航空戦隊単語

コウクウセンタイ
  先駆者「若宮」 (第一次世界大戦)
  「鳳翔」すべての始まり (大正11年)
  一航戦 (昭和3年)
  実戦出動 (昭和7年)
  二航戦の編成 (昭和10年)
  臨戦態勢 (昭和15年)
  南雲機動部隊 (昭和16年)
  再建 (昭和17年)
  落日の空母機動部隊 (昭和19年)
  すべての終わり (昭和20年)
  (資料)日本空母就役・戦没一覧
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 航空戦隊とは、旧・日本海軍における部隊編成単位のひとつ。

 一般的には空母の部隊である「第一航空戦隊」などが有名だが、水上機母艦による「第十一航空戦隊」や軍の基地航空隊である「第二十一航空戦隊」、訓練隊の「第五十航空戦隊」、輸送機部隊の「第一〇一航空戦隊」なども存在した。

 とはいえ基地航空隊の航空戦隊などは、太平洋戦争の開戦直前や戦中に立てられた部隊であり、「航空戦隊」といえば長年にわたって空母の部隊をす呼称であった。

 この項では第一航空戦隊を中心に、日本海軍における空母の運用史を観察する。

 先駆者「若宮」 (第一次世界大戦)

 日本海軍が初めて航空機を積んだ艦艇から、航空機を発進させて作戦を行なう】という運用をした艦艇は、第一次世界大戦でのドイツ植民地攻略戦における「若宮」(若宮丸)である。

 「若宮」はもともと、日露戦争の際にロシア向けの物資を積んでいて日本海軍鹵獲された「レシントン」という英国製の輸送船で、その後「若宮丸」と名をめて、軍が輸送船として使っていた。大正2年(1913年)から航空機水上機)用設備を設置する工事を行い、その年の演習より水上機を運用。最終的に航空設備を設置し終えた大正3年(1914年)8月23日ドイツへの宣戦布告と同時に中国へ出撃する。
 搭載の機体はモーリスファルマン式水上機(モ式イ号。本来は陸上機の輪を、水上機フロートに付け替えたもの)が4機。大1機と小1機は成形のまま、小2機は分解して積んでいた。発着艦については、もちろん射出機(カタパルト)など存在しない時代なので、発艦は機体をデリック面におろして自発進させ、着艦も艦のそばに着した機体をデリック釣り上げて回収する、というものだった。

 大正3年9月4日、「若宮丸」はドイツ軍基地に対して初めて航空機を発進させる不良のため成果なし)。翌9月5日、「若宮丸」を発進した大の三座モ式機は基地の偵察に成功。ドイツ巡洋艦「エムデン」の不在を確認するとともに、基地に対して爆弾を投下する日本海軍史上初の航空攻撃)
 9月16日、「若宮丸」航空隊は州湾内のドイツ軍艦艇に対して爆弾投下。一発が敷設艇に命中して撃沈となり、軍史上初の航空攻撃による撃沈戦果を挙げる。しかし9月30日、「若宮丸」がドイツ軍の敷設機によって浸・座礁。艦は修理のため日本へ退却し、機体は戦地に残ってでの発進・着による運用を続けた。

 大正4年(1915年)6月、「若宮丸」は二等海防艦に類別されて軍艦「若宮」へ名。
 大正9年(1920年)4月、新設の艦種「航空母艦(「水上機母艦」はまだい)に類別される。

 大正9年6月、「若宮」の前部甲に滑走台を取り付け、英国製のソッピース・パップ戦闘機による日本海軍史上初の艦艇甲からの発艦実験を挙行、成功する(搭乗の桑原雄大尉は、大正11年の戦艦「山上からの発艦実験にも成功)

 大正15年(1926年)の編成を最後に、「若宮」は連合艦隊の所属を外れて佐世保鎮守府警備艦となり、昭和7年(1932年)までに除籍・解体された。
 「鳳翔」の影に隠れる事が多いが、「若宮」もまた、日本海軍空母機動部隊の先駆者的存在であった。

 「若宮」と同様に輸送船から水上機母艦改造された艦に「高崎」があったが、こちらは年一回の大演習水上機を運用するのみでほとんどの期間を輸送任務で過ごし、「航空母艦」への類別もされなかった。
 大正14年には航空関係設備を撤去して輸送船に戻され、昭和に入ると陸軍へ譲渡された。

 「鳳翔」 すべての始まり (大正11年)

 鳳翔空母として建造されて完成した、世界初の軍艦である。

 「鳳翔」以前、イギリス海軍巡洋艦フューリアス」の前甲と後甲からを撤去して(艦が居座ったままで、前甲と後甲は分断された状態)したのを初めとして、建造中の商船から改造した「アーガス」(英)、石炭補給艦から改造した「ラングレー」()が全通甲形式の航空母艦として存在していた。
 これらは他艦種からの改造であり、最初から全通甲式の空母として登場したのは「鳳翔」が最初となる。同時期に、イギリスでは全通甲空母ハーミーズ」を建造中(1924年2月完成)だったが、「鳳翔」が先に完成した(1922年12月27日)。

