綏靖天皇
(すいぜいてんのう 紀元前632年?~紀元前549年?)とは、古事記・日本書紀に記されている日本の第2代天皇である。
概要
神武天皇の正妃「媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)」の子で、異母兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)や同母兄の日子八井命(ひこやいのみこと)と神八井耳命(かむやいみみのみこと)がいる中で立太子された。
神武天皇がお隠れになられると、異母兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)が綏靖天皇を同母兄と共に弑逆しようと画策したが、事を察知した綏靖天皇らにより殺害された。この襲撃の際、兄の神八井耳命は恐怖で手足が震えていた為、綏靖天皇が手研耳命を射殺した。
即位後の業績については特に記録されておらず、古事記では45歳で、日本書紀では84歳でお隠れになられたと記されている。
綏靖天皇と言う諡号は、漢風諡号を持たない神武天皇から元正天皇までの44代(弘文天皇と文武天皇を除く)に対して、奈良時代の文人「淡海三船」が漢風諡号を一括撰進して以降呼ばれるようになったもので、古事記では神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)、「日本書紀」では神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)と呼ばれている。
※綏靖とは安らかに落ち着くの意。
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関連項目
初代 | 2代 | 3代 |
神武天皇(じんむてんのう) 紀元前660~紀元前585 |
綏靖天皇(すいぜいてんのう) 紀元前581~紀元前549 |
安寧天皇(あんねいてんのう) 紀元前549~紀元前511 |
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