この記事は2024年3月22日までサミュエル・スマイルズの『自助論』を紹介する文章が大部分を占めていましたが、2024年3月22日に当該部分を自助論(サミュエル・スマイルズ)の記事に移しました |
自助論とは、以下のものを指す言葉である。
- 「人はいくらでも自助をすることができる」と述べて人の能力の高さを主張してから「人は自助をして周囲に負担を掛けない配慮をするべきである」と述べて人に道徳的義務を課す論理。
- 英国人サミュエル・スマイルズが著述した自己啓発本。自助論(サミュエル・スマイルズ)の記事を参照
本記事では1.について記述する。
概要
定義
「人はいくらでも自助をすることができる」と述べて人の能力の高さを主張してから「人は自助をして周囲に負担を掛けない配慮をするべきである」と述べて人に道徳的義務を課す論理のことを自助論という。
2つの段階
自助論の第1段階は「人はいくらでも自助をすることができる」と述べて人の能力の高さを主張する段階であり、人の能力についての認識論を述べる段階である。これについて本記事の『自助論の第1段階』の項目で詳しく述べる。
自助論の第2段階は「人は自助をして周囲に負担を掛けない配慮をするべきである」と述べて人に道徳的義務を課す段階であり、人の行動についての道徳論を述べる段階である。これについて本記事の『自助論の第2段階』の項目で詳しく述べる。
自助論から派生する気分
自助論を重視すると「人は自助をするべき存在なので困っている人を助ける義務を怠っても免責される」という気分が派生する。これについて本記事の『自助論から派生する気分』の項目で詳しく述べる。
自助論の各段階の別称
自助論の第1段階は万能感に酔いしれる段階であり、自助論の万能感段階という別称で呼ぶこともできる。
自助論の第2段階は憎悪に燃える段階であり、自助論の憎悪段階という別称で呼ぶこともできる。
自助論から派生する気分にひたる段階は困っている人を見殺しにして幸福感にひたる段階であり、自助論の見殺し段階という別称で呼ぶこともできる。
万能感・憎悪・見殺しというのが自助論につきものである。
話題となった例
日本で自助論が話題になったのは2020年9月2日以降のことである。この日に自民党総裁選への立候補を表明した菅義偉官房長官がNHKのニュース番組「ニュースウォッチ9」に出演し、どのような国作りをしたいか問われ、「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」と答えた[1]。
2020年9月といえばコロナ禍の経済不況で苦境に陥っていた国民が多かった時期である。その時期にあえて自助を真っ先に挙げた菅義偉官房長官は大いに論評の的となった。
自助論を好む人たち
株主資本主義(株主至上主義)を支持する人は自助論を好む傾向にある。株主資本主義者は労働者に「労働者は賃金を多く与えられなくても自助をして生き残ることができる」と自助論を語って賃下げを受け入れさせようとする傾向が強い。
小さな政府や緊縮財政を支持して福祉を削減しようとする人は自助論を好む傾向にある。そういう人は国民に「人は政府から福祉という支援を与えられなくても自助をして生き残ることができる」と自助論を語って福祉の削減を受け入れさせようとする傾向が強い。
似ている言葉
自助論と似ている言葉として自己責任論というものがある。
「人は自分のする行為について責任をとることができる」と述べて人の能力の高さを主張してから「人は自分のする行為について責任をとるべきである」と述べて人に義務を課す論理のことを自己責任論という。
「自分のする行為について責任をとる」というのは、「自分のする行為が自分に損害を与える場合に自分が費用を負担してその損害を解消する」という意味である。
自助論は「人は自分で自分に利益を与えられるし、自分で自分に利益を与えるべきである」という論理であるのに対し、自己責任論は「人は自分で自分の損失を解消できるし、自分で自分の損失を解消するべきである」という論理であって、2つはよく似ている。
自助論の第1段階
定義
自助論の第1段階とは、「人はいくらでも自助をすることができる」と述べて人の能力の高さを主張する段階であり、人の能力についての認識論を述べる段階である。
全能感・万能感に満ちあふれた言い回し
自助論の第1段階では、「人には物凄く強い潜在能力がある」「人には強大な生命力・生存本能が備わっている」といった言い回しが使われる。このような言い回しで人に自信を持たせて「自助など簡単にできる」という気分にさせ、自助をする意欲を刺激する。