 「鳳翔」の就役に先立って、三菱航空機が一〇式艦上戦闘機を開発。大正12年(1923年)2月懸賞一万円をかけて行われた「鳳翔」初の着艦実験に、三菱テストパイロット・ジョルダン大尉英国)が挑戦して成功。翌3月日本海軍吉良俊一大尉日本人として初めての着艦に挑んで成功する(軍大臣賞状と杯を授与)。

 なお、吉良大尉は二回の着艦では失敗して、機体もろとも飛行甲から転落。救助後、すぐに三回の着艦に挑んだ。「鳳翔」は軍初の着艦に成功した空母であると同時に、最初の着艦失敗事故を起こした空母でもある。

 何分にも「鳳翔」は、日本海軍が初めて手にした全通甲空母であり、運用方法は暗中模索が続いた。建造当初、艦の右前方に設置されていた艦は、発着艦の障物であり危険だとしてすぐに撤去され、飛行甲の前側につけられていた傾斜も意味であるとして、装時にっ直ぐにめられた。

 そして何より、空母への発着艦自体が危険行為であり、事故が頻発した。大正15年(1926年)1月有明海での訓練中に起きた一三式艦戦の転落事故では、救助の駆逐艦がいったんは機体を釣り上げたものの、ワイヤーが切れてしまって機体没。パイロットが殉職する。
 この訓練は、戦艦長門」をはじめとする第一艦隊の訓練の一環として行われていたが、事故当時他の艦艇はそれぞれの訓練作業に勤しんでおり、「鳳翔」のそばには警駆逐艦一隻がついているだけだった。「鳳翔」の事故報告書は、空母の訓練中は艦隊として注視するとともに、事故救助などの補助作業にあたる専属駆逐艦空母につけるようめている。

 一航戦 (昭和3年)

【最初期の第一航空戦隊

編成時期 空母 随伴
昭和3年度4月12月 赤城 鳳翔 第六駆逐隊  
昭和4年度4月12月 第四駆逐隊   帆 太刀 
昭和5年度 加賀 鳳翔 第一駆逐隊  波 沼  
昭和6年度 赤城 鳳翔 第二駆逐隊  澤 矢 

 大正11年(1922年)に締結されたワシントン軍縮条約の結果、日本海軍が編成をした「八八艦隊」計画は頓挫。「長門」「陸奥」以外の八八艦隊戦艦棄対となり、このうち巡洋戦艦天城」と「赤城」は空母への転用が認められ、改造工事が行われる。
 ところが大正12年(1923年)9月関東大震災により、横須賀工事中だった「天城」が被災して修復不能となったため、標的艦として処分予定だった戦艦加賀」が、代わりに空母改造されることになる。

 昭和2年(1927年3月赤城就役。翌昭和3年(1928年)4月、「鳳翔」と、そのトンボ釣りとなっていた二等駆逐艦」「」と合同し、初めて空母による戦隊第一航空戦隊が編成される。搭載機数で三倍、排水量で四倍の格差がある軍艦による戦隊だったが、ともかくもここから日本空母は新たな歴史スタートさせる。
 昭和3年3月加賀が就役してからは、大の「赤城」と「加賀」を一年おきに交代で運用し、「鳳翔」がサポートする体制を取るようになる。

 初代の一航戦官となった高橋三吉少将は、戦艦扶桑」艦長や連合艦隊参謀長を務めた、当時ごくふつうの大艦巨砲主義者で、戦隊官の椅子がまわってきたのも年功序列によるものであり、それを承知の高橋は最初就任を断ったが、空母の研究をすることが戦艦活用に役立つからと説得されて渋々引き受けた。
 そして「赤城」艦長・山本五十六サポートを受けて務めた一年間の官の任期で、高橋はすっかり航空の可性に取りつかれ、この約10年後に連合艦隊長官へ就任したころ、軍縮条約の破棄を受けて建造される事になっていた新戦艦大和戦艦)の計画について「新戦艦を造るより、もっと航空の充実にを入れるべきではないか。戦艦は考えなおしてはどうか」という意見を言い、軍部の担当者を仰させている。

 この時期でも依然として事故は多く、昭和4年4月、東シナで訓練中の一航戦の艦攻隊(一三式艦攻)が空母へ帰還しようとしたところ、母艦との誘導交信を取り損なったのと急悪化で方位を見失い、最後は燃料切れでに不時着。7機の乗員は付近を通りかかった漁船に救助されたが、2機の乗員(4名)は行方不明。後日、済州に遺体が打ち上げられる惨事となった。
 事故原因のひとつに、航空機の操縦・航法維持・戦闘行動を行なうパイロットへの過剰負担が挙げられたことから、この後、艦攻については航法士を増員して乗員3名とするようになった。

 実戦出動 (昭和7年)

昭和7年度から9年度の第一航空戦隊

編成時期 空母 随伴
昭和7年度 加賀 鳳翔 第二駆逐隊  澤 矢 
昭和8年度
昭和9年度 赤城 龍驤

 昭和7年(1932年)1月、第一次上海事変が勃発。「加賀」と「鳳翔」で構成されていた一航戦は、臨時編成の第三艦隊に加わって出動。1月末から上海と周辺軍事拠点への航空攻撃を開始する。艦載機としては「若宮」以来18年ぶり、全通甲航空母艦としてはもちろん史上初の軍事行動である。

