羽生善治とは、1970年9月27日生まれの将棋棋士。棋士番号は175。二上達也九段門下。
出身は埼玉県所沢市だが、幼い頃に東京都八王子市に引っ越したため、近年までは順位戦の出身地は“東京”となっていた(公式サイトのプロフィールは埼玉に訂正されている)。一番好きな駒は“銀将”。
また羽生と同世代の棋士には森内俊之・藤井猛・佐藤康光など特に強豪棋士が集中しており、メディアなどでは総称して“羽生世代”とも呼ばれる。
2023年からは佐藤康光の後を継いで将棋連盟会長を務めている。
棋歴
将棋との出会い~七冠王まで
小学1年生の時に、同級生から将棋の駒の動かし方を教えてもらったのが将棋との出会い。それから八王子にある将棋道場の席主に、母親が「買物している時間中、息子の相手をしてもらえないか」と頼んだのを機に頻繁に通うようになる。対局を重ねるごとに様々な戦法を吸収し、メキメキと実力をつける。
6年生で小学生名人を獲り、そのタイトルを引っさげて奨励会入会。1985年、中学3年生で四段昇段を決めてプロデビューを果たす(加藤一二三・谷川浩司に次いで史上3人目)。
その4年後、当時の最年少記録の19歳で、初のタイトル・竜王位を獲得。23歳で米長邦雄名人から最高位である名人位を奪取。
1995年、六冠として挑戦した王将戦で初めてタイトル奪取に失敗するが、なんと全てのタイトルを防衛して翌年度に再度挑戦者となり、1996年2月14日、史上初のタイトル棋戦全七冠(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将)独占を達成。7月30日に棋聖戦で失冠するまで167日間独占していた。
森下卓が「七冠は偉業ですが、プロ棋士にとっては屈辱でもある」と敬意を込めた皮肉を述べるなど、羽生の七冠独占は一般層にも話題を呼び、NHKでニュース速報として報道されたり、全国紙の新聞の一面に掲載されるなど大きなブームとなった。
近年の将棋に関する話題と2017年の永世七冠達成
2012年3月18日に放送されたNHK杯テレビ将棋トーナメント決勝で勝利し、通算10回目の優勝。史上初の名誉NHK杯選手権者となった。
同年7月、第83期棋聖戦を3-0で防衛、通算タイトル獲得数を81期とし、大山康晴の80期を抜き通算タイトル獲得数単独1位となる。
2014年にはA級順位戦を勝ち抜き、名人戦で4年連続の森内俊之vs羽生善治を実現させる(4連勝のストレートで、史上最多3度目の名人復位を果たす)。これで両者の名人戦での対局が合計9期となり、大山-升田の9期と並び歴代最多タイとなる。
2016年5月31日、第74期名人戦にて、佐藤天彦に1-4で名人位を奪取され、3冠(王位・王座・棋聖)に後退する。(2002年以降、羽生善治と森内俊之の両名しか名人在位者がいなかった為、大きな話題を呼んだ。)
同じく2016年、第2期叡王戦への出場が公にされたものの、本戦準決勝で敗退した。
2017年当初は三冠王であったが、夏・秋にかけて王位戦、王座戦と立て続けに防衛に失敗し、13年ぶりの一冠に後退する。
その一方で、10月から開催される竜王戦7番勝負の挑戦権を獲得し、第65期王将戦以来となる挑戦者の立場でのタイトル戦に臨んだ。
7番勝負はスコア3勝1敗で迎えた2017年12月4日・5日の第5局に勝利したことで、渡辺明竜王を4勝1敗で退け通算7期目の竜王位を獲得、「永世竜王」の有資格者となった。
既に獲得していた6つのタイトル戦の永世称号と合わせて永世位が存在する7タイトル全ての有資格者となり、前人未到の「永世七冠」を達成した。
2018年の朝日杯ではベスト4まで勝ち進み、準決勝で史上最年少棋士の藤井聡太と公式戦初対局。結果は黒星となり、優勝はならなかった。
第76期A級順位戦では6勝4敗で史上初の6人が参加するプレーオフへ進出。パラマストーナメント準決勝からの登場となったプレーオフでは、勝ち上がってきた豊島将之に勝利し決勝に進むと、決勝でも稲葉陽に勝利して、第76期名人戦の挑戦権を獲得した。佐藤天彦名人への2年越しのリターンマッチは、名人通算10期、タイトル通算100期、自身3度目の竜王名人を目指す番勝負であったが、2勝4敗で名人を獲得できなかった。
その名人戦に被るようにして始まった第66期王座戦挑戦者決定トーナメント、そして第59期王位戦挑戦者決定リーグ。王座戦では、初戦の相手は深浦康市であった。しかし、羽生はトーナメントを1勝もできずに敗退してしまう。
