムスいらん子中隊シリーズ主人公CV.下地紫野

プロフィール

※複数の記述のある項については、特記のない限り、
 1937年末(『ストライクウィッチーズ零』第一部) / 1939年末(『スオムスいらん子中隊』一巻)
 の順に並んでいる。

モデル

モデル日本陸軍きっての戦闘機エース吹智。
ビルマ桃太郎」とあだ名され、自身は所属部隊に由来する「白色戦闘吹」を名乗った。
太平洋戦争序盤にフィリピン方面で初撃墜を記録ビルマ戦線や中国大陸へと転戦し、B-24を体当たりで撃墜する戦果も残した。1944年に本土に戻り、明野飛行学校に勤務。本土防戦ではB-29の撃墜も報告している。報告された撃墜数は51~53機。戦後陸上自衛隊ヘリコプター隊の揮などにあたり、2等陸佐で退役。

容姿・人物・能力

長い黒髪、切れ長のを持つ美少女。普段の軍装は扶桑陸軍ウィッチで一般的な巫女衣装と緋の組み合わせに手甲と脚甲をつけているが、地上では通常の軍服を着用することもある。扶桑事変のころは一色の長いマフラートレードマークとしており、マフラーには「拭」の四文字が(下手な字で)大書されていたという。

で頑固、責任感の強い堅い性格の持ちながら、情的で自信な面をあわせもつ。プライドの高さから高慢な雰囲気さえ漂わせるが、実際には繊細で落ち込みやすいところがある。調子に乗りやすいこと、そして雰囲気に流されやすいところが欠点。

ウィッチとしては、「ツバメ返し」の戦機動を大得意とする格闘戦戦法の申し子であり、エースウィッチによる個人戦闘義の信奉者。そのため一式戦闘脚「」の導入後も、格闘戦に優れた九七式戦闘脚に固執した。しかしスオムスにおいて、高速ネウロイに対してやむをえず高速のキ44増加試作機を使用して以降は認識をめ、持ち前の勇敢さとキ44の優速、そして鋭利なを活かした一撃離脱戦法を多用するようになっている。

経歴

生時代から飛行センス剣術に抜群の評価を受け、1937年扶桑事変では飛行第一戦隊に所属。江藤敏子揮のもと大陸へ進出してネウロイを迎撃した。この頃、旧式の九五式戦闘脚から宮藤理論を採用した九七式戦闘脚へと乗り換えている。事変終盤には扶桑へ侵攻したネウロイを相手に奮戦したが、この時の扶桑を用いた格闘戦の手さから、扶桑事変を描いた記録映画扶桑閃光』の役に抜されて大当たりし、一躍扶桑巴御前として扶桑全土に名が知られるようになる。

1939年、第二次ネウロイ大戦が勃発すると、欧州派遣される義勇兵のひとりに選ばれる。だが、格闘戦至上義で個人プレイを旨とする反面チームワークに欠ける智子の戦闘スタイルが危惧されたためか、派遣先は戦地カールスラントではなく北欧小国スオムスとなった。このことに、最前線への配置を望む智子は左遷同然と不満を抱き、派遣先で「スオムス義勇独立飛行中隊」を構成した各ウィッチたちが、いずれもそれぞれの軍に疎まれた「いらん子」ぞろいだったこともあって、智子は不遇感と屈を強めていった。

こうしたことから、スオムスでの智子は同じ「いらん子中隊」の隊員たちを疎み、自身を左遷した人々を見返すべくスタンドプレイを繰り返すようになる。しかし、強敵「ディオミディア」戦ではじめて「いらん子中隊」でチームを組み勝利したことからチーム戦闘覚め、以後は他の隊員たちとともに「スオムス義勇独立飛行中隊」として活躍。多大な戦果をあげて世界初の多合同部隊を成功へと導き、のちに統合戦闘航空団が成立する下地を築くことになる。

1940年、自身の量不足を痛感した中隊長エルマ・レイヴォネンから正式に揮権を引き継ぎ(それまでも実質的に智子が導していた)、第二代の中隊長に就任し、同時期には機をキ44(のちの「鍾馗」)へ更新1942年には反撃作戦で大戦果をあげてスオムス白薔勲章を受章(外国人では初)している。

1944年、4年以上にわたり所属したスオムス義勇独立飛行中隊を離任し、扶桑へと帰した。中隊長職の後任は代理として初期人員では最後のひとりとなる迫水ハルカ、正式にはスオムス空軍よりハンナ・ヘルッタ・ウィンド

交友関係

扶桑事変の際に同じ飛行第一戦隊に所属した加藤武子加東圭子黒江綾香らとは友同士であり、なかでも加藤武子(フジ)、加東圭子(ヒガシ)とは「扶桑の三羽」として名が知られた仲。しかし武子はいちく智子の格闘戦至上義を危惧しており、欧州派遣の際に自身をさしおいて武子が最前線カールスラント派遣に選ばれたことに昂した智子が一方的に仲違いする形となった。子についても『扶桑閃光製作時に智子が役に選ばれた経緯(撃墜数は子が勝っていたが、狙撃中心でに欠けると判断された)からわだかまりがあり、事変の戦勝式典で子が理な曲芸飛行に挑んで墜落・重傷を負う遠因となっている。

