肉じゃがとは、肉とじゃがいもと野菜を煮込んだ煮物料理である。現在では日本のおふくろの味の代名詞として、家庭料理の代表作となっている。
概要
地方や家庭によって微妙な作り方の差異はあるが、肉、じゃがいも、玉葱、にんじん、絹さや(もしくは、インゲン、グリーンピース)、糸こんにゃく(もしくは、白滝)を、醤油、砂糖、みりん、だし汁などで甘辛く煮込んで作る煮物料理である。肉は、関西では牛肉、関東では豚肉が使われることが多いようである。
「肉じゃが」が、いつどのような経緯で誕生したのかは分かっていない。少なくとも1950年(昭和25年)には四谷見附の食堂のメニューに「肉ジャガ」という名の料理があったようであるが詳細は不明である。1964年(昭和39年)になればNHK『きょうの料理』で「肉じゃが」のレシピを確認することができる。一説には1938年(昭和13年)に東京築地の海軍経理学校が発刊した『海軍厨業管理教科書』にある「甘煮」が肉じゃがの原型なのではないかとする説もある。
これらとは別に「肉じゃがは東郷平八郎が作らせた」とするガセビアが有名である。
「肉じゃが海軍発祥説」誕生の経緯
「肉じゃがは東郷平八郎が作らせた」とする有名なガセビアが存在する。いくつかのバリエーションが存在するが、概ね以下のような話になっている。
日露戦争でバルチック艦隊を撃沈した当時の国民的英雄・東郷平八郎(1848~1934)が、イギリス留学中に食べたビーフシチューの味を気に入っており、日本へ帰国した後の1901年に、ビーフシチューを艦上食として料理人に作らせようとした。しかしビーフシチューに使われる赤ワイン・ドミグラスソース・バターなどの材料が入手困難であったため(あるいは曖昧な指示を受けた料理人がビーフシチューを知らなかったため)醤油と砂糖を使って作ったのが肉じゃがの始まりである。
これは1995年(平成7年)に肉じゃがによる町おこしの宣伝として舞鶴市が配布した小冊子の物語が史実と誤解されて広まってしまったものである。
この物語の作者「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」の代表は、小冊子では地元にゆかりのある人物を登場させたいという気持ちで東郷平八郎を登場させただけで、もとになった逸話や伝承があるわけではなく完全な創作であるとしている。
素人が考えた物語なので時代考証的な部分はちょっと雑である。
例えばビーフシチューは1870年代初頭には既に大衆向けにレシピ集が流通していたり街の洋食屋でも食べることができた料理だ。海軍でも遅くとも1889年までには採用されていたようなので、料理人がビーフシチューの作り方を知らなかったとするのは少し厳しい設定だろう。
また当時の海軍のレシピではビーフシチューに赤ワインやバターは使用していない。赤ワインやバターの代わりに醤油と砂糖を使ったとするのも当時の時代背景にはマッチしていない設定だろう。
まあ、あくまで宣伝のための作り話と断っている以上は細かい設定にツッコム方が野暮なのかもしれないが……。
「肉じゃが発祥の地」論争
最近では、東郷平八郎が赴任していた京都府舞鶴市と広島県呉市の両市が上記の発祥説をもとに「肉じゃが発祥の地」として名乗りを上げ、互いに発祥の地をアピールするなどといった激しいバトル(あるいはバトルにみせかけたPR)も行なわれている。
海軍式・肉じゃがレシピ
1938年(昭和13年)に海軍経理学校で刊行された『海軍厨業管理教科書』には「甘煮」(あまに/うまに)という名の料理が掲載されている。
当時の海軍では、ビタミン不足で脚気や壊血病で倒れる水兵が多く深刻な問題となっていたが、ビタミンという言葉すら生まれていない当時はそれらの病気は原因不明の病気であった。
そういった中で、栄養豊富である「甘煮」は(当時はなぜかわからなかったけど)その問題を解決できる画期的な料理としてもてはやされ、海軍の間に次第に定着していった。
一説には、兵役を終えた水兵や士官が「甘煮」を家庭に伝えて広まったものが「肉じゃが」なのではないかとも言われている。
海軍で定着した際も、家庭料理として定着した際も、シチューやカレーと同じ材料で作ることができるという点がポイントになっているようである。料理を作る側からみると、材料の扱いの面で便利な料理でもある。
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