また、王位戦では、リーグ紅組を1位で抜けた羽生はリーグ白組のプレーオフを制した豊島将之と挑戦権を争うこととなった。尚、この時既に第89期ヒューリック杯棋聖戦の挑戦者も確定していて、そちらも豊島だった。その為かこの勝負は棋聖戦の前哨戦ともいえるもので、棋聖戦の内容を占うように見る人もいた。しかし結果は敗北。王位戦の挑戦権を獲得することは出来なかった。
そしてたて続けに始まった第89期ヒューリック杯棋聖戦、挑戦者は先述の通り豊島将之。王位戦挑戦者決定戦のわずか2日後だった。最終戦までもつれ込んだものの、結果は2勝3敗。ついに棋聖まで失うことになってしまった。これにより、残るタイトルは竜王ただ一冠のみとなった。
10月、迎えた第31期竜王戦は竜王初挑戦となる広瀬章人に対し、先に3勝して防衛・タイトル100期に王手をかけたものの、第6・7局目を連敗。第7局2日目の2018年12月21日を以て全てのタイトルを失い、1991年3月18日に棋王位を獲得して以来、27年9か月、10141日に及んだタイトル保持に一度幕を下ろした。 [1]
その後、羽生の肩書がどうなるか注目された(「九段」「前竜王」あるいは中原誠のように永世称号を名乗るか)が、本人の意向により肩書は「九段」となった。羽生が段位を肩書とするのは、1989年12月の竜王位獲得以来29年ぶり(一度竜王を失って無冠になっているが、当時は「前竜王」を名乗りそのまま棋王を獲得した)。
一方で、第68回NHK杯では順調に勝ち進み、決勝戦で郷田真隆に勝利して通算11回目の優勝を達成。一般棋戦優勝回数が単独首位となった。
2019年5月24日には王位戦挑戦者決定リーグ白組最終5回戦・谷川浩司戦で勝利して、大山康晴の通算勝利数に並ぶ。更に、6月4日の王位戦挑戦者決定リーグ白組のプレーオフで永瀬拓矢に勝利して通算勝利数を1434勝とし、大山の築いた記録を抜いて単独一位となった。
2020年9月29日に竜王戦挑戦者決定戦で丸山忠久九段との3番勝負を制し、第33期竜王戦の挑戦権を獲得。通算タイトル数100期を懸けて豊島将之二冠との7番勝負に臨んだが、1勝4敗で奪取ならず。
第80期(2021年度)A級順位戦(全9回戦)では、2022年2月4日の第8回戦終了時点で2勝6敗となり、名人在位を含めて29期連続で在位していた順位戦A級からの陥落が決定した。
2022年11月22日に王将戦挑戦者決定リーグ最終7回戦・豊島将之戦を制し、第72期王将戦の挑戦権を獲得。藤井聡太王将との7番勝負に臨んだが、2勝4敗で奪取ならず。
各タイトル毎の獲得数及び永世称号・その他戦績
- 竜王戦(連続5期獲得 または 通算7期獲得で永世竜王)
- 16回登場、通算7期(89,92,94-95,01-02,17)獲得。永世資格の存在する7タイトルの中で最初に獲得し、そこから28年という最長の歳月を経て、7タイトルの中では最後となる「永世竜王」の資格を獲得。
- 名人戦(通算5期獲得で永世名人)
- 17回登場、通算9期(94-96,03,08-10,14-15)獲得。「十九世永世名人」の資格を獲得済み。
- 王位戦(連続5期獲得 または 通算10期獲得で永世王位)
- 23回登場、通算18期(93-01,04-06,11-16)獲得。「永世王位」の資格を獲得済み。
- 王座戦(連続5期獲得 または 通算10期獲得で名誉王座)
- 26回登場、通算24期(92-10,12-16)獲得。「名誉王座」の資格を獲得済み。※この王座戦における羽生の19期連続防衛は、8大タイトルの中での最長防衛記録でもある。
- 棋王戦(連続5期獲得で永世棋王)
- 17回登場、通算13期(90-01,04)獲得。「永世棋王」の資格を獲得済み。(達成年度は1991年~1995年。)※他のタイトルと違い、棋王位に限り“通算”ではなく“連続5期”獲得でのみ永世称号を得ることができる難しい獲得条件となっており、現在「永世棋王」の資格を獲得しているのは、羽生と渡辺明の2名のみである。
- 叡王戦(永世資格の条件は2018年現在未設定)
- 2017年に一般棋戦から昇格した、八大タイトルの中で最も新しいタイトル戦。
- 2021年現在、羽生にとっては挑戦および獲得のない唯一のタイトルとなっている。
- 王将戦(通算10期獲得で永世王将)
- 19回登場、通算12期(95-00,02,04-08)獲得。「永世王将」の資格を獲得済み
- 棋聖戦(通算5期獲得で永世棋聖)
- 20回登場、通算16期(93前期-95,00,08-17)獲得。「永世棋聖」の資格を獲得済み。
獲得数は2023年9月26日時点のもの。なお、上記の「永世称号」の襲位・就位については、原則引退後。