海軍では大陸での戦いで同じ飛行場を根拠地とした舞航空隊の坂本美緒若本徹子竹井醇子らと面識があり、彼女たちを率いた「軍北郷章香うっかり勝負を挑んだことも。また、『扶桑閃光』の大当たりによって「扶桑巴御前」の透な美貌と勇姿に憧れた少女たちがこぞって航空ウィッチを志願するといったこともあり、間接的ながら、陸を問わず扶桑ウィッチに最大級のを与えているといえる。

スオムス義勇独立飛行中隊では、智子に憧れ「お様」と慕ってくる迫水ハルカの並々ならぬ攻勢を相手するのに難儀しており、押された時の弱さを見抜かれほとんどを許している有り様。途中からはジュゼッピーナ・チュインニも加わっている。本人はそういう性癖の持ちではないと全面否定しているが、エルマ・レイヴォネンなどにはまったく信じてもらえていない。また、厭世的でマイペースを貫くエリザベス・F・ビューリングとの間ははじめの仲といってもいい状況だったが、スオムスでの戦いを経て良き相棒同士ともいうべき関係を築き上げている。

その他のスオムス空軍ウィッチでは、別の中隊を率いるミカアホネンからははじめ「いらん子」ということで見下されていたものの、ある戦いで、ミカの中隊が爆撃機ネウロイへの攻撃に集中できるよう、智子が単身で護衛の戦闘機をすべて引きつけて援護する活躍を見せたことで和解した。また、当然ながらエイラ・イルマタル・ユーティライネンのようなスオムスウィッチ勢も智子の名前を知っている模様。

登場

ヤマグチノボルによるノベルスオムスいらん子中隊シリーズ主人公として登場したキャラクターアニメストライクウィッチーズ』でも、宮藤芳佳に贈られた扶桑人形というかたちで姿が出ている。コミックストライクウィッチーズ零では扶桑事変時期の姿が描かれたが、2008年の三巻を最後に『いらん子中隊』の続刊が途絶え、2013年ヤマグチノボルが死去したことから、『いらん子中隊』以後の智子の動向は『オーロラの魔女』でゲスト的に数コマ出演(1942年)した以外不明なままとなっていた。

しかし2017年ヤマグチノボル旧友である築地俊ノベルブレイブウィッチーズPrequel』三巻において、1944年時のスオムス義勇独立飛行中隊を登場させた際、巻末の設定資料において智子ほか『いらん子中隊』の面々も収録され、初めて『いらん子中隊』後の動向が明確化された。

そして2018年、築地俊によるいらん子中隊フルリメークが発表となり、第一巻「プレミアム特装版」同梱のドラマCDでは穴拭智子役として下地紫野が配役されている。合わせてラジオLNAF.OA.」にも2018年9月パーソナリティとして登場。こちらのOP・EDラジオドラマでは1945年相当の智子である模様。

余談

ハルカを相手した際の戦績(というより落とされっぷり)から、ファンの間での撃墜王(撃墜される方)」というあんまりなあだ名を奉られている。

いらん子中隊シリーズの著者であるヤマグチノボルは軍用機ヲタでもあり、智子の搭乗機(キ27九七戦→キ44二式戦「鍾馗」増加試作機)にはその趣味が盛大に反映されている。『いらん子中隊』三巻末のあとがきでは「飛行機”」と題して滔々とっており、『いらん子中隊』を書くにあたって「”実際には性がよかったのに日のを見なかった”機体にスポットを当てたい」として「鍾馗」を例に挙げ、その設計を継いだ四式戦闘機疾風」をそれはもうべた褒め(エンジン以外)している。

この点では刊行が途絶えた後にも思案を繰り返していたようで、当人のTwitterでは、

「次巻(四巻)では傑作四式戦疾風[3]に載せたいが40年頃では理がある」

とか、「二式単戦二[4]妥協するしかないのか」

などとき、リプライで「キ87[5]出そうぜ!」と煽られてそれならキ83[6]出す!」

と返すようなこともあった。その煽りが五年後にフルリメークを担当することになった築地俊(当時は「ストライクウィッチーズシリーズとの関係し)なのだから、世の中というものは数奇なものである。

関連動画

関連項目

脚注

  1. *「智子の搭乗するキ27」の製造元名としては『スオムスいらん子中隊』から「中島」表記が使用されてきたが、作中世界では「長島」が正しく、『いらん子中隊ReBOOT!』より「長島」が採用されたことから、ここでも「長島飛行脚」の表記を採用した。
  2. *キ44については「中島」「長島」表記が混在するが、ここでは『ブレイブウィッチーズPrequel3 オラーシャの遠』巻末での表記を採用した。
  3. *中島飛行機キ84四式戦闘機疾風」。攻防速に優れた万傑作機。1943年初飛行。
  4. *中島飛行機キ44二式単座戦闘機鍾馗」の二甲。
  5. *中島飛行機キ87。四式戦「疾風」と較して高高度性と攻撃、航続時間に優れる。試作1機のみ製作され1945年初飛行。
  6. *三菱重工業キ83。爆撃機直掩を想定した大双発戦闘機。試験飛行で686km/h、敗戦後米軍による試験では高高度で762km/hを記録したという日本海軍史上最速機。試作4機のみ製作され1944年初飛行。

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穴拭智子

1 ななしのよっしん
2020/10/24(土) 11:18:57 ID: SvQDWI5XPa
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2 ななしのよっしん
2021/05/17(月) 09:50:31 ID: +tpEB+8dD6
後ってどうしてたの?
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3 ななしのよっしん
2022/07/11(月) 09:20:21 ID: DM/QL70qIu
苗字いやらしいですね…
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