荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)とは、島根県出雲市斐川町にある弥生時代の遺跡である。地名の神庭(かんば)を冠して神庭荒神谷遺跡とも呼ばれる。
概要
島根県はかつて出雲の国と呼ばれ日本神話の舞台の一つでもある地であった。しかしながら島根県内には神話を裏付けるような目立った遺跡や遺物の出土は無く、神話は神話に過ぎないとも思われていた。そんな状況を一変させたのが荒神谷遺跡の発見である。1983年4月島根県簸川郡斐川町(現出雲市)の広域農道建設に際して遺跡分布の事前調査を行ったところ古墳時代後半の須恵器の欠片が発見された。付近に三宝荒神が祀られていたことから「荒神谷遺跡」と名付けられたこの遺跡の調査のために1984年7月11日から調査を始めたその翌日、試掘坑から数本が重なった弥生時代の銅剣が無傷で発見された。その後本格的な発掘調査を行うと整列した大量の銅剣が発見され最終的に合計358本もの銅剣が発掘された。それまでに日本全国で発見されていた銅剣は合計で300本程度であったため一ヵ所で全国の銅剣発見本数を超えてしまった。これは日本古代史・考古学界に衝撃を与える大発見だった。
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(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
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|l、{ j} /,,ィ//| 『おれは須恵器の欠片を見つけたと
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ 思ったらいつのまにか全国で見つかった数を超える銅剣を見つけていた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何が起こったのかわからなかった…
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|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 土器だとか石器だとか
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_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ 古代出雲の恐ろしさの片鱗を味わったぜ…
あまりにも大量に銅剣が密集して埋まっていたことから発掘には竹串を使い慎重に掘り進められたという。さらに翌年には銅剣の発見場所から約7メートル離れた地点で銅鐸6個、銅矛16本も見つかっている。銅鐸と銅矛は教科書にも載っている典型的な青銅器だがこの二つが同じ場所で見つかったのは初めてだった。あまりに大量の青銅器の発見は保存処理にも時間を要し銅剣すべての保存処理に8年、銅鐸・銅矛と合わせて9年もの時間を要した。
これらの発見によりそれまで神話の域を出なかった古代出雲王国の存在が一気に現実味を帯びてきた。出土した青銅器は一括して国宝に指定され実物は島根県立古代出雲歴史博物館に保管・展示されている。遺跡周辺は荒神谷史跡公園として整備され、遺跡には保護をしたうえで出土品のレプリカを置き出土状況が再現されていて、銅剣発見以降に集まった寄付金を活用して斐川町が建設した荒神谷博物館もある。
青銅器大量出土の謎
他に類を見ない量の青銅器が出土した荒神谷遺跡ではあるが誰が何の目的で青銅器をこの場所に埋めたかは謎である。銅剣は大半は同じ鋳型で作られていて4列に整然と並べられた状態で出土しているので何か意図をもって埋められたと考えられる。また銅剣358本中344本に「×」の刻印がされていて刻印が無いものは損傷で確認ができないものが11本と2つ「×」の刻印がある銅剣と近接している3本であることから本来は全てに「×」の刻印をしようとしていたのではないかと思われることも何らかの意味を感じさせる。以下に主な説を示す。
- 廃棄説…不要になったので埋めて廃棄した説。
- 祭祀説…宗教的な儀式で神に捧げる意味合いで埋められた説。
- 保管説…使用時以外は埋めて保存していた、あるいは後で掘り出す予定で一時的に埋めた説。
- 隠匿説…青銅器が貴重であったので敵などに奪われないために埋めて隠した説。
- 境界埋納説…他集団との境界付近に呪術的な意味合いで埋められた説。
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関連項目
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