自虐史観とは、自国を過度に悪とみなす歴史観のこと。対義語は自由的歴史観。
概要
太平洋戦争が終了すると、明治以後の戦前の日本を悪とするような歴史観が勃興するようになった。それが自虐史観である。その背景には戦前に、天皇を現人神とする皇国史観があった。当時の政府は歴史学会に圧力をかけ、天皇に対する実証的な研究には規制を加えていた。戦争が終わり皇国史観の圧力が取り除かれると、今度は天皇を一つの政治的な地位と見なす唯物史観が生まれた。唯物史観は古事記、日本書紀を聖書でなく史料として読み解くなど、古代研究を大きく発展させる一方で、戦前の反動で反国家主義的、反天皇主義的歴史イデオロギーとしての性格を帯び始めた。その中で戦前の日本を過度に悪とみなすものが自虐史観と呼ばれたのである。そのため自虐史観のことを左翼的歴史観、唯物史観と呼ぶこともあるが、本来的な意味の唯物史観と自虐史観はまったく別のものである。
例えば、自虐史観には以下のようなものがある。
- 戦前の日本は朝鮮半島や中国をはじめアジアの国々を領土的野心から侵略し、たくさんの人を苦しめた。
- とりわけ日本が植民地とした朝鮮半島で行われた「強制連行」「創氏改名」「従軍慰安婦」「皇民化教育」などは許しがたい。
- 従軍慰安婦の慰安所を設置するために、日本軍は慰安婦にする目的で現地女性を強制連行した。
- 1937年の南京大虐殺では日本軍により虐殺・放火・殺人・強姦が行われ、民間人を含む約三十万人の犠牲者が出た。
- 日本はその行為を英米に咎められ戦争に発展したが、大敗した。侵略者である我が国が原爆を落とされても仕方ない。
このような視点による歴史教育は義務教育の中で恒常的に行われていることもあり、「これでは日本人は自国の歴史と文化、また日本人であることに誇りをもてない」と主張する人もいる。また、日本が自虐史観を持つようにと中国や韓国、北朝鮮からの政治的圧力がないとも言えないのが現状である(向こうからしたらそれは「正しい歴史認識」となる)。
近年では以上のような自虐史観を改めるべく、自由主義史観から近代史を捉えなおした歴史教育を行うための「新しい教科書を作る会」などが発足している。しかしそのような歴史の見直し運動は中国や韓国、北朝鮮などから強い反発を受け、深刻な政治問題にまで発展してしまった。
くわえて最近では、史学的見直しや祖先の名誉回復運動の域にも達していない、単なる憂さ晴らしの嫌韓、嫌中ブーム、ヘイトスピーチなども社会問題となっている。
さらに上記のような内容を否定しようとする過程で、例えば「南京大虐殺はでっちあげだ」といったような急進的な主張が行われることも少なくない。しかし1937年の南京で起きたことについては犠牲者数などについて議論があるのは確かであるが、1937年の日本軍南京入城時に「非戦闘員の殺害や略奪行為等」が行われたことについては日本政府の公式見解として「否定できない」としており、外務省が公表している日中歴史共同研究の資料にも登場している。事件自体がでっちあげというべきものだとする主張は、現在のところ広く認められたものとは言い難い。適切でないと考える自虐史観を改めようとするあまりに、このように逆方向から適切ではないと指摘されうる主張がなされた場合、「歴史修正主義」として非難されることもある。ただし「適切であるかどうか」の判断は困難なものであるため、ある主張について「自虐史観である」「歴史修正主義である」とすることは安易なレッテル貼りになってしまう危険もある。
一つの歴史的事象を一義的に正義や悪だと述べるのは不可能である。例えば、現在の韓国・北朝鮮両国からは侵略行為であったと見なされている「朝鮮併合」について、朝鮮の社会インフラ等を整備し近代国家としての基礎を作ったという点を重視して肯定的な面が主張される場合もある。太平洋戦争自体の戦争動機についても、他の選択肢が狭まった状況で自衛の為に選択された戦争であって純粋な野心に基づく侵略というわけではなかったという主張もある。個々人のレベルではさらに多様であり、自虐史観で語られるような残虐な行為を行った日本兵が存在したことも否定できない一方で、東南アジアを欧米から解放するための戦いであると考えていた日本兵や、さらには太平洋戦争が終結した後もインドネシア独立戦争に参加した日本兵などもいた。このインドネシアの例を引けば、日本の戦争行為がインドネシアの独立運動を後押ししたと見なすこともできる。
これら正義・悪の両面の要素があった出来事について、戦争に負けて発言力が落ち「悪」の部分が強調された結果が自虐史観であるとも言える。つまり、歴史の基本「歴史は勝者によって書かれる」というわけだ。
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