- プロ野球選手一覧 > 能見篤史
能見篤史(のうみ あつし、1979年5月28日-)とは、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
---|---|
能見篤史 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県豊岡市 |
生年月日 | 1979年5月28日 |
身長 体重 |
180cm 74kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2004年自由獲得枠 |
引退 | 2022年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2013年 |
プロ野球選手テンプレート |
大阪ガスに就職したが、故障で投げられなかったため、幻の投手と言われていたが、5年目から登板を重ねるようになり、6年目には国際大会を経験した。
2004年ドラフト自由枠で阪神タイガースへ入団した。背番号14。
阪神時代
2005年(1年目)にいきなり一軍に昇格するも、シーズン後半にじわじわと調子をおとし、二軍降格。
2006年シーズンは中継ぎに転向するも、2試合連続逆転打を許すなどで安定せず、2勝4敗。
良いピッチングをしているかと思えばランナーを背負うととたんに崩れるさまは「ノウミの心臓」とも言われ、一軍と二軍を往復する年が続いた。
2009年はようやく才能が開花する。開幕から先発ローテーション入りを果たして4月18日に勝ち投手となり、592日ぶりの白星を上げる。途中勝ち星が伸びず中継ぎに降格したが、そこからピッチングが良くなり、先発復帰。そして9月に10勝目を挙げ、自身初の2桁白星を記録した。
特に後半の読売ジャイアンツ相手には阪神が長年苦手としていた内海哲也と4度も投げ合い、いづれも投げ勝つという神がかりな投球をした。
この年以降、能見は巨人キラーとして立ちはだかることになる。
2010年は開幕投手こそ安藤に譲ったものの、開幕から3連勝をマーク。しかし5月2日の巨人戦で走塁中に骨折し長期離脱。9月に復帰すると、先発だけでなく中継ぎでも登板し開幕からの連勝を8に伸ばし、9月の月間MVPに選ばれた。CSファーストステージ初戦に先発として登板するも、5回3失点で負け投手となった。
2011年はムエンゴながらも、12勝9敗をマーク。200投球回も達成した。
2012年は6,7月に打ちこまれたが、後半戦はまさにエースといったピッチングを見せ、ついに自身初のタイトルである最多奪三振を獲得した。
2013年、WBC日本代表に選出される。プエルトリコ戦では制球が定まらず2点本塁打を打たれ敗戦投手になるなど非常に悪い投球が続いた。しかしシーズンに入ると甲子園開幕戦でいきなり完封勝利を収め、その後も比較的安定した投球を見せ最終的にリーグ2位の防御率と、エースの役割を果たした。
クライマックスシリーズでは前田健太相手の試合がある兼ね合いもあり先発登板を温存された結果、阪神が2試合で敗退し、登板機会がないままシーズンを終了した。さらにはクライマックスシリーズファイナルステージ第4戦のゲスト解説が予定されていたが、3試合で勝敗が決しため、奇しくもこちらでも温存される結果となった。
また打撃面でも躍動し、自身初となる本塁打も放った。打線が得点力の低さにあえぐ中得点圏打率は3割近くを記録し、「得点圏では主軸より期待できる」といったジョークを言われることもあった。
2014年は開幕戦で5回10失点で大敗を喫した。5月16日の横浜DeNAベイスターズ戦から6月14日の埼玉西武ライオンズ戦まで5試合連続二桁奪三振(セ・リーグ新記録)を記録した。しかし前半戦終了時点で5勝8敗と不調に苦しみ、リーグワーストの13敗を喫した。クライマックスシリーズでは広島東洋カープ戦と読売ジャイアンツ戦で好投し、日本シリーズ進出に貢献した。オフにFA権を行使して阪神と契約した。
2015年は1年間先発ローテーションを守ったが、11勝13敗と負け越した。
2016年も8勝12敗と3年連続で負け越した。
2017年は23試合に登板し、6勝6敗で4年連続負け越しは免れた。
2018年は6月からセットアッパーに転向し、6月28日のDeNA戦で通算100勝を達成。阪神の生え抜き選手では1985年の山本和行以来33年ぶりだった。8月16日の広島戦ではプロ初セーブを記録。45試合の登板で4勝3敗1セーブ16ホールド、防御率2.56を記録した。
2019年は先発登板はなく、初めて中継ぎのみで51試合に登板。40歳以上での50登板は岩瀬仁紀に次いで史上2人目だった。1勝2敗18ホールド、防御率4.30だった。
2020年には鳥谷敬の退団に伴い同期入団の岡崎太一と共にチーム最古参の選手となり、この年もほぼシーズンを通して中継ぎとして一軍で投げ34試合に登板したが、防御率は4.74に終わった。41歳という年齢もあり来季の戦力構想から外れ、現役続行を希望して退団。同年に岡崎も戦力外となり、藤川球児が引退したため、2005年のリーグ優勝経験者が阪神からいなくなった。なお、ノウミサンの阪神での16年間の通算防御率は3.34である。なんでや!
