茶筅(ちゃせん)とは、竹製の茶道具である。茶筌とも書く、使用方法はニコニコ動画において謎である。
概要
現実では主に抹茶を点てる道具として使用されるが抹茶が伝来する前から日本には茶せん(中曽司茶せん)が存在し第2次世界大戦中には代用食として番茶が用いられた際にも茶せんが用いられた。
茶筅と茶筌
今も議論がなされている漢字の違いであるが大局的には茶筅の字で統一されており、茶筌の字は高山産(奈良県生駒市高山町)を意味するブランド名として定着しつつある。
なお「茶筅」が文献に登場するのは1107年中国の『大観茶論』で、「茶筌」は951年に日本の『王服茶筌由来記』であるため茶筌の方が150年も早い。また王服茶筌由来記に出てくる「空也堂茶筌」はその姿形からして茶せんの一種であると判断できるが、大観茶論では文字のみでありそもそも茶せんなのか不明である。
なお「筌」と「筅」の文字に注目すると、筌は魚を捕る道具で先細りの籠のようなものである。一方「筅」とは昔のタワシのことである。空也堂茶筌を見れば分かるように「筌状」に穂が編みこまれているのがわかることから茶筌とは形状を意味している可能性もある。
文献上では茶筅の文字が多いが、高山(鷹山)氏がわび茶の開祖である村田珠光に依頼されて作った茶せんでは茶筌の文字を使用しているため現在でも高山産に関しては茶筌の字を用いる。また当時これは後土御門天皇に献上された際に陛下は大変その技巧を褒め「高穂」という名が与えられ、高山茶筌の別称にもなっている。ちなみにこの時の穂数は不明であるが、当時の高山でとれる竹の種類や技術から54、64、72本立の白竹(破竹)で糸は白糸であるとされる。鷹山氏や地名が高山に漢字が変更になったのはこの高穂の名をもらったことによる改名である。(鷹山⇒北倭村高山⇒(生駒町と合併後、単独市制)⇒生駒市高山町
国産茶せんのうち高山産は97%近くのシェアを持つため国産=高山茶筌と考えてもほとんど差し支えない。
なお筌の文字は常用外漢字であり、終戦当時は朝日新聞から茶筌組合に対し筅の文字を使うことについて了承を申し込んでおり高山茶筅という文字を見ても当時の印刷業界の限界であるから仕方がない。
茶せんの種類
茶せんの種類は有名なものでは100種類程度であるが、基本的には不特定多数であり新しい流派が茶せん師に製作を依頼し、出来上がればその時点で認められる。竹の種類(白竹・煤竹・紫竹)×本数(32・48・64・80・100・120)×糸色(白・黒・赤)で単純にこれだけで54種類もあり、少々のアレンジでオリジナル茶ちゃんを作るのは容易である。よく参考文献に登場する内山一元氏(著・茶筌博物誌)も燁々流という流派を立ち上げ、茶筌師(久保鷹山)に「白竹・78本立て・赤糸」を流派の茶せんとして昭和中期に制作してもらっている。
千家は表・裏・武者小路千家は竹の種類でそれぞれ区別しているが穂数については複数の種類を使用していることで有名であり特に裏千家はすべての穂数を使用している。千家は「千家十職」と呼ばれる職人集団を保有しており他流派を抜きん出た洗練さを維持しているが、茶道で必要不可欠に近い茶せんに関しては「高山茶筌を使用する」として今だ千家専用の職人は存在しない。
簡易説明
【煤竹】
囲炉裏の煙や油などを長年に渡って吸い込んだ屋根裏の建築材。表千家が使用する。現在はそのような家屋がないため、専用施設で作っているが作り方に変わりはない。なお作るのに数か月~100年くらいかかっているためそもそもこれ自体がかなりの高価であり、茶せんにすると万は軽く超える。
淡竹(破竹)のこと、煤竹や紫竹の黒色に対応して白竹という。裏千家及びその他の茶道流派が使用する。歴史的には元祖にあたるので最も多くの流派が使用し、種類も多い。また穂数も多く初心者向けの茶せんが揃っているため現在裏千家や白竹茶せんが市場的を圧巻している要因でもある。
黒竹とも言うが、煤竹と混合される場合がある。煤竹や白竹のような一色ではなく、自然に斑模様に黒色がかった色合いをしている。武者小路千家が使用する。流通はほぼ皆無であり、ほとんどが職人との直接契約で売買されているためよほどの大手か老舗でもない限り店頭で見ることは稀だろう。
基本は黒糸で編み込んでいる。というのも白糸では茶渋が変色して不格好であるし、赤色はあまり竹の色とは合わないため白=献上用、飾り用 赤=祝い事用 という風に常用するものではないことが多い。
茶せんの歴史