また、タイトル戦だけでなく一般棋戦でも高い勝率を残しており、2012年3月にNHK杯戦決勝で渡辺明に勝利し、NHK杯4連覇・20連勝。同時にNHK杯通算優勝回数を10回とし、将棋界史上初の名誉NHK杯選手権者となった。連勝記録は2013年3月、当年度の決勝で渡辺明に敗れるまで24連勝に及んだ。
2023年9月26日現在、1543勝680敗、勝率0.6941。通算タイトル獲得数99期(歴代1位)、一般棋戦優勝45回(歴代1位)。
将棋に詳しくない人のために
A:羽生はどれくらい凄いの?
B:簡単に言うと、日本の将棋界には7つのタイトルがある。
A:うん。
B:過去10年間だと、延べ70人のタイトルホルダーがいるわけだ。
A:うんうん。
B:その70人のうち、半分の35人が羽生だ。
A:( ゚д゚ )
もちろん、分身の術を会得しているわけではない。
前述したように、初タイトルは89年の竜王(当時19歳)。翌1990年12月に谷川浩司に敗れ無冠に戻ったものの、そのわずか4ヵ月後の1991年3月に、棋王位を獲得。その日から2018年12月21日まで、27年間常に一冠以上のタイトルを保持し続けていた。1990年に無冠になった際には「前竜王」 [2]を名乗ったので、段位を名乗らずにタイトルホルダーに返り咲く形になった。そのため、初タイトル獲得以降29年間に渡って、羽生が肩書きとして段位を名乗ったのは、初めて竜王に挑戦した時の“六段”が最後だった(タイトルを保持していても段位を名乗る形になっていた第2期叡王戦では、三冠を持っていたが例外的に九段の肩書だった)。前述の通り、27年ぶりに無冠となった際には、段位である「九段」を名乗ることを表明した。
なお、1995年から2014年までの20年間に拡張しても、延べ140人のタイトルホルダーのうち、半分以上の72人が羽生である。
また、獲得賞金・対局料ランキング首位に23回(93~96, 98~12,14~16,18)なっている。惜しくも2013年は渡辺明に抜かれたものの、14年連続で1位を記録する。
ニコニコ動画との関わり
2007年のNHK杯戦、中川大輔七段との対局でまさかの大逆転を巻き起こした際の対局模様はニコニコ動画にも投稿された。単純な対局動画としてはかなりの人気を誇ったが、後の大盤解説で羽生本人がその対局動画を見ていたことを暴露されてしまい、羽生がニコニコユーザーであることが判明した。→参考URL
著書でもニコニコ動画について言及しており「楽しすぎて長時間見てしまうので、あまり見ないようにしている」 とのこと。
時折ニコニコ生放送にてタイトル戦の解説を務めることもあり、3時のおやつに舌鼓をうったり、奨励会時代からの友人でもある佐藤康光、森内俊之らとの数々の夜遊び“伝説”の検証、某・偉い人とテレフォンショッキングをしたり、盤上没我で数多の読み筋を示していく解説スタイルで視聴者に好評を博している。
棋風・対局スタイル
多くの棋士に得意な戦法があり、それぞれに「○○流」という呼び名が付けられる事があるが、羽生にはあまり冠される事がない。古今東西ありとあらゆる戦法を使いこなし、その全てで高い勝率を収めているためである。
デビューからの数年間は圧倒的な終盤力による逆転勝ちが多く、“羽生マジック”と呼ばれた。年齢を重ねるにつれ、卓越した記憶力による“過去の棋譜”に加えて、最新の序盤戦術や若手が生み出した新戦法もいち早く研究・体得し、中盤戦での卓越した大局観と合わせた今では、序盤・中盤・終盤隙がない棋士としてトップを疾走し続けている。
因みに羽生自身は「記憶力のピークは20歳前後ぐらいでした。それ以降、記憶力は衰えていってます」と述べている。
30歳を過ぎた頃から、一手のミスも許されないようなギリギリの終盤や、勝利を確信した際に手が震える(イップス症状)ことがある。 結果的にそのほとんどが勝利フラグとなっている。
現在の羽生の戦型は“居飛車中心”であり、振り飛車は非公式戦や将棋まつりなどの将棋普及の為のイベント的対局で指す事が増えている(ただし居飛車でも矢倉、横歩取り、相掛かりを指しこなし、相手の戦型に柔軟に対応している点は留意しておくべきである)。
チェスプレーヤーとしての羽生
趣味は、散歩とボードゲーム全般。
中でもチェスは、タイトル戦の合間を縫ってチェスのプロ棋士と対局も楽しむほど。
たまに海外遠征してグランド・マスターに勝ったり、全日本チャンピオンに勝ち1位になって
日本チェス界の裏ボスになる程度の趣味。
