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羽田 孜(はた つとむ、1935年8月24日 - 2017年8月28日)とは、日本の元政治家・元衆議院議員(14期)・民主党最高顧問である。
過去に自民党総務局長・第80代内閣総理大臣・新生党党首・太陽党党首・民政党党首・民主党幹事長などを務めた。
経歴
- 1935年(昭和10年)8月24日、東京都生まれ。1958年成城大学経済学部卒業。卒業後は小田急バスに入社し務めていたが父が倒れたのをきっかけに退社している。
- 1969年12月:衆議院議員初当選。
- 1985年12月:第2次中曽根再改造内閣にて第9代農林水産大臣として初入閣。
- 1988年12月:竹下改造内閣にて再び農林水産大臣(第12代)として入閣。
- 1991年11月:宮澤一郎内閣にて大蔵大臣(第96代)として入閣。
- 1992年10月:小沢一郎・奥田敬和・渡部恒三とともに改革フォーラム21(通称羽田派)を結成。
- 1993年6月:自民党を離党。新生党を結成し、党首に就任する。
- 1993年8月:非自民・非共産連立政権の細川護煕内閣にて副総理・第120代外務大臣として入閣。
- 1994年4月:第80代内閣総理大臣に就任するが2ヶ月ほどで退陣。
- 1994年12月:新進党副党首に就任。
- 1996年12月:新進党を離党し、太陽党党首に就任。
- 1998年1月:民政党党首に就任。
- 1998年4月:民主党幹事長に就任。
- 2000年9月民主党特別代表、2002年12月民主党最高顧問に就任した。2004年5月に国民保険未加入問題により最高顧問の職を辞したが、4ヶ月ほどで再就任した。
- 2010年10月:今期限りで引退することを表明。
- 2012年:衆議院解散に伴い引退。
- 2013年4月:桐花大綬章を受賞。
- 2017年8月28日、東京都内の自宅で死去、享年82歳。
概要
- 父は羽田武嗣郎(自民党所属の衆議院議員)、長男は羽田雄一郎(民主党所属の参議院議員)、次男は羽田次郎(立憲民主党所属の参議院議員)。いわゆる世襲一族である。
- 自民党所属時代のころ、竹下派七奉行の一人として数えられていた。
- 自民党を離党して一貫して政権交代を目指した政治家の一人としてあげられる。
- 民主党の政権戦略研究会(羽田グループ)の設立者である。ちなみに同グループにはもちろん息子も入っている。
- 小沢一郎と仲が良い。どのくらいかというと(自民党に所属していたころ)二人でワンセット・双子の兄弟と言われた程である。
- 大平正芳が発案した半そでスーツ(通称省エネルック)を着ていたことから一時的に注目されたことがある。(スーツが、変な意味で) ちなみに息子の雄一郎も省エネルックスタイルである。
- 親中派の代表格である。内閣総理大臣を務めていたころ、永野茂門法務大臣が毎日新聞のインタビューにて「南京大虐殺はでっちあげである」と発言した直後に速攻で更迭した。
- 近年体調不良気味であり、民主党代表選挙での投票の際に介護添えを必要としたり消費税増税採決の際に体調不良で棄権したりと体調の衰微が顕著化してきている。
- 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に出馬せず、政界引退した。ということで長男である雄一郎を参議院から鞍替え出馬させることを検討したが、民主党が脱世襲の方針を掲げたため実現することはなかった。ということで長野県議の寺島義幸を後継として出馬させた。そいで当選した。
関連動画
関連項目
リンク
第79代 | 第80代 | 第81代 |
細川護熙(日本新党) 1993~1994 |
羽田孜(新生党) 1994~1994 |
村山富市(日本社会党) 1994~1996 |
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