 上海事変では、

 という、様々の“ 史上初 ”が記録された。第三艦隊の野村三郎長官は、「加賀」機の戦果に感状を与えた。

 昭和7年7月に提出された一航戦の報告書では、昭和3年以来4年間の航空戦隊の運用について種々の提言を行っているが、その中で戦隊駆逐艦について、時・戦時の空母支援作業(トンボ釣り)の役が重大であるとともに、空母に搭載している対火器(高・機)があまりにも貧弱で用を成していないことから、対火器を充実させた駆逐艦空母の周囲に配置し、防御に万全を期することを述べている。

 報告書は、この措置を空母だけでなく艦(戦艦)にも採ることを提言しており、逆に言えば、この時代から少なくとも空母の側では、戦艦すら艦上機によって撃破・撃沈出来るという自信を持っていたことがうかがえる。

 この頃、軍では着艦作業のための「着艦」(着艦誘導)の実用化に成功。昭和8年に「鳳翔」へ試験搭載されたのを最初に、以後の空母へ標準装備されていった。
 米軍空母が着艦誘導を装備するのは太平洋戦争より更に後の時代で、戦中でも空母は手旗信号によって着艦作業を行っていた。このため、空母への帰還が日没後となったマリア戦(昭和19年)では着艦事故が相次ぎ、日本軍との戦闘より、この事故によって失われた機体のほうが多かったという。

 二航戦の編成 (昭和10年)

昭和10年度から12年度の航空戦隊】 赤字水上機母艦

昭和10年度
一航戦 龍驤 鳳翔 第五駆逐隊 朝風 春風 松風 旗
二航戦 赤城 加賀 第二駆逐隊  
昭和11年度
一航戦 龍驤 鳳翔 第五駆逐隊 朝風 春風 松風 旗
二航戦 加賀 第二十九駆逐隊  疾風
三航戦 6月12月 神威 第二十八駆逐隊 凪 夕凪
昭和12年度
一航戦 龍驤 鳳翔 第三十駆逐隊 睦月 如月 弥生 卯月
二航戦 加賀 第二十二駆逐隊 皐月 水無月 文月 長月
第二十四駆逐隊
10月12月
海風 山風 江風 涼風
三航戦 8月 神威
10月 神威 能登
12月 神威 香久丸 
四航戦 12月 能登呂 衣笠

 昭和8年(1933年)5月、新たな空母として龍驤が就役。これにより空母が四隻体制となったため、それまで第一艦隊のみで編成されていた航空戦隊を、第二艦隊へも設置するようになる。

 昭和10年度(1935年)の編成で、一航戦は中小空母の「龍驤」「鳳翔」で組まれ、新設の第二航空戦隊には「赤城」が配置された。
 後世の感覚からすると少し奇妙に思われるが、当時の軍の基本戦略である漸減邀撃を踏まえ、長射程の航空火力がある「赤城」「加賀」を鈍足の戦艦(第一艦隊)の補助で用いるより、巡洋艦戦隊による高速遊撃を行なう第二艦隊で使うことで、より効果的な戦にする的があったものと思われる。

 昭和11年度(1936年)、「加賀」が三段甲から一段甲への大装を終えたのと入れ替わりで、「赤城」が同様の大装に入る。また下半期には、水上機母艦神威」による第三航空戦隊も試験的に編成され、連合艦隊における航空は一段と拡充されていく。

 果たして昭和12年(1937年)、事件(7月)と第二次上海事変(8月)を皮切りに支那事変が勃発。「龍驤」「鳳翔」「加賀」による一航戦・二航戦の空母はそろって出動し、上海周辺の府軍に対して連日の航空攻撃を加える。
 また、再び編成された水上機母艦による三航戦・四航戦の部隊も動員。戦隊自体は約一年後に解散するが、母艦は第三艦隊の附属艦として個別に作戦に従事。中・華南において大きな戦果を挙げる。

 臨戦態勢 (昭和15年)

昭和13年度から16年度(当初)の航空戦隊】 赤字水上機母艦

昭和13年度
一航戦 加賀 第二十九駆逐隊  疾風
二航戦 龍驤 第三十駆逐隊 睦月 如月 弥生 卯月
三航戦 神威 香久丸 
四航戦 8月まで) 能登呂 衣笠
昭和14年
一航戦 赤城 第二十九駆逐隊  疾風
二航戦 蒼龍 龍驤 第十二駆逐隊 東雲 薄  叢雲
昭和15年度
一航戦 赤城
5月 赤城 龍驤
第十九駆逐隊 磯波 浦波 敷波 綾波
二航戦 蒼龍 飛龍 第十一駆逐隊 吹雪 白雪 初雪
昭和16年度 (当初編成)
一航戦 加賀 第三駆逐隊  帆 夕
二航戦 蒼龍 飛龍 第二十三駆逐隊 菊月 卯月 夕月
三航戦 龍驤 鳳翔 第三十四駆逐隊   太刀
六航戦 能登呂 
七航戦 瑞穂 千歳

 長年にわたって軍の建艦計画を束縛してきたワシントン条約とロンドン条約の両軍縮条約は、昭和11年(1936年)をもっていずれも失効・破棄。これによって制限を受けない空母の建造が可となり、「龍驤」のような条約に理矢理間に合わせたものとは全く異なる理想的空母として、蒼龍昭和12年12月)と飛龍昭和14年7月)が相次いで就役する。