オリックス時代
2020年12月8日、オリックス・バファローズへ一軍投手コーチ兼任で入団した。背番号26。
2021年はブランドン・ディクソンの入国目処が立たないこともあり、ビハインド起用からセットアッパー・クローザーに至るまで、場面を問わず起用される。5月8日の千葉ロッテマリーンズ戦で通算1500奪三振を達成した。二軍に降格してもコーチとして一軍に帯同した。26試合に登板し、2セーブ5ホールドを記録した。日本シリーズ第6戦ではワンポイントとして7年ぶりに登板し、村上宗隆を抑えた。
2022年は開幕から一軍に帯同していたが、選手としての調整がままならなかったため、4月22日にコーチ登録が抹消される。一軍と二軍を行き来しながら5試合に登板した。7月16日に選手全員をブルペンに招集し「何とかしようという気持ちが見えない。」と叱咤激励したことでチームは上向き、最終的にリーグ2連覇、日本一を達成した。9月15日に現役引退を発表し、9月30日のロッテ戦で最後のホールドを記録した。
プレースタイル
キレのあるまっすぐと、スライダー、フォーク、チェンジアップを投げる。クロスファイヤーを得意とするためか、右打者相手のほうが被打率が低い。時折腕を下げて投げることがある。
人物・その他
大阪ガス時代に映画『ミスター・ルーキー』にエキストラ役(阪神タイガースの投手)として出演した事がある。(背番号も同じ14)
ただし、タイガースが連敗するシーンで中継ぎ登板し炎上するという何とも微妙な役であった。
「アイドントライクノウミサン」
能見が先発した2012年6月9日のオリックス戦の4回、右翼を守るマット・マートン外野手が拙守により2塁ランナーの生還を許してしまう。
この守備について取材されたマートンは「レットゼムスコア。」「ニルイ、ドウゾ。アイドントライクノウミサン。ワカリマスカ?」などと発言したため、チーム内不和説が巻き起こり波紋を呼んだ。
2年連続の最多安打を獲得していたマートンもこの年は不調であり、この試合でも3度のチャンスでいずれも凡退していたこともあってか、記者の質問に苛立ち、逆ギレした形となった。
この騒動に対して藤川球児が「俺も能見さん、嫌いだし。」とブラックジョークでマートンをフォローするなど、チーム内でマートンの発言はあまり問題視されていないようであった。
この件以降、某掲示板中心に能見はノウミサンと呼ばれるようになり、能見が活躍した際には「アイライクノウミサン」、野手がチャンスで援護できなかったりエラーしたり、後続の投手が失点した際には◯◯(選手名)「アイドントライクノウミサン」などとネタとして書き込まれることがある。
余談ではあるが、この一連の騒動について書かれたエッセーの一部が2013年1月の近畿大学入試問題に採用され、ネットで話題となった。
この後、2013年4月9日の甲子園での巨人戦で、能見が完封、マートンが決勝点を叩きだし、両名がお立ち台に上がることとなった。
この時、マートンはインタビュアーの質問を「チョットマッテ、チョットマッテ」と遮り、能見の方に向き直り「ノウミサン、アイシテル!」と熱い抱擁を交わした。歴史的和解の瞬間であった。
騒動の幕を下ろす、マートンの粋なはからいだった。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
阪神 | 応援歌のピコカキコ一覧#860 | 11470 |
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | 阪神 | 16 | 12 | 1 | 0 | 4 | 1 | 0 | 1 | .800 | 64.2 | 27 | 64 | 40 | 40 | 5.57 |
2006年 | 38 | 2 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 8 | .333 | 47.0 | 16 | 46 | 27 | 26 | 4.98 | |
2007年 | 23 | 12 | 1 | 1 | 4 | 4 | 0 | 2 | .500 | 74.0 | 30 | 51 | 39 | 36 | 4.38 | |
2008年 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 11.1 | 6 | 10 | 6 | 6 | 4.76 | |
