第二十駆逐隊とは、大日本帝国海軍が呉鎮守府籍の駆逐艦で編成した駆逐隊の1つである。
初代(1931-36)
ロンドン海軍軍縮条約締結を受け、吹雪型駆逐艦による駆逐隊を従来の4隻編成から3隻編成に組み替えたことで編成された。このため、以下の艦を当駆逐隊に編入した。(併記は編入元となる駆逐隊)
1931年編成時、第二艦隊第二水雷戦隊(旗艦「神通」)。
1932年12月~34年12月 呉防備戦隊。
1934年12月~解隊 再び第二艦隊第二水雷戦隊(旗艦「神通」)。
日本がロンドン海軍軍縮条約を破棄したことにより吹雪型駆逐艦3隻編成を廃止(新鋭の朝潮型・陽炎型の竣工もあり、条約型駆逐艦を除いても旧式となったことから)元の4隻編成に復元、各艦は原隊に復した。
なお、吹雪が属していた11駆は、この期間に訓練事故により僚艦「深雪」を喪っており、開戦時11駆は3隻編成のまま第一艦隊第三水雷戦隊に属すこととなる。また、東雲・薄雲が属した12駆も、1940年に薄雲が日華事変で損傷し12駆から除籍されていたため、薄雲を除く3隻編成で開戦を迎えている。
二代(1939-42)
1930年編成の第八駆逐隊(第3代)が1939年11月の異動で呉鎮守府籍となり、隊名も第20駆逐隊(2代)と改められた。詳しくは「第八駆逐隊」(1930-39)記事を参照されたし。
当隊も初代と同じく3隻編成(夕霧・天霧・朝霧)のため「狭霧」を第十駆逐隊(3代)に供出していたが、39年11月の編成替えにあわせて「狭霧」を編入、横須賀から呉への転籍に伴い20駆(2代)と改称。
40年5月1日付で第一艦隊第三水雷戦隊(旗艦「川内」)に属して開戦。直後、緒戦のボルネオ攻略作戦直後の対潜哨戒中に「狭霧」が蘭潜水艦「KXVI」雷撃により戦没(41.12.24)。
翌42年3月10日の第十二駆逐隊の解隊により「白雲」を編入。8月28日「朝霧」がヘンダーソン飛行場の米海兵隊第231飛行隊所属SBDの空爆により戦没、駆逐隊司令もこの際戦死したことを受け、同年10月1日の「朝霧」除籍と共に20駆も解隊され、「夕霧」「天霧」は第11駆逐隊に編入された。以下、「第十一駆逐隊」記事参照。
なお、「白雲」は解隊後の10月12日にサボ島沖海戦にて損傷し修理となり、元12駆僚艦「薄雲」と共に翌年4月1日付第五艦隊第一水雷戦隊第九駆逐隊(朝雲)に編入された。以下、「第九駆逐隊」記事参照。
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関連項目
- 駆逐隊
- 初代20駆
- 2代20駆
- 艦隊これくしょん~艦これ~
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