 蒼龍(「飛龍」含む)は70機程度の搭載数と34ノットの高速を持つ空母なので、30ノット程度の速限界戦艦改造空母よりも、巡洋艦戦隊との協調を取るのに適切だった。
 このため蒼龍は就役当初から二航戦(第二艦隊)へ配属され、「赤城」「加賀」は一航戦に戻る。大化していく新艦上機の搭載に難渋していた「鳳翔」は第一線から退き、「龍驤」が他空母サポートへまわる体制が取られる。

 支那事変の泥沼化と第二次世界大戦勃発、そして日開戦の危機が迫る中の昭和14年1939年9月連合艦隊長官に山本五十六中将が就任。かねてより航空兵を唱えてきたこの長官の下で、日本空母歴史は新たな局面を迎えることになる。

 南雲機動部隊 (太平洋戦争)

昭和16年12月 太平洋戦争開戦時の航空戦隊】 赤字水上機母艦 字は基地航空隊

第一航空艦隊
一航戦 赤城 加賀 第七駆逐隊   潮
二航戦 蒼龍 飛龍 第二十三駆逐隊 菊月 卯月 夕月
四航戦 龍驤 春日(特設空母 第三駆逐隊  帆
五航戦 翔鶴 瑞鶴 (附属) 秋雲 
第一艦隊 三航戦 瑞鳳 鳳翔 (附属) 三日月 夕
第三艦隊 十二航戦 (六航戦から称) 丸 山陽丸 佐川
第四艦隊  二十四航戦
第五艦隊
第十一航空艦隊 二十一航戦 二十二航戦 二十三航戦 第三十四駆逐隊   太刀
連合艦隊附属 一航戦 (七航戦から称) 瑞穂 千歳
千代田 能登呂 相良丸 讃岐丸 神威飛行艇母艦

 昭和16年(1941年)4月、第一艦隊と第二艦隊で個別に編成されていた一航戦・二航戦、そして新編成の四航戦(この時点では「龍驤」のみ)を統一揮する艦隊として【第一航空艦隊】が編成される。艦隊長官は南雲忠一中将、二航戦の官は山口多聞少将

 真珠湾攻撃作戦が進行していく中、新鋭大空母翔鶴昭和16年8月瑞鶴9月)が就役。ただちに第五航空戦隊を編成して一航艦へ配置される。そして12月8日択捉島・単冠湾を発した艦隊はハワイ・オアフ北方に達し、零戦九九艦爆九七艦攻、合わせて400機の艦上機を放つ。日開戦の火蓋は、戦艦ではなく空母機動部隊によって切って落とされた。
 12月10日、九六式陸攻・一式陸攻による基地航空隊(第二十二航空戦隊)は、マレー戦においてイギリス戦艦2隻を撃沈。この1941年12月のわずか三日間で、軍の役は戦艦から、空母航空隊のものへ取って代わられることとなる。

昭和174月空母

第一航空艦隊
一航戦 赤城 加賀 第十戦隊 軽巡長良 第七駆逐隊   潮
二航戦 蒼龍 飛龍 第十駆逐隊 秋雲 夕雲 風雲 巻雲
四航戦 龍驤 祥鳳 第十七駆逐隊 谷風 浦風 磯風 浜風
五航戦 翔鶴 瑞鶴
空母 瑞鳳 鳳翔 春日丸(大
空母装中) 出雲丸(飛鷹) 橿原丸(隼鷹) 八幡丸() 新田丸(冲) 大鯨龍鳳
一航戦 瑞穂 千歳
水上機母艦 千代田 日進 丸 山陽丸 佐川丸 丸 君丸 相良丸 讃岐
神威飛行艇母艦 秋津洲飛行艇母艦 能登(輸送用)

 昭和17年(1942年)4月の編成で、各航空戦隊へ個別にトンボ釣りとして編入されていた駆逐隊第十戦隊となり、機動部隊全体の護衛戦へ集約される。
 また航空の拡充が急務となる中、潜水母艦から装された瑞鳳祥鳳が就役し、徴用商船・輸送船など他種からの空母水上機母艦への改造も進められる。

 一航艦(南雲機動部隊)の空母は、真珠湾攻撃以降も各地の戦線へ投入され、連合軍を4月のセイロン戦では、80%以上という驚異的な爆撃命中率を挙げてイギリス東洋艦隊を粉砕する。一方でこの頃から、軍および機動部隊の内部では、一連の大戦果に気を良くしての“ 慢心 ”がはびこっていたと言われる。

 5月、一航艦から分された「翔鶴」「瑞鶴」の五航戦をとする部隊は、ニューギニア方面において空母レキシントン」「ヨークタウン」の部隊と対峙。珊瑚となる。
 史上初の空母による艦隊戦となったこの戦は、日双方が索敵の失敗・慎重すぎる作戦導などで混乱の末にしい殴り合いとなり、日本側「祥鳳」撃沈・「翔鶴」中破、アメリカ側「レキシントン」撃沈・「ヨークタウン」大破の痛み分けに終わる。

