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竹下 登(たけした のぼる、1924年2月26日 - 2000年6月19日)とは、日本の政治家である。
概要
島根県飯石郡掛合村出身である。島根県立松江中学校、早稲田第一高等学院を経て早稲田大学に入学する。早稲田大学在学中に軍隊に入隊、陸軍に志願する。1947年に早稲田大学を卒業。地元の中学校で教師として務める。
1951年から1958年まで島根県議会議員を務めたのちに、1958年衆議院選挙で国政に進出した。
第3次佐藤内閣では官房長官として初入閣し、田中角栄内閣でも留任される。その後も建設大臣や大蔵大臣を務めた。
1987年に自民党総裁及び内閣総理大臣に選出され就任、自民党結党後から在籍した人物としては初めての総裁である。総理大臣在任中には消費税法を成立させ、また施行時も在任中であった。また在任中に昭和天皇崩御と新天皇即位があり、改元が行われたため昭和最後の総理大臣であり、平成最初の総理大臣でもある。消費税導入の際にも支持率は低下したが、その後のリクルート事件により大幅に低下し支持率は10%を下回った。これにより内閣は総辞職に追い込まれ、竹下は首相を辞職した。
人柄・家族など
父は島根県議会議員だった竹下勇造、異母弟に竹下亘、前妻は政江夫人、後妻は直子夫人で三人の娘に恵まれる。長女の一子は金丸康信(金丸信の長男)に嫁いだことで、金丸家とも親戚関係となった。次女のまる子と自身の秘書を務めた内藤武宣との間に生まれたのが影木栄貴とDAIGOの二人である。三女の公子も竹中祐二と結婚し、「株式会社たけみ会」代表取締役に就任。
孫の影木栄貴によると、性格は「正直、小さい頃からじーちゃんが何考えてるかさーっぱりわかりませんでしたよ!!」と漏らしているとおり、かなりの天然だった模様。出雲弁も強いため、話している内容もさっぱりということも。一例を挙げただけでも…
- 幼い孫にいきなり憲法について語ったり、人口の多い国ランキングを発表しだしたり、豚や牛の話をしだす
- いきなり竹下が額で卵を割ったかと思ったら踊りながら孫の額でも卵を割り、微妙な形の不味い卵焼きを大量生産
- 散歩中、草むらを突っ切り森林へ突入。ゴルフ場に出なければ遭難するところだった
- DAIGOのことを「ゴリポン」と呼んでいた
- 総理大臣になって帰宅した最初の一言が「アイムソ~リ~ ボク総理♪」
- 内閣退陣の日、出迎えた影木を軽く手を回し、ポンポンと背中を叩いた…かとおもいきや、影木を持ち上げて腕力自慢を開始。片手で持ち上げられなかった時は酷く落ち込んだ。何に対して落ち込んだかは不明。
とまぁ、変わったところが多い政治オタクであった。上述のことから、はきはきと発言するが文章全体の意味がつかめない竹下語はもしかしたら、素のしゃべり方かもしれない。しかし、人への感謝の心を教えようとするなど、普通の祖父として接している。また、前妻の死因によるトラウマから他人を叱れないという一面もあったとか。
後妻の直子共々、麻雀を趣味としており、自宅に麻雀ルームを設けては友人らと麻雀に興じていた。その部屋には小渕恵三、川内康範、竹下のサイン色紙が置いてあるが、これは直子夫人が天和を出した時の記念として、その時のメンバーが書いたもの。
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関連項目
第71代,第72代,第73代 | 第74代 | 第75代 |
中曽根康弘(自由民主党) 1982~1987 |
竹下登(自由民主党) 1987~1989 |
宇野宗佑(自由民主党) 1989~1989 |
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