藤原紘通(ふじわら ひろみち、1985年1月15日-)とは、長崎県出身のスペランカー元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
---|---|
藤原紘通 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県長崎市 |
生年月日 | 1985年1月15日 |
身長 体重 |
177cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2009年ドラフト1位 |
引退 | 2013年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
NTT西日本から、2008年ドラフトで、野本圭を外した東北楽天ゴールデンイーグルスと、松本啓二朗を外した阪神タイガースにそれぞれ外れ1位で指名され、抽選の結果交渉権を得た楽天に入団した。
この時楽天にはサウスポーで先発が出来る選手が長谷部康平、川井貴志くらいしかおらず、即戦力として期待された。
楽天時代
2009年春季キャンプ中に左肩炎症を発症、しばらくボールを投げることもできない事態に陥る。
そしてケガが癒えた6月に初めて一軍登録され6月21日の阪神戦で初登板・初先発するが4回3失点で敗戦投手となった。
その後中継ぎ登板などをはさんで5回目の先発登板となった8月5日のオリックス・バファローズ戦において9回1安打無失点、打者27人で仕留めるという準完全試合(5回にタフィー・ローズに安打を許したが、次打者の北川博敏をゲッツーに仕留めたため)で初勝利・初完投・初完封を記録する。この試合を機に先発ローテの一角に入り、10月9日のオリックス戦では勝てば2位決定という大事な試合で8回を3失点に抑え勝利、楽天の地元でのクライマックスシリーズ開催を勝ち取った。最終的にルーキーイヤーは5勝4敗、防御率4.04という成績でチーム初のAクラス進出に貢献した。
2010年は前年の活躍もあり開幕から一軍の先発ローテーションをつかむ、しかし4月2日の福岡ソフトバンクホークス戦こそ5回4失点(自責点は3点)に抑え勝利投手となるが、4月9日のオリックス・バファローズ戦では赤田将吾に2打席連続ホームランを浴びるなど、2回8失点という大炎上、その後も打ち込まれる試合が続いたため二軍落ちとなった。
6月には肘の故障が発覚したため手術を行う事となり全治10か月と診断されシーズンを棒に振ることとなった。
結局この年の成績は1勝3敗、防御率11.93という前年を遥に下回る成績に終わった。
2011年は前年の故障が尾を引いてたのか、なかなか一軍にあがることが出来なかったが、8月19日のソフトバンク戦にて復帰登板を果たす。ところが、 3回途中、長谷川勇也に投球中また肘を痛め無念の途中降板、結局2011年はこの登板だけで終わり、11月25日には育成選手に降格された。背番号は121。
2012年は6月1日に支配下登録され、背番号も15に戻った。しかしプロ入り後初めて一軍登板なしという結果に終わる。
2013年も一軍登板はなく、10月4日に球団から戦力外通告を受ける。その後トライアウトに参加したものの獲得球団は現れなかったため現役を引退した。
引退後
2014年からは楽天の打撃投手に就任。2020年からはスコアラーを務める。
プレースタイル
最速140km/h後半のストレート、スライダー、フォーク、ルーキーイヤーに覚えた100キロ前後のカーブで打たせて取るタイプであるが上述のように故障が多く、ルーキーイヤー以外は満足な結果を残せなかった。
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009年 | 楽天 | 17 | 14 | 1 | 1 | 5 | 4 | 0 | 1 | .556 | 84.2 | 28 | 49 | 39 | 38 | 4.04 |
2010年 | 4 | 4 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 14.1 | 6 | 8 | 25 | 19 | 11.93 | |
2011年 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 2.2 | 4 | 1 | 2 | 2 | 6.75 | |
NPB:3年 | 22 | 19 | 1 | 1 | 6 | 8 | 0 | 1 | .429 | 101.2 | 38 | 58 | 66 | 59 | 5.22 |
関連動画
関連商品
関連項目
- 0
- 0pt