 そして6月、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の一航戦・二航戦はミッドウェー攻略作戦に出撃(ミッドウェー海戦)。「敵基地攻略を行いつつ敵艦隊の出現にも万全を期す」と言いながら、作戦的の曖昧さ・訓練の不足・不運・そして油断の結果、四隻の空母の藻となってしまった。

 かつてはミッドウェー海戦において、空母とともにベテランパイロットも失われたとされていたが、後の研究により、反撃に打って出て友永大尉などの戦死者を出した「飛龍」以外の三空母からは、多くのパイロットが救助されていたことがわかっている。
 しかし、多数の航空機を運用できる大空母四隻とともに300機もの機体がまるごと失われたことは、いずれにせよ致命的な損であり、陸軍参謀本部へミッドウェーの敗北を説明した軍部は、「翔鶴瑞鶴だけでは守りにするしかなく、他の中小空母は戦として期待できない」などと言ったという。

 再建 (昭和17年)

昭和177月空母

第三艦隊
一航戦 翔鶴 瑞鶴 瑞鳳 第十戦隊 軽巡長良 第四駆逐隊 萩風 舞風 野分 
第十駆逐隊 秋雲 夕雲 風雲 巻雲
二航戦 隼鷹 飛鷹 龍驤 第十六駆逐隊 雪風 初風 天津風 時津風
第十七駆逐隊 谷風 浦風 磯風 浜風
第十一戦隊 戦艦比叡」 「霧島
第七戦隊 重巡熊野」 「鈴谷」 最上」(戦線離脱中)
第八戦隊 重巡利根」 「筑摩
附属 鳳翔 駆逐艦「夕」 赤城(名前のみ) 飛龍(名前のみ)
一航戦 千歳 丸 
水上機母艦 千代田 日進 山陽丸 佐川丸 丸 君丸 相良丸 讃岐
神威飛行艇母艦 秋津洲飛行艇母艦 能登(輸送用)

 解隊された第一航空艦隊に代わり第三艦隊となった空母機動部隊は、五航戦と四航戦の空母をそれぞれ一航戦・二航戦へ横滑りして再編。第十戦隊が拡充されたほか、一航艦時代は臨時編入だった戦艦重巡も正規編成となり、ミッドウェーの惨敗を経て、機動部隊はようやく容を整える。

 昭和17年(1942年)8月以降、ソロモン方面でガダルカナルをめぐる戦いが勃発。第三艦隊は第二艦隊(巡洋艦部隊)とともに南太平洋へ進出し、第二次ソロモン戦(8月)と南太平洋戦(10月)の2つの空母艦隊戦を戦う。この結果、アメリカ軍に「ホーネット」撃沈・「エンタープライズ」大破(これとは別に、潜水艦の攻撃によって「ワスプ」撃沈・「サラトガ」大破)の損を与え、太平洋方面における空母を一時的にゼロに追い込む。
 しかし日本側も「龍驤」を撃沈され、「翔鶴」「瑞鳳」が損傷。さらに村田重治大佐・関衛中佐ら熟練パイロットや多くの機体を失って戦が衰えたため、せっかくの好機を活かすことは出来なかった。

 南太平洋戦後空母は戦再編のため前線を離れた一方、一航戦・二航戦の艦載機とパイロット基地航空隊に転用され、「い号作戦」(昭和18年4月)と「ろ号作戦」(11月)の航空戦へ投入。しかし有益な戦果を挙げられなかったばかりか、特に「ろ号作戦」では機体の70パイロット50%を失う大消耗となってしまう。

 ミッドウェー海戦後の空母建造・改造計画

客船   冲
装中) あるぜんちな丸(海鷹) シャルンホルスト号(神鷹) 大鯨龍鳳
(建造中) 大鳳 雲龍 ほか雲龍13隻を計画
改造計画)

 ミッドウェーの敗北後、軍は新空母大鳳」や「雲龍」の建造を急ぐ一方で失われた四空母埋めとして、旧式戦艦巡洋艦、建造中の軍艦民間から徴用の大客船・輸送船などを片っ端から空母装する計画を立てる。

 これらはいずれも、建造に時間がかかる新造艦の完成を待っていられないという事情によるものだったが、ミッドウェーの時期と前後して装が了した隼鷹」「飛鷹は搭載機数も多く、較的高性を発揮したので前線へ投入できたものの、客船から装された「大」「」「冲」「海鷹」「神鷹20機程度の搭載数・20ノットの低速だったため、後方輸送任務でしか運用できなかった。

 戦艦からの改造は、かつての「赤城」「加賀」のように多くの艦載機を運用できるものとして期待されたが、「信濃」はその巨体ゆえに手間取った上、運用方針が二転三転してズルズルと遅れ、「伊勢」「日向」は後部の二を撤去して飛行甲化するという中途半端な改造に終わり、「扶桑」「山」は資材と時間がく結局見送られた。

 昭和18年(1943年)以降、アメリカは後に刊正規空母」「週刊護衛空母と形容されるほどの大小空母を次々と就役させていった。「大鳳」一隻の建造にすら手間取る日本との工業の格差はべようもなかった。

 落日の空母機動部隊 (昭和19年)