こういうことを言い続けると、自分がスーパーマンであるかのような気分になり、全能感・万能感に満ちあふれた気分になる。『自助論(サミュエル・スマイルズ)』においても全能感・万能感に満ちあふれた文章が見られる。
覚醒剤を使用するとスーパーマンになったかのような感覚になり、「自分には強大な力が備わっている」と信じ込むようになり、全能感・万能感に満ちあふれた状態になる[2]。自助論の第1段階を繰り返し口にする人と覚醒剤を使用する人には共通するところがある。
派生する気分その1 貧困など恐れることはない
自助論の第1段階は人の全能感・万能感を刺激するものである。この第1段階を繰り返し口にすると、「貧困など恐れることはない」という気分が生まれる。
自助論を好む人というと株主資本主義者である。株主資本主義というのは簡単に言うと労働者に与える賃金を減らして株主に与える配当を増やそうという思想であり、労働者を貧困にする思想である。その株主資本主義者にとって、自助論の第1段階から派生する「貧困など恐れることはない」という気分はとても歓迎すべき気分である。
『自助論(サミュエル・スマイルズ)』においても、「貧困は人を成長させる」などと貧困を賛美する文章がしばしば見られる。これは「貧困など恐れることはない」という気分から書かれた文章である。
派生する気分その2 過労など恐れることはない
自助論の第1段階は人の全能感・万能感を刺激するものである。この第1段階を繰り返し口にすると、「過労など恐れることはない」という気分が生まれる。
自助論を好む人というと株主資本主義者である。株主資本主義の作用として、労働者の賃金を維持しつつ労働者を労働強化して企業の収益を増やす作用があり、労働者の賃金を減らして使用者が労働者に残業を依頼しやすい状況を作り出して長時間労働を増やして企業の収益を増やすという作用がある。その株主資本主義者にとって、自助論の第1段階から派生する「過労など恐れることはない」という気分はとても歓迎すべき気分である。
『自助論(サミュエル・スマイルズ)』においても、過労・過労死・メンヘラ・働き過ぎ・仕事中毒(ワーカホリック)による家庭崩壊を心配するような文章が出現しない。これは作者のサミュエル・スマイルズが「過労など恐れることはない」という気分に浸っているからである。
副産物その1 世渡り上手になる
自助論の第1段階は人の全能感・万能感を刺激するものである。この第1段階を繰り返し口にすると、世渡り上手になる効果がある。
自助論の第1段階の言い回しは「あなたは強くて無限の能力がある」という言葉が例に挙げられるが、そういう言葉は立派な社交辞令になるからである。
満面の笑みを浮かべながら「あなたは強くて無限の能力がある」というように自助論の第1段階の言葉を語っていれば、社交辞令を抜け目なく言って周囲の人の機嫌をとる人になることができ、社交的で世渡り上手な人になることができ、周囲から嫌われずに済む。
副産物その2 争議権が封印される
自助論の第1段階は人の全能感・万能感を刺激するものである。この第1段階を繰り返し口にすると、人々の争議権が封印されるという効果がある。
自助論を好む人というと株主資本主義者である。その株主資本主義は労働組合の争議行為を非常に嫌がる思想であり、なんとかして労働者の争議権を制限したいと考える思想である。
そして日本の法律では、ものすごく強い労働者が争議行為をしたときに重い罰を課され、ある程度強い労働者が争議行為をしたときにやや重い罰を課され、権力らしい権力を持っていない労働者が争議行為をしたときに全く罰を課されないという傾向がある。防衛出動命令を受けた自衛隊員は日本国内でも最強の存在だが、その彼らが争議行為をすると最大で7年の懲役・禁錮を課される。非現業の公務員は権力を行使する存在なのである程度強い存在だが、その彼らが争議行為をすると最大で3年の禁錮を課される。民間企業の労働者は権力らしい権力を持っておらず弱い存在であり、その彼らが争議行為をしても全く刑罰を課せられない。このため人々の間には「強い存在は争議行為が許されない」という漠然とした意識がある。
このため、自助論の第1段階を口にして人に対して「君はものすごく強い」と吹き込めば、それを聞かされた人は「自分はものすごく強いのだから争議行為をしてはいけないのだ」と思い込むようになり、争議権を自ら封印するようになる。これは株主資本主義者が心から望むことである。
自助論の第2段階
定義
自助論の第2段階とは、「人は自助をして周囲に負担を掛けない配慮をするべきである」と述べて人に道徳的義務を課す段階であり、人の行動についての道徳論を述べる段階である。
