私が菊月だ。
共にゆこう。
菊月(きくづき)とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する、帝国海軍・睦月型駆逐艦9番艦「菊月」をモデルにした艦娘。CVは日高里菜。
概要、出る!
睦月型の9女。名前の「菊月」は旧暦9月(長月)の別称である(菊の節句があることから)。服装は「皐月」以降の睦月型と同じ黒セーラー服だが、菊月は他の姉妹が共通して身につけている白ネクタイが通常絵・中破絵ともに確認できない。史実において他の姉妹とは違い航空戦隊所属だった(後述)ためかもしれないが、航空戦隊所属だったのは妹の三日月も同様なので、単に構図の関係で見えないだけかもしれない(後になってアーケード版に実装された際にネクタイを締めていることが確認された。本当に構図の問題だった模様)。
名前が同じ9月を指すということでか、姉の長月と同じ武人タイプの性格。勇ましい長月に対し、菊月は口数が非常に少なく、帰投すれば「作戦完了」、戦績画面では「暗号電文…」といった調子で、必要最低限のこと以外はなかなか喋ってくれないクールな子である。・・・のだが、装備変更時の「また強くなってしまった・・・」という台詞などから厨二病くさいと言われたりもする。秘書艦にしてクリックしていると、「ううっ、な、なんなのさ、いったい・・・」と困った声をあげたり、重傷の状態でドック入りさせると「うう、実は辛かった・・・」と本音がぽろりとこぼれたりするあたりが、クールな武人キャラを演じていると見なされるゆえんか。でもそこがかわいい。
(轟沈台詞関係のため以下反転)ちなみに轟沈時の「桜の丘で・・・会おう・・・」という台詞の「桜の丘」は靖国神社を指す。軍歌「同期の桜」の5番の歌詞「花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう」が元ネタと思われる。
性能的には他の睦月型と変わらず、ステータスが低いが燃費は良いので、基本は遠征要員。もちろん、愛を持って使い続けるのもまた一興である。
史実、全力出撃する!
大正12年度計画艦。1925年6月15日、舞鶴工作部で起工。1926年11月20日、「第三十一号駆逐艦」の名前で竣工、一等駆逐艦に類別され、佐世保鎮守府に所属した。1928年8月1日「菊月」と改名。
1935年の第四艦隊事件では演習に参加し、艦橋大破の損害を被った。1937年からの日中戦争に際しては中支、南支方面に進出。1940年からは仏印進駐作戦に参加した。
太平洋戦争開戦時は、他の睦月型とは異なり、第1航空艦隊第2航空戦隊第23駆逐隊に所属。グアム島攻略作戦の船団護衛、ラエ攻略作戦とサラモア攻略作戦への参加、アドミラルティ攻略作戦の支援などに従事した。
1942年5月4日、ツラギ攻略作戦の最中、米空母機の攻撃を受け損傷し海岸に擱座。翌日再度の爆撃を受けて大破、そのまま放棄された。睦月型の中では、如月に次いで2番目の喪失であった。同年5月25日除籍。
なお船体は沈没せず海岸に放置されたため、翌年アメリカ軍によって引き上げられた上で徹底的な調査を受け、その際の詳細な写真が残されている。そして調査終了後も片付けられることなく放置された「菊月」の残骸は、原形を留めてはいないものの、現在も地上から見ることができる形で現地に残されている。ちなみにその場所は今では「トウキョウ・ベイ」と呼ばれている。
そして2015年から、社団法人「菊月保存会」(法人化前は「菊月プロジェクト」)によって、菊月の艦体の一部を引き上げ、日本へ里帰りさせて保存しようという計画が進行中。2017年になって、ソロモン政府の許可を得て第四砲身を引き上げることに成功し、現地での洗浄作業を行った上で、同年9月4日、神戸港に帰港。菊月には75年ぶりの帰国だった。
その後、砲身はジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所(かつての舞鶴海軍工作部、つまり菊月の生まれ故郷)に運ばれ、10月まで洗浄および保存のための作業を行った上で、一旦千葉の保存会事務所に保管されている。舞鶴にて恒久的に展示する方法を署名活動と共に推進。2019年7月17日、保存会のSNSにて舞鶴での展示が告知。同年8月1日、東舞鶴の大森神社に奉納される事が報告、2020年6月27日同地に安置された。竣工してから実に94年振りの故郷舞鶴への帰還が果たされた。
関連動画・・・
礼は言わぬ・・・この関連静画、何に使うか・・・
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