昭和19年6月 マリア戦直前の空母

第三艦隊
一航戦 大鳳 翔鶴 瑞鶴 第十戦隊 軽巡矢矧 第四駆逐隊 野分 山雲 満潮
二航戦 隼鷹 飛鷹 龍鳳
(第六五二航空隊)
第十駆逐隊 朝雲 風雲
三航戦 瑞鳳 千歳 千代田
(第六五三航空隊)
第十七駆逐隊 谷風 浦風 磯風 浜風 雪風
四航戦 伊勢 日向
(第六三四航空隊)
第四十一駆逐隊 秋月 初月 若
※四航戦は戦不参加 附属 航空巡洋艦最上」 駆逐艦霜月
第六〇一航空一航戦用艦上機航空隊)
空母 鳳翔 大  神鷹 海鷹
(建造中)
水上機母艦 秋津洲飛行艇母艦 能登(輸送用) 神威(輸送用)
 ※特設母艦昭和18年10月までに全て水上機母艦としての運用を

 昭和19年1944年)に入り、待望の新鋭空母大鳳が就役。水上機母艦千歳」「千代田および潜水母艦「大鯨」(空母龍鳳)の空母装、戦艦伊勢」「日向航空戦艦化も完成し、これらをもって航空戦隊は再編される。

 昭和19年3月軍は温存してきた「大和」「武蔵」らの戦艦を第二艦隊へ編入し、空母の第三艦隊とともに総合揮する部隊として【第一機動艦隊】を創設。第三艦隊の小沢三郎中将が機動艦隊長官を兼任する。艦載機も空母ごと個別に訓練するのではなく、基地において航空戦隊として訓練してから各空母へ分乗する方式が取られるようになり、六〇一などの戦隊航空隊が創設された。

 6月絶対国防圏たるマリアナ諸へ進攻してきたアメリカ海軍に対し、軍は「あ号作戦」を発動。マリアナの基地航空隊と共同しての敵艦隊殲滅を図る。
 しかし既に基地航空隊は不充分な準備で米軍と戦って消耗しており、機動艦隊のほうでもタウイタウイ泊地を敵潜水艦に塞がれてろくに訓練が出来ないまま、高い技量をめられるアウトレンジ戦法を採って案の定失敗。長時間の飛行の末に敵艦隊へたどり着いた日本軍機は、艦隊の万全の防態勢の前にマリアナの七面撃ち」と揶揄される一方的な迎撃を受けて壊滅する。

 そして艦隊は、潜水艦の攻撃で「大鳳」と「翔鶴」を、機動部隊の攻撃で「飛鷹」を撃沈され、「瑞鶴」「隼鷹」が損傷。約400機の機体とパイロットおよび三隻の空母を失い、ミッドウェー海戦の痛手より再建されたかに見えた日本空母艦隊は、逆に事実上の戦喪失となってしまった。

 7月10日、「飛鷹」撃沈と艦載機(六五二)の75喪失により、化した第二航空戦隊は解隊。「隼鷹」「龍鳳」は戦補充の見込みがいまま四航戦へ編入される。また、一航戦一の残存空母瑞鶴」も三航戦へ移され、一航戦はひとまず、戦後に就役した雲龍雲龍」「天城で編成となる。

昭和19年10月 レイテ沖海戦時の小沢艦隊】

小沢艦隊(第一機動艦隊)
三航戦 瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田 軽巡大淀」 「五十鈴」 「多摩
第四十一駆逐隊 霜月
四航戦 伊勢 日向 (航空戦艦 第六十一駆逐隊 秋月 初月 若
第四十三駆逐隊  桑 槇 
空母 一航戦 (出撃せず) 雲龍 天城 
四航戦 (出撃せず) 隼鷹 龍鳳
葛城 信濃 鳳翔 海鷹 神鷹
 ※「置」以降の雲龍空母改造中の「伊吹」は全て中止
水上機母艦 能登(輸送用) 神威(輸送用)

 捷一号作戦レイテ沖海戦)にあたり機動艦隊は、第一遊撃部隊(栗田艦隊)のレイテ突入を援護するため、アメリカ艦隊をおびき寄せる囮として使用される。

 発着艦も満足に行えない100機ばかりの艦載機が三航戦へ載せられたが、いずれも各空母定数に足らず、「千代田」の艦攻は山ではなく旧九七艦攻だった。
 四航戦にはとうとう艦載機を準備できず、航空戦艦の二隻のみが対を満載して参し、「隼鷹」「龍鳳」は不参加。そして開戦以来、空母部隊の代名詞であった一航戦も、就役したばかりの「雲龍」「天城」では戦として成り立ち様がなかった。

 10月25日フィリピン・エンガノ岬において最後の戦いに臨んだ機動艦隊は、「瑞鶴」「瑞鳳」「千歳」「千代田」の喪失と引き換えに艦隊を釣り上げ、作戦は成功したかに見えた。しかし数々の致命的な通信エラーにより、栗田艦隊はそのことが把握できずレイテ突入を断念。数多くの艦と将兵を失って、捷一号作戦は失敗に終わった。

 11月15日、第一機動艦隊と第三艦隊、第三航空戦隊、第十戦隊は全て解隊された。レイテ沖海戦で生き残った「日向伊勢」の第四航空戦隊は、本土帰還後にH部隊を編成して南方へ進出していった。