茶せんの歴史は古く、初出は日本書紀までさかのぼる。内容が正しければ高天原(天照軍)が大和國(奈良地方)を平定する際に、それに協力した中曽司地方の住民に褒美として神武天皇が授けたことになっている。年代にすると紀元前600年以上前に存在したことになり、仮に神話の話だとしても日本書紀編纂の720年にはすでに日本に存在していたことになる、ただし姿形については現在「中曽司茶せん」として受け継がれている姿しか判明していない。
当初は用途があまり定まっておらず、民芸品として行商などにより叩き売られていた模様。今の本来の使われ方をし始めたのはやはり抹茶が広まった室町~安土時代である。特に同時期に千家流茶道と高山茶筌の登場が一気に日本茶道として日本全国に普及するきっかけとなった。
茶せんの穂数
穂の数は、実際には内外合わせて表示数の2倍の本数になる(80本立なら160本)。但し100本立と120本立はこれに従わないのは本数を因数分解した際に人間の手では5で割れるのはせいぜい1回が限界であるためである。ちなみに100本立と120本立の名称については高山茶筌組合が「80本以上を100本立、90本以上を120本立と表記」としており他の業者がこれに習っただけである。※wikipediaにある穂数は製作課程が統一された最終的な現在の数値であり、元々の意味は上記の通りである。
そのため純粋に2等分のみで作られる64本立を別名「常穂」として茶せんの本数の基本としている。
穂数の話題では「本数が多いのは将軍や大名用」と言われ素人が使うことを遠慮する人も多いが、実際には本数が多いほうが抹茶をおいしく点てやすくむしろ初心者向きであり、特に茶道では相手よりも多くの本数を使うことで「自分は未熟なので・・・・」と相手に敬意を表する意味がある。また相手が常用している穂数が72本立「数穂」または64本立「常穂」以下ならば相当な腕の持ち主である。一応48本以下の「荒穂」などがあるが、これは濃茶用なので用途が違うことに留意。
最大手の茶道家である千家では三千家とも72本立を「真」としている。たまにある流派では「78本立」が存在する。これは「未熟なために穂数の多い茶せんを用いたいが80本以上は大名用で平民が使うわけにも行かないため、80本立から1本(糸巻きの関係上2本)折った」ことに由来し、これもひとつのわびさびの形である。
【濃茶】抹茶文化の基礎である「食葉」を最も楽しめるお茶、ただ味としては濃すぎるためかなり上級者向けのお茶と言える。
【薄茶】一般的にお抹茶や茶道というとこちら、お湯との割合もよく、泡立てることで自然な甘みが出るため飲みやすい。
【穂数48本以下】48・32・16本立が基本、ともに濃茶用でありまともに使える人はかなり希少であろう。
【穂数54本】薄茶用として最低本数であるがまず店頭でも見ないし、使用者もあまり見ない。
【穂数64本】別名:【常穂】茶せんの穂数としては中間にあたり、最も基本とされているが、実際にこれを扱えるのは超上級者である。よほどの愛着があるか茶の味にこだわった人もでもない限り使うことはオススメできない。
【穂数72本】別名:【数穂】千家ではこの本数を【真】としており三千家共通の基本本数となる。常穂よりは幾分か使いやすいとはいえ、基本的には難しい部類に入る。この本数を使いこなせるのが茶人のレベルの差の一つになろう。
【穂数78本】80本立から1組(2本)折って作る。80本立ては庶民に許されていないが、72本立ではなかなかおいしい茶を点てにくい初心者の苦心の策。当然現代では全く不要
【穂数80本】大名(1万石以上)用として使用が許可された本数、このあたりからお茶を点てやすくなり、初心者向け。
【穂数100本】将軍用として使用が許可された本数、現在は基本的に120本の方がより点てやすいが、120本だと素人呼ばわりされることもあり、ある程度練習したらこちらに切り替えるというのが多い。現在最も生産・販売量が多い。
【穂数120本】歴史的には新しい本数。天皇用といわれるが、特にそんなことはない。初心者でも点てやすく、幼稚園児でもそこそこおいしい茶が点てれるため実際に奈良県の幼稚園では使用されてたりする。100本立と同じく多く生産され値段も安いことから、茶道を始める人がとりあえず試しで使ってみるのもよいだろう。
文献
なおこの記事の筆者は
及び個人資料を参考にしているため了承されたい。
論文等