言い回しその1 他者加害原理に基づいて相手の自由を奪う
自助論の第2段階では、「人は自助をして周囲の負担を減らすべきである」という言い回しが使われる。これは相手に自助をするという義務を課して相手の行動を束縛するものであり、相手を規制するものであり、相手の自由を取り上げるものである。
これはどういうことかというと、自助をせずに周囲の負担を増やす者を「他者に加害をしている者」と認識し、他者加害原理を考慮し、自助をせずに周囲の負担を増やす者の自由を剥奪しているのである。
言い回しその2 憎悪しつつ相手を叱りつける
自助論の第2段階では、「周りに迷惑を掛けるな」「周りの足を引っ張るな」という言い回しが使われることがある。こうした言い回しは相手を叱りつけるようなものであり、親が子に説教するときのようなものであり、教師が生徒に説教するときのようなものであり、上から目線で威圧するものである。
自助をせずに周囲の負担を増やす者を「他者に加害をしている者」と認識すると、次第に、自助をせずに周囲の負担を増やす者に対する憎悪と非難の感情が芽生えてくる。そのため相手を叱りつけるような言い方になる。
『自助論(サミュエル・スマイルズ)』においても自助をせずに周囲の負担を増やす者への憎悪をむき出しにして激しく非難する文章が数多く見られる。
言い回しその3 フリーライダーとかTANSTAAFLという言葉で知識をアピールする
自助論の第2段階では、「フリーライダーになることはいけないことだから自助をしろ」「世の中にフリーランチなど存在せず、TANSTAAFLこそが世の中の真理なのだから自助をしろ」という言い回しが使われることがある。
こうした言い回しを理解するには経済の知識を必要とする。「自分は経済の知識がある」とアピールしたい人はこういう言い回しを好む。
自助論から派生する気分
自助論から見殺しの気分が派生する
自助論の第1段階や第2段階を繰り返し語ると、「人は自助をするべき存在なので、困っている人を助ける義務を怠っても免責される」という気分が派生する。
その気分をさらに言い換えると、「人は自助をするべき存在なので、困っている人を見殺しにしたり見捨てたりしても免責される」とか「人は自助をするべき存在なので、困っている人の存在を見て見ぬ振りしても免責される」というものになる。
困っている人を見殺しにしたり見捨てたりしたいと考える人に向く
人類社会において、たいていの場合、困っている人を見殺しにしたり見捨てたりすると「困っている人を助けない者は自己中心的で、利己的で、自分本位で、エゴイストで、冷酷である」という非難を受ける。そうした非難は、非難を受ける者の罪悪感を大いに刺激し、非難を受ける者を精神的に打ちのめす効果がある。
しかし、自助論を盛んに述べておけば、「困っている人を助けない者は冷酷である」という非難を受ける可能性が劇的に減る。
このため、困っている人を見殺しにしたり見捨てたりしたいと考える人にとって自助論はとても大事な思想である。
株主資本主義を追求すると、困っている労働者に対して賃下げして、困っている労働者を見捨てたり見殺しにしたりするようになる。株主資本主義を追求する者にとって自助論は大事な思想である。
小さな政府や緊縮財政を支持して福祉を削減しようとすることを追求すると、困っている人に対して福祉を削減して、困っている人を見捨てたり見殺しにしたりするようになる。福祉を削減しようとすることを追求する者にとって自助論は大事な思想である。
幸福感に満ちあふれた楽天的で快活な気分を維持しようと考える人に向く
世の中には、不幸や退廃に苦しむ人々を見たら目をそむけ、見なかったことにして、幸福感に満ちあふれた楽天的で快活な気分を維持しようとする人がいる。
そういう人にとって、自助論から派生する「困っている人の存在を見て見ぬ振りしても免責される」という気分はとても都合がいいものである。
『自助論(サミュエル・スマイルズ)』においても「不幸や退廃に苦しむ人々を見たら目をそむけ、見なかったことにして、幸福感に満ちあふれた楽天的で快活な気分を維持しよう」と主張する文章がある。
関連項目
脚注
子記事
兄弟記事
- なし
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- ページ番号: 5622222
- リビジョン番号: 3255817
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