チェスの段級には大別してグランドマスター、国際マスター、FIDEマスターの三段階があり、羽生はその中で現在FIDEマスターを所持している。タイトル保持者は全世界でそれぞれ1000人、2500人、4000人ほどいるものの、日本人のタイトル保持者はFIDEマスターのわずか7人のみで、羽生はその中でも棋力を示すレーティングが最も高い(2014年11月現在、日本人トップのR2415)。
2011年10月にはフランスチャンピオンのマキシム・バシエ・ラグラーブと、森内俊之とともに二面指しで挑み、引き分けに持ち込んだ(同時に対局した森内は敗北)。
2012年4月にもイギリスの強豪プレイヤーであるナイジェル・ショートに全日本チャンプである小島慎也とともに二面指しで挑み、引き分けに持ち込んだ(同時に対局した小島は敗北)。当時の生放送→チェスのチャンピオン vs 羽生善治 世紀のチェスバトル“Check Mate Lounge”
そして2014年11月28日には、電王戦のエキシビジョンとして「チェス世界大会15連覇」の記録をもつ伝説のチェスプレイヤーのガルリ・カスパロフと対局を行なった(結果は羽生の2戦2敗)。
将棋星人のコピペ
839:名無し名人:2008/07/25(金) 09:39:28 ID:0ulRSLnj
おまえら、もし地球に将棋星人が攻めてきて、向こうの大将と
地球代表が将棋一番勝負で対決し、負けたら植民地にされる
という事態になったら、地球代表は絶対羽生でないとイヤだろ?
深浦でもいいのか?深浦に地球の命運を託せるのか?
羽生をけなしてるやつは地球規模で考えるんだ
将棋以外でも改変して使われることもあるコピペ。羽生本人が将棋星人ではないかとも言われている。
成績
昇段履歴
- 6級(1982年12月2日)・・・奨励会入会
- 初段 (1984年1月11日)
- 四段(1985年12月18日)・・・奨励会三段昇段後13勝4敗
- 五段(1988年4月1日)・・・順位戦C級1組昇級
- 六段(1989年10月1日)・・・タイトル挑戦(第2期竜王戦)
- 七段(1990年10月1日)・・・タイトル1期獲得(竜王)
- 八段(1993年4月1日)・・・順位戦A級昇級
- 九段(1994年4月1日)・・・タイトル3期獲得
タイトル戦登場履歴
タイトル | 獲得回数 | 永世称号 | 達成年 |
---|---|---|---|
竜王 | 7期 (第2期-1989年度・5・7~8・14~15・30期) | 永世竜王資格 | 2017年 |
名人 | 9期 (第52期-1994年~54・61・66~68・72~73期) | 十九世名人資格 | 2008年 |
王位 | 18期 (第34期-1993年度~42・45~47・52~57期) | 永世王位資格 | 1997年 |
王座 | 24期 (第40期-1992年度~58・60~64期) | 名誉王座資格 | 1996年 |
棋王 | 13期 (第16期-1990年度~27・30期) | 永世棋王資格 | 1995年 |
王将 | 12期 (第45期-1995年度~50・52・54~58期) | 永世王将資格 | 2006年 |
棋聖 | 16期 (第62期-1993年度前期~66・71・79~88期) | 永世棋聖資格 | 1995年 |
通算 | タイトル獲得合計:99期 | ※就位は原則引退後。 |
一般棋戦優勝履歴
- 朝日杯将棋オープン戦:5回(第3回-2009年度・5回・7回・8回・9回)
- 朝日オープン選手権:4回(第22回-2003年度~25回-2006年度)
- 全日本プロトーナメント:3回(第8回-1989年度・10回・16回)
- 銀河戦:5回(第8回-1999年度・第8回・9回・第12回・第14回・第20回※非公式戦時代の第5・6回も)
- NHK杯戦:11回(第38回-1988年度・41回・45回・47回・48回・50回・58回~61回・68回)
- 早指し選手権戦:3回(第26回-1992年度・29回・36回)
- 将棋日本シリーズ JTプロ公式戦:5回(第12回-1991年度・19回・24回・31・32回)
- 新人王戦:1回(第19回-1988年度)
- 勝抜戦5勝以上:4回(第11回-1988年度・13回・20回・22回)
- 天王戦:2回(第3回-1987年度・4回)
- 若獅子戦:2回(第10回-1987年度・12回)
優勝回数:45回
将棋大賞受賞履歴
- 第14回(1986年度) 勝率一位賞・新人賞
- 第15回(1987年度) 勝率一位賞・最多勝利賞・敢闘賞
