聖火リレーとは、オリンピック開催前に行われるイベントの1つである。
概要
ギリシャのオリンピアにあるヘラ神殿でおこした炎から採火し、トーチを持ったランナーがリレー方式で各国を回って、最後は開催国の会場に届けられるというのが聖火リレーの流れ。
聖火リレーの由来は、古代ギリシャで行われていた「平和の使者」である。オリンピックの開催が近づくと、ヘラ神殿でおこされた火を携えて全裸の男が各国を走り回り、休戦を知らせる役割があった。ただ、現在のように国をまたいでの大規模なものではなく、休戦を伝えるための手段に過ぎなかった。炎には火の神ヘスティアの加護が宿っており、炎が燃え盛っている間は繁栄が約束される。このため炎が消えないよう、ヘラ神殿では見張りが立てられる。
今でこそオリンピックに欠かせないイベントになった聖火リレーだが、初めて行われたのは1896年に近代オリンピックが始まってから40年後の、1936年にベルリンで開催されたの第11回オリンピックである。聖火リレーは初期の近代オリンピックでは行われていなかった後発のイベントなのである。
発案者はベルリンオリンピック大会組織委員会事務総長を務めたカール・ディームと言われている。国際オリンピック委員会も聖火リレーの開催に賛同した。ここから現在行われているような国をまたいだ壮大なリレーが始まった。
ベルリンオリンピックでの聖火リレーについて
聖火は1人1kmずつ、計3075名の手で運ばれ、ギリシャのオリンピアから北上し、ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコ、そしてドイツ・ベルリンに送り届けられた。
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、ドイツ軍は聖火リレーのルートを逆走してバルカン半島に侵攻した。実は聖火リレーの際の地理の調査が軍事情報に転用されていたのである。聖火リレーが各国を縦断して走る都合上、侵攻ルートの下見に打ってつけだったのである。この時に調査された陸路の記録はドイツ軍参謀本部に納められ、バルカン半島侵攻に活用された。
北京オリンピック(2008)での聖火リレーについて
エクストリーム聖火リレーの記事参照
パリオリンピック(2024)での聖火リレーについて
聖火リレーのランナー募集に関しては一つでも何か特徴的な事を行っている市民であることが重視された。これに加え、ジェンダー平等・障害のある人への配慮を施したものになっている。開会までの3か月間に渡りフランスの各地域、市町村の文化遺産を回り、市民生活の中でスポーツの役割を推進するプログラム「Terre de Jeux 2024(テールドジュー)」の認証を受けた地域も参加する。
持続可能な活動、即ちSDGsが各地で言われている中、パリオリンピックでは遂に化石燃料不使用の聖火台が開発、使用されるようになった。フランス電力が開発した聖火台は、200の高圧噴霧ノズルによる霧を40個のLEDスポットライトで照らす構造となっており、夜間は上空22mまで浮上する。
開会式自体がスタジアムを飛び出しセーヌ川周辺市街地を使用した事により、聖火は船でルーブル美術館付近まで遡上、チュイルリー公園の聖火台に点灯された。
関連動画
関連静画
関連項目
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