竹田玄洋(1949年3月7日~)とは、任天堂のゲームクリエイターである。
概要
1972年に任天堂に入社。2015年9月現在は代表取締役専務および技術フェローである。ハードウェア製作に関わっていることから、同じ代表取締役専務であり、ソフトウェア製作に携わっている宮本茂と比べるとあまり表に出てこない。しかし、後述するように任天堂にとっては重要な人物である。
岩田聡代表取締役社長に次いでNo.2に位置する人物であり、2014年の第74期定時株主総会に岩田社長が欠席した際には議長として出席したほか、2015年に岩田社長が逝去された際のプレスリリースでは右上に単独で代表者の表記がされていた。
その後、君島達己が代表取締役社長になることが公表され、取締役統合開発本部本部長から技術フェローに異動した。
『NINTENDO64』以降のテレビゲーム機の設計開発責任者を担当するなど、ハードウェア製作に関わっているイメージが強いが、1975年には任天堂最初のゲームデザイナーとしてアーケードゲームとして『EVRレース』を開発したり(横井軍平よりも早い)、1980年代には同じくアーケードゲームの『パンチアウト!!』の開発を担当するなど、ソフトウェアの開発も行った経験もある。
『ファミリーコンピュータ』および『スーパーファミコン』時代には、セーブデータのバックアップシステムや特殊チップの開発を担当。前者はいわゆる「復活の呪文」であるパスワードシステムを排除し(ちなみにドラゴンクエスト3でパスワードシステムのままだった場合はパスワードが800文字必要だったとゲーム雑誌に書かれている)、後者は複雑なゲームが開発できるようになった。
その後も宮本茂とともに『NINTENDO64』の3Dスティックや『Wii』のWiiリモコン、センサーバーの開発を担当している。
2017年4月27日の任天堂の人事異動告知より任期満了に伴い6月28日付けで技術フェローを退任、今後は特別顧問として後進の育成に務めるとの発表があった。フェローとしての後任は17年4月現在は未定だが、ハードウェア技術部門のトップとして『Wii』『Wii U』の本体開発や提携企業との折衝に携わった塩田興氏が取締役上席執行役員として就任が決定している。
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外部リンク
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