 すべての終わり (昭和20年)

昭和20年4月 最終時の第一航空戦隊

一航戦 戦艦大和 天城 葛城 龍鳳(飛行甲破壊) 隼鷹(航行不能 信濃(名前のみ)
空母 鳳翔 海鷹 伊勢航空戦艦) 日向航空戦艦
水上機母艦 神威4月5日香港にて大破着底)

 機動部隊の消滅後、残存空母に輸送任務に充てられ、「回天」「桜花」といった特攻兵器を運搬することもあった。しかし制権を失った外での行動は潜水艦の格好の標的であり、昭和19年11月に「神鷹」、12月に「雲龍」が撃沈。「隼鷹」も大破し航行を喪失する。
 11月29日、就役したばかりの信濃横須賀からへの移動中に紀伊半島で撃沈され、わずか十日間という短い艦命を終えた(その後も書類上は一航戦に在籍)

 昭和20年1945年2月11日、最後の一航戦編成。生き残り空母戦艦大和」が配属される戦隊官は不在)。しかし、一航戦の艦載機用として訓練されていた第六〇一航空隊が基地航空隊(第三航空艦隊)へ転出されたため、「天城」と葛城全に空母としての存在意義を失う。
 3月1日、北号作戦奇跡的に本土へ帰還した航空戦艦伊勢」「日向」の第四航空戦隊が解隊。3月19日、「龍鳳」は軍港襲で飛行甲を破壊され、空母が失われる。

 4月7日戦艦大和」は水上特攻へ出撃し、撃沈された。

帝国海軍戦時編成ヲ左ノ通リニ定スルコトニ手続中 (昭和二十年)四月二十日

(五)大和 葛城 信濃 ヲ第一航空戦隊ヨリ 矢矧 第二一駆逐第二水雷戦隊ヨリ除キGF附属

(六)天城 龍鳳 隼鷹 ヲ戦時編成ヨリ除キ予備艦トス

(九)第二艦隊 第一航空戦隊 第二水雷戦隊 22 24 軍郵便所戦時編成ヨリ除ク(解隊)

(十二)長門 榛名 伊勢 日向 青葉 鳳翔 ヲ戦時編成ヨリ除キ第四予備艦トス 二十日附

※『第十七駆逐隊戦時日誌戦闘詳報』より抜
( アジア歴史資料センターexit Ref.C08030147800 )

 昭和20年4月20日日本海軍空母機動部隊の徴、第一航空戦隊は消滅した。

 生き残りの空母はことごとく予備艦とされ、軍港に係留して浮き台となった他、小空母海鷹」のように特攻兵器回天」の訓練標的艦となるものもあった。
 7月末、軍港は再び襲を受け、「天城」が横転着底、「葛城」が飛行甲破壊。「海鷹」は大分湾で触し座礁、直後に襲を受けて船体放棄となる。かつて栄空母航空隊を担ってきた零戦九九艦爆九七艦攻などの名機たちは、次々と神風特別攻撃隊として送り出され、最後には“トンボ”こと九三式中間練習機までもが投入された。

 8月15日。すべてが終わった時、空母として生き延びていたのは「鳳翔」、ただ一隻だけであった。

 (資料) 日本空母就役・戦没一覧

 空母

艦名 空母としての就役
(旧艦の就役)
喪失 備考
鳳翔 大正11年12月27日 終戦時残存 戦後は復員船
昭和225月1日までに解体
赤城 昭和2年3月25日 昭和176月5日
ミッドウェー海戦
八八艦隊天城巡洋戦艦未完成
加賀 昭和3年3月31日 昭和176月5日
ミッドウェー海戦
八八艦隊加賀戦艦未完成
龍驤 昭和8年5月9日 昭和178月24日
(第二次ソロモン戦)
当初計画では「若宮」の後継水上機母艦
蒼龍 昭和12年12月29日 昭和176月5日
ミッドウェー海戦
飛龍 昭和14年7月5日 昭和176月6日
ミッドウェー海戦
蒼龍二番艦から設計変更
瑞鳳 昭和15年12月27日 昭和19年10月25日
レイテ沖海戦
水母艦「高崎」(未完成
翔鶴 昭和16年8月8日 昭和19年6月19日
マリア戦)
昭和16年9月5日 昭和19年8月18日
潜水艦
日本郵船の客船「春日丸」(未完成
瑞鶴 昭和16年9月25日 昭和19年10月25日
レイテ沖海戦
祥鳳 昭和171月26日
昭和14年1月15日
昭和175月7日
珊瑚戦)
水母艦「埼」(つるぎざき)
隼鷹 昭和175月3日 終戦時残存
(航行不能
日本郵船の客船「橿原丸」(未完成
昭和228月1日までに解体
昭和175月31日
昭和15年7月31日
昭和19年9月17日
潜水艦
日本郵船の客船「八幡丸」
飛鷹 昭和177月31日 昭和19年6月20日
マリア戦)
日本郵船の客船「出雲丸」(未完成
昭和1711月25日
昭和15年3月23日
昭和18年12月4日
潜水艦
日本郵船の客船「新田丸」
龍鳳 昭和1711月28日
昭和9年3月31日
終戦時残存
(飛行甲破壊)
水母艦「大鯨
昭和219月25日までに解体
千代田 昭和18年10月31日
昭和13年12月15日
昭和19年10月25日
レイテ沖海戦
水上機母艦千代田
海鷹 昭和18年11月23日
昭和14年5月31日
昭和20年7月24日
(機襲)
大阪商船の客船「あるぜんちな丸」
神鷹 昭和18年12月15日
昭和10年4月30日
昭和19年11月17日
潜水艦
ドイツ客船「シャルンホルスト号」
(大戦のため帰できず)
千歳 昭和19年1月1日
昭和13年7月25日
昭和19年10月25日
レイテ沖海戦
水上機母艦千歳
大鳳 昭和19年3月7日 昭和19年6月19日
マリア戦)
装甲空母
雲龍 昭和19年8月6日 昭和19年12月19日
潜水艦
飛龍
天城 昭和19年8月10日 昭和20年7月24日
軍港襲)
終戦時は大破着底(横転)
葛城 昭和19年10月15日 終戦時残存
(飛行甲破壊)
戦後は復員船
昭和2211月30日までに解体
信濃 昭和19年11月19日 昭和19年11月29日
潜水艦
大和戦艦未完成

