縄文人とは、縄文時代の日本列島に暮らしていた様々な人々の総称。
概要
縄文人とは、縄文時代(紀元前130世紀~紀元前4世紀)に現在の日本列島に分布していた様々な人々の総称である。「現代人」という語が、現代に生きるアフリカ人、欧米人、アラブ人、東洋人、等々のグループを一括りにした呼び方であるように、「縄文人」という語も「縄文時代の日本列島に分布していた諸集団」を一括りにした呼び方である。縄文人という何らかの共通的特徴を持った単一の集団が存在したわけではない。
ちなみに、いわゆる「縄文文化」なる語も同時代に日本列島で展開されていた4~9以上の異なる文化の総称で、縄文人と呼ばれる到達年代や定住地域の異なる諸集団が何らかの文化を共有していたということではない。
縄文時代の日本列島には、様々な方面から様々な年代に流入した様々な人々が住んでいた。
縄文人の遺伝子的ルーツとしては、少なくとも北方系縄文人、大陸系縄文人[1]、南方系縄文人などの3つ以上の異なるルーツが見つかっている。これらのグループは縄文時代の殆どの期間において別々の独立した集団として存在しており、これらのグループ間で混血が進むようになるのは縄文時代も晩期(紀元前10世紀頃)になってからのことである。
その後も日本列島には様々な人々が継続的に流入を続け、次第に日本列島に住む人々は縄文人的な諸集団から弥生人的な諸集団[2]へと交替していった。縄文人と弥生人とでは属する遺伝子グループが異なることから縄文人が単純に進化して弥生人になったのではないということまでは分かっているが、どのようにしてこれらの交替が起こったのかについては諸説があって詳しいことは分かっていない。
あまりフィクションの題材にはならない(当たり前だ)が荻原浩の「二千七百の夏と冬」は大変人気がある。縄文人の少年と弥生人の少女の恋と冒険を描いた長編小説で、上記の『縄文人から弥生人への交替』についてコロンブスの卵のような新説が提示されている。
関連項目
脚注
- 3
- 0pt