論述的なものであれば九州大学の宮川泰夫氏の「竹細工の工芸化と茶第工芸産地の変容」に詳しく書かれているが内容については混乱を起こす記述が多いため注意を要する。
例
「久保左京・左文の兄弟と婚姻関係で結ばれた谷村丹後,そして久保喜太郎の4人が茶第の組合の中核をなした」とあるが4人とも襲名名であって本名ではない。内容から察すると左京と左文が兄弟であることから左京は22代目(本名:為次郎)、左文は初代(本名:八之助)、喜太郎については久保竹松(19代目喜太郎)が別記されていることから20代目(本名:健次郎)であると考えられるが丹後については18~21代目あたりとしか推測できない。
「技術習得先は,久保喜一郎の息子久保修で,その孫で芳竹園を営む久保晴彦とは兄弟弟子をなす」とあるが芳竹園を営む修の父(晴彦の祖父)は久保健次郎(20代目久保喜太郎)のため、この記述は誤り。なお吉田信一が1947年に参入したという記述であるが、晴彦は1955年生まれであり、まだ生まれてすらいないため兄弟弟子であることはない。(たぶん兄弟弟子になったのは修であろう)「久保喜一郎以来の株式会社芳竹園」という記述からも完全に喜一郎と喜太郎(健次郎)を勘違いしている。
「明治期には既に原料の竹材は,地域外から移入されており」とあるがそれはない。高山茶筌は一貫して高山産の竹を使用している。これは高山の痩せた土地で生息する竹でないと繊維に強みが無く穂がすぐに折れてしまうため、そもそも良質な竹を仕入れる必要は無い。これについては調査に協力した茶筌師や企業に高山茶筌組合でない者(中国産茶筅等を扱っている店等)の名があることから信憑性を欠くものと思われる。可能であれば訂正をしてもらいたい。特に文中に中田喜造商店の名が良く出るが、喜造商店は韓国産茶筅を販売したことにより組合を除名されており、「嬉選」という品質表示をしているが組合の定める「名作」「特選」の品質表示とは全く別の独自の品質であるため購入の際には留意されたい。
高山茶筌と外国産茶筅の見分け方
よく中国産・韓国産が国産と偽って販売されているため、見分け方を記述しておく。
簡単な見分け方
一目で偽物だと判断できるのは表示方法である。組合は一貫して「高山茶筌」の記述に統一しているため「高山産茶筌」「高穂」「高山茶筌師製作」などの表記はすべて偽物と思ってよい。そのほか台紙(茶筌の下に敷いている緑の紙)は和紙でできており業者に特注で造られているが偽物は単なる紙だったりするほか、ひどいときには乾燥剤が入っている。高山茶筌は天日干しされているので多少の湿気でカビが生えるようなことは無い。また正規品には日本伝統工芸及び組合のシールが張られているため大半の偽物はそれで判断がつくであろう。
難しい見分け方
表示方法については偽造しようと思えば偽造できるため、表示以外の方法の見分け方を記述しておく
1 色
偽物の多くは白竹(破竹)である、高山産は油抜きという方法により洗うためうっすらとベージュ色をしているが韓国産については漂白剤で脱色するため竹の色が病的に白い。この漂白剤は水槽実験で金魚が死亡する程度に危険であるため新品の場合は水で洗って使用するように注意が必要。なお中国産は洗い方が不十分なため逆に黄色っぽく油(竹酢)が黒っぽく表に出てくるときがある。
2 穂の内側
色については周りの光源や明るさによって見分けが難しいため、天井の蛍光灯にかざして穂の内側を見る方法がある。このとき、穂の内側から毛が生えているように見えるのは偽物である可能性が高い。これは高山産は味削りという技法により茶せん包丁で削って薄くしているのに対し、韓国・中国産はヤスリで薄くしているため繊維が切れてケバ立ってしまうからである。しかし使っていくとそうなっていくこともあるので新品のケースに入っている場合にしか使えない見分け方であることに留意。
3 穂先の揃い方
偽物は異様なほどに揃っているため見た目に関してはむしろ偽物のほうがきれいである。しかし茶せんは抹茶を点てる時に初めて完成系になるように造られている。先端を曲げられた穂先は抹茶(またはお湯)に付けるとやわらかくなり元の状態に戻ろうとする。そのため製作時点では穂先はやや強めに曲げられており、その力加減は穂先の強さにあわせて調整されるため均一になることは無い。まるで機械で造られたかのような完璧な姿の茶せんがあれば少し疑ったほうがいいかもしれない。
関連動画
関連項目
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