緒形 拳(おがた けん)とは、日本の俳優(1937年(昭和12年)7月20日~2008年(平成20年)10月5日)。本名は緒形 明伸。
概要
元々芸名は「おがたこぶし」と読む。師匠である北条秀司の夫人(劇作家)が、怪我ばかりする緒形の身を案じて「芸名をつけよう」と提案。「手の大きさがコンプレックスだ」と語った所、いろいろアイデアを授かった中で生まれたものが「こぶし」だった。しかし、皆が「ケンさん」と読むのでそちらが定着してしまう。ちなみに本人はそのことを「不本意」としており、「『おがたけん』は通り名、本当は今でも『おがたこぶし』です」とのこと。
1958年に新国劇に入団、その約二年後に舞台『遠い一つの道』で主人公役に抜擢。同年に作品は映画化され、同役を緒形が演じ映画デビューを果たした。劇団員時代は大河ドラマに二作品連続で出演(太閤記、源義経)するという快挙も成し遂げている。
新国劇退団後はテレビドラマ・映画俳優をメインとしていくようになり、必殺仕掛人などを始めとしてさらに知名度をあげていく。90年代以降はその渋みのある容貌で老練した役もこなすようになり、後輩の俳優にも慕われる存在となった。
ちなみに息子の緒形幹太、緒形直人もこの付近(88年~89年)から俳優として活動を始めている。
ますます盛んな活躍が期待されたが、晩年は肝硬変からくる肝癌に悩まされ、2008年10月5日に同病によって死去。享年71。俳優の津川雅彦は、危篤に陥った緒形を見舞ったが、その時の緒形は危篤の人間とは思えないパワフルさを見せており、「俺の身体が治ったら白焼きのうなぎを食いに行こう!」と明るく語っていたという。
昔からバラエティ番組出演を敬遠しており、ほぼ全ての仕事を断っていた。しかし、トリビアの泉だけは緒形自身が大好きだったため、オファーされた時は珍しく快諾したとのこと。前述の芸名の件や後述のドラえもん好きはこの時に語ったもので、硬派な俳優とは思えない姿を見せ、番組の趣旨にも忠実に従っていた。
ドラえもん好きであることでも知られる。映画を見に行こうとした所、上映までまだ時間があり、暇を潰そうとして生まれて初めて入ったゲームセンターでドラえもんのぬいぐるみと出会い、一目惚れしたことがキッカケ。
初めてのゲームセンターのUFOキャッチャーでいきなり大量のぬいぐるみを手に入れたものの、預けられるところがなかったため、ぬいぐるみを抱えたまま映画を見たらしい。
ちなみに緒形が好きなのはキャラクター造形としてのドラえもんであり、ドラえもんの過去の設定、妹の存在などは一切知らず、あまり興味もなかったそうだ。
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