概要
歴史
ヤマトタケル、行基、源頼朝が開湯したとも言われるが、俗説とみられる。あるいは文明4年(1472年)に、浄土真宗本願寺派の蓮如が草津温泉で布教していたとも言われるが、こちらも史料の信憑性が低い。
しかし、少なくとも戦国時代中期頃には有名な温泉地として確かに賑わっており、その根拠として武田信玄が永禄10年(1567年)に起きた草津の打ち壊しを受けて出した草津入湯停止令がある。
さらに天正10年(1582年)の天目山の戦いでは、甲斐武田氏を滅ぼした織田信長の家臣である丹羽長秀や堀秀政らもこの湯で戦で傷付いた身体を癒したという。
また、大谷吉継、前田利家といった名立たる武将も入湯した記録があるが、温泉好きで知られる豊臣秀吉が立てた入湯計画は何故か中止となってしまっている。
とは言え、秀吉は徳川家康に草津入湯を勧めたり、織田信長の嫡孫・織田秀信のため家臣の石田三成を取次役として真田信幸(のちの信之)へ湯治の世話を依頼したりと、草津温泉がかなり気になっていたようである。
江戸時代初期には沼田藩真田氏の支配下に置かれていたが、その後は江戸幕府の天領(直轄領)となった。温泉番付では当時の最高位である「大関」に置かれていた。
当時から「湯治」という温泉での病の治癒の目的で訪れる者が多く、年間1万人が訪れていたとの記録もある。なお江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗は湯治のために、草津から江戸城へと桶で温泉の湯を運ばせてまで入湯していたという。
また、土産として「湯の花」も知られる。温泉の成分が沈殿したもので、入浴剤などに使われる。
アクセス
アクセスは、JR北陸新幹線などが発着する軽井沢駅や、JR吾妻線の長野原草津口駅から、バスを利用して「草津温泉バスターミナル [1]」に向かう。なお、東京都内の各主要駅からも草津温泉バスターミナル行きの高速バスが出ているので、それに乗って直接向かうこともできる。
ちなみに、JRの草津駅に向かってはいけない。それは滋賀県草津市である。
とは言ってもそっちの草津にも「草津温泉」っていう銭湯があるんだけどね。
…と言いたいところだが、2016年6月末に滋賀県の草津温泉は閉館したので、草津市にもう草津温泉はない。
湯もみ
お湯に細長い板を入れてかき回す「湯もみ」が有名。これは源泉の温度が50℃近くであり、もむことで温度を下げる効果があるため。
この「湯もみ」の際にリズムをとりつつ歌われる民謡「草津節」も知られており、歌い出しの「草津よいとこ一度はおいで」という歌詞は、ザ・フォーク・クルセダーズによる1967年のヒット曲「帰って来たヨッパライ」において、「天国よいとこ一度はおいで」とパロディされた。
また「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」という歌詞もよく知られており、単なる民謡の一節を超えて「恋の病」を表現することわざ・慣用句などとしても用いられる。
共同浴場/公衆浴場/足湯
この草津温泉、あちこちでお湯が出る関係で、ホテル・旅館以外でも無料で温泉に入れる場所がある。それが公衆浴場or共同浴場と呼ばれる場所で、いつでも入ることができる。
また、草津温泉の中心地である湯畑の周囲には、足だけ浸けることのできる「足湯」ポイントがいくつもある(草津にやってきたばかりの観光客に一番距離が近いお湯はバスターミナルのとこの足湯だろうか)
関連動画
関連静画
関連項目
関連リンク
脚注
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 6
- 0pt