 水上機母艦

艦名 就役・改造・徴用 喪失 備考
若宮 明治38年1月12日鹵獲
大正3年8月23日母艦化)
退役解体
昭和7年)
英商船「レシントン」(明治34年建造)を日露戦争時に鹵獲
明治38年9月 「若宮丸」
大正4年6月 二等海防艦
大正9年4月 航空母艦
能登 大正15年5月 昭和19年11月5日
襲・大破着底)
給油艦(大正9年8月
「若宮」の退役と入れ替わり水上機母艦
昭和16年には搭載機を降ろし、輸送艦として使用
神威 昭和9年6月1日 昭和20年4月5日
襲・大破着底)
給油艦(大正11年9月
昭和14年 飛行艇母艦
昭和19年 母艦設備撤去
香久丸 昭和12年8月25日(徴用)
昭和16年10月31日(再徴用)
昭和19年11月4日
潜水艦
際汽船の香久丸貨物船
昭和11年建造)
昭和13年12月民間へ戻るが、太平洋戦争前に輸送船として再徴用
衣笠 昭和12年9月27日(徴用)
昭和16年11月4日(再徴用)
昭和19年10月7日
潜水艦
際汽船の香久丸貨物船
昭和12年建造)
昭和14年10月民間へ戻るが、太平洋戦争前に輸送船として再徴用
昭和12年9月17日(徴用) 昭和18年5月28日
潜水艦
川崎汽船の貨物船
昭和12年建造)
昭和16年10月5日(徴用) 昭和20年7月24日
空母艦載機)
川崎汽船の貨物船
昭和12年建造)
昭和1712月 輸送船に変更
終戦時は山口県で座礁状態
昭和16年7月25日(徴用) 昭和19年10月23日
潜水艦
川崎汽船の貨物船
昭和12年建造)
昭和18年10月 輸送船に変更
昭和177月14日(徴用) 昭和20年5月1日
爆撃機
川崎汽船の貨物船
昭和12年建造)
昭和18年10月 輸送船に変更
千歳 昭和13年7月25日 空母装) ミッドウェー海戦には水上機母艦で出動(第十一航空戦隊)
千代田 昭和13年12月15日 空母装) 甲標的母艦
ミッドウェー海戦には水上機母艦で出動(連合艦隊附属)
瑞穂 昭和14年2月25日 昭和175月2日
潜水艦
甲標的母艦
太平洋戦争で戦没した最初の「軍艦」(狭義)
山陽丸 昭和16年8月15日(徴用) 昭和19年5月26日
潜水艦
大阪商船の畿内丸貨物船
昭和5年建造)
昭和18年10月 輸送船に変更
相良丸 昭和16年9月20日(徴用) 昭和18年6月23日
潜水艦
日本郵船の相良丸貨物船
昭和15年建造)
昭和1712月 輸送船に変更
讃岐 昭和16年9月5日(徴用) 昭和20年1月28日
潜水艦
日本郵船の相良丸貨物船
昭和14年建造)
昭和1712月 輸送船に変更
日進 昭和172月27日 昭和18年7月22日
空母艦載機)
甲標的母艦
秋津洲 昭和174月29日 昭和19年9月24日
空母艦載機)
飛行艇母艦

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航空戦隊

1 ななしのよっしん
2014/09/21(日) 11:24:59 ID: inrNirK+Cg
ちょうど航空戦隊の事が知りたくて検索したら、来歴や時事ごとの構成も分かり易くてとてもいい記事ですね。
良い仕事です。
2 ななしのよっしん
2014/11/11(火) 15:11:08 ID: VIIL9wzaBB
>「鳳翔」は【空母として建造されて完成した、世界初の軍艦】である。
               ・
               ・
               ・
8月15日。すべてが終わった時、空母として生き延びていたのは「鳳翔」、ただ一隻だけであった。

悲しいけど、かっこいいなぁ
3 ななしのよっしん
2019/08/21(水) 08:09:31 ID: 96/HrpyiFu
の三四三第三帝国Jagdverband 44て事なのか?

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