- 第16回(1988年度) 最優秀棋士賞・勝率一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞
- 第17回(1989年度) 最優秀棋士賞・勝率一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞
- 第19回(1991年度) 敢闘賞
- 第20回(1992年度) 最優秀棋士賞・勝率一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞
- 第21回(1993年度) 最優秀棋士賞
- 第22回(1994年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞
- 第23回(1995年度) 最優秀棋士賞・特別賞・勝率一位賞・最多勝利賞
- 第24回(1996年度) 最優秀棋士賞
- 第26回(1998年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞
- 第27回(1999年度) 最優秀棋士賞
- 第28回(2000年度) 最優秀棋士賞・勝率一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞
- 第29回(2001年度) 最優秀棋士賞
- 第30回(2002年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞
- 第32回(2004年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞
- 第33回(2005年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・連勝賞
- 第34回(2006年度) 優秀棋士賞・名局賞
- 第35回(2007年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・名局賞
- 第36回(2008年度) 最優秀棋士賞・名局賞
- 第37回(2009年度) 最優秀棋士賞
- 第38回(2010年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞
- 第39回(2011年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞
- 第40回(2012年度) 特別賞・優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・名局賞
- 第41回(2013年度) 優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・名局賞
- 第42回(2014年度) 最優秀棋士賞・名局賞
- 第43回(2015年度) 最優秀棋士賞・名局賞特別賞
- 第44回(2016年度) 優秀棋士賞
- 第45回(2017年度) 最優秀棋士賞・名局賞
- 第50回(2022年度) 敢闘賞・名局賞
叡王戦戦績
関連動画
有名な大逆転の一局。解説は(左)加藤一二三、(右)勝又清和。
こちらも有名な鬼手▲5二銀が飛び出した(左)対局と(右)米長邦雄による解説。
(左)チェスのGMに勝った、世界的に有名な棋譜の解説。(右)電王戦に関するインタビュー。
(左)偉い人とのテレフォンショッキング。(右)貴重なおやつシーン。
関連生放送
関連項目
外部リンク
脚注
- *タイトルの連続保持日数は、主な者で以下の様になる。
大山康晴は1957年12月21日の王将奪取から1973年2月19日の王将陥落までの14年2か月、5167日。
中原誠は1970年12月10日の十段奪取から1982年7月31日の名人陥落までの11年8か月、4252日。
米長邦雄は1981年3月12日の王位奪取から1986年12月19日の十段陥落までの5年10か月、2109日。
谷川浩司は1987年8月28日の王位奪取から1996年2月14日の王将戦陥落までの8年6か月、3093日。
佐藤康光は2002年3月11日の王将奪取から2009年3月30日の棋王陥落までの7年1か月、2577日。
渡辺明が2004年12月28日の竜王奪取以来14年以上に亘って保持している。 - *竜王位を失い無冠になった場合、1年間「前竜王」を名乗れる。名人位に関しても同様で、「前名人」を1年間名乗れる。
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