「紀霊」(キレイ ? ~ ?)とは、三国時代の群雄「袁術」旗下の将軍であり、3万の軍を率いて劉備を攻撃した際に、呂布らしい仲裁により兵を引き上げさせることになってしまった残念な戦績のみ記録されている武将である。
名前の読みの為か架空戦記動画では、お猿さんで無法地帯な袁術に対して「きれい」な役割になる事が多い。
正史では
徐州を統治していた頃の劉備が、袁術を攻撃して留守にしていた間に呂布によって徐州を奪われると、苦肉の策で呂布に降伏し小沛に駐屯した為、劉備攻撃の為に3万の兵が紀霊に与えられ、小沛で両軍が対峙した際に、劉備を滅ぼされると袁術に包囲網を敷かれると考えた呂布が仲裁に現れ、陣門に戟を突き立てた呂布は、戟の小枝に矢をあてる事ができたら軍を解散すると言う仲裁案を提示した。
将軍は天の威光そのものです。
と言って驚き、翌日宴会を開いた後に引き揚げた。と言う事だけが記録されている。なにやってんだアンタ!
演義では
山東出身で、重さ50斤(約11キロ)の三尖刀を操る袁術軍を代表する武人として登場し、小者と目立たない将ばかりな陣営の為に出番も必然的に多くなっている。
徐州を陶謙から譲り受けた劉備を攻撃した際は、関羽と30合ほど打ち合う武力を発揮したものの、休憩を挟んでの再戦を関羽が希望した際は、紀霊はその希望を断った。
※代わりに副将の荀正が関羽と渡りあおうとしたものの一撃でたおされてしまう。
劉備が呂布の裏切りにより徐州を奪われて、小沛に駐屯する事になった際には、袁術の命令をうけて再び劉備を攻撃しようと大軍と共に出立したものの、正史同様の呂布の仲裁により撤退した為、袁術を激怒させてしまう。
首が飛ぶかもしれない一触即発な状況下で、紀霊は袁術の息子「袁燿」と呂布も娘(呂玲綺のモデルの人物)との縁談話を袁術に献策したものの、劉備にふたたび徐州を統治してもらわんとする陳珪の策により頓挫した。
怒った袁術が呂布を攻撃せんと、張勲や橋蕤(橋ズイ)と共に紀霊も派遣されたものの、楊奉・韓暹が陳珪の手により呂布の側に寝返ると、紀霊は敗走した。
袁術が皇帝を自称し、民を省みない放漫統治で勢力が衰退すると、多くの袁術旗下の武将たちが放れて行く中で最後まで袁術に従った紀霊は、袁術が領土を捨てて袁紹を頼ろうと河北へ向けて財宝満載の荷馬車と共に出立すると、曹操より袁術追討の命令をうけていた劉備の攻撃をうけ、関羽より強いといわれる張飛と戦った際に紀霊は討ち取られ、張飛の引き立て役の任務を終えた。
コーエー(光栄)三國志シリーズ
コーエー三國志シリーズでは「三國志Ⅰ」初登場以来、袁胤・張勲・雷薄と共に袁術陣営では一度の欠場も無い古参武将である。
Ⅰでは、固有の顔グラフィック以外取り柄の無い武将だった。Ⅱで普通の武官となり、Ⅲでギリギリの能力ながらも将軍資格を有する武将に昇格した。以後、Ⅶを除いていずれも武力80以上をキープするまでに能力が向上し、袁術陣営最強の武将として君臨している。はっきり言って、張勲や橋蕤(橋ズイ)なんかより、よっぽど大将軍に相応しい。なお作品によっては、袁術の皇帝即位イベントで雷薄と共にこれを諫止したりしている。
関連動画
▼最初期の純プレイ動画「袁術で皇帝を目指す」に配下として登場。
※途中で引き抜かれ、最終回の最後には裏切り者として袁術と対峙し・・・
▼綺麗な紀霊
『三国志Ⅰ』の画像
補足
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | 57 | 24 | 59 | 82 | 46 | ||||
三國志II | 62 | 31 | 55 | ||||||
三國志III | 70 | 35 | 30 | 50 | 70 | 70 | |||
三國志IV | 72 | 80 | 34 | 29 | 49 | ||||
三國志V | 83 | 33 | 31 | 46 | |||||
三國志VI | 76 | 81 | 33 | 41 | 35 | ||||
三國志VII | 70 | 52 | 53 | 61 | |||||
三國志VIII | 81 | 52 | 50 | 61 | |||||
三國志IX | 74 | 81 | 54 | 50 | |||||
三國志X | 78 | 81 | 58 | 50 | 59 | ||||
三國志11 | 78 | 83 | 51 | 48 | 55 |
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関連項目
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仲王朝関連人物 |
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