2009年 | 28 | 25 | 1 | 1 | 13 | 9 | 0 | 0 | .591 | 165.0 | 44 | 154 | 61 | 48 | 2.62 | |
2010年 | 12 | 10 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 62.1 | 13 | 57 | 23 | 18 | 2.60 | |
2011年 | 29 | 28 | 5 | 1 | 12 | 9 | 0 | 1 | .571 | 200.1 | 55 | 186 | 59 | 56 | 2.52 | |
2012年 | 29 | 27 | 3 | 2 | 10 | 10 | 0 | 0 | .500 | 182.0 | 37 | 172 | 61 | 49 | 2.42 | |
2013年 | 25 | 25 | 6 | 2 | 11 | 7 | 0 | 0 | .611 | 180.2 | 41 | 127 | 57 | 54 | 2.69 | |
2014年 | 26 | 26 | 3 | 1 | 9 | 13 | 0 | 0 | .409 | 169.1 | 48 | 151 | 81 | 75 | 3.99 | |
2015年 | 27 | 25 | 1 | 1 | 11 | 13 | 0 | 0 | .458 | 159.2 | 38 | 125 | 73 | 66 | 3.72 | |
2016年 | 26 | 24 | 2 | 1 | 8 | 12 | 0 | 1 | .400 | 147.1 | 52 | 261 | 67 | 60 | 3.67 | |
2017年 | 23 | 23 | 1 | 0 | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 128.1 | 40 | 119 | 57 | 53 | 3.72 | |
2018年 | 45 | 3 | 0 | 0 | 4 | 3 | 1 | 16 | .571 | 56.1 | 19 | 48 | 23 | 16 | 2.56 | |
2019年 | 51 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 18 | .333 | 44.0 | 24 | 41 | 21 | 21 | 4.30 | |
2020年 | 34 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 4 | 1.000 | 24.2 | 12 | 19 | 14 | 13 | 4.74 | |
2021年 | オリックス | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | .--- | 22.1 | 11 | 19 | 11 | 10 | 4.03 |
2022年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .--- | 3.2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 2.45 | |
NPB:18年 | 474 | 243 | 24 | 10 | 104 | 93 | 4 | 57 | .528 | 1743.0 | 515 | 1517 | 721 | 648 | 3.35 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
最多奪三振 | 1回 | 2012年 |
表彰 | ||
月間MVP | 5回 | 2010年9月、2011年10月、2013年5月・6月、2014年4月 |
JA全農Go・Go賞 | 1回 | 2009年5月 |
オールスターゲーム敢闘選手賞 | 1回 | 2012年 |
セ・パ交流戦優秀選手賞 | 1回 | 2013年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 2回 | 2012年、2013年 |
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