藤岡康太とは、JRA(日本中央競馬会)に所属していた騎手。
競馬サークルの愛されブラザーズ・藤岡兄弟の弟。
兄に先立ってG1を制し、そして兄より早く天国に旅立ってしまったモノノフ。
通算戦績は中央803勝/地方18勝。重賞25勝(中央22勝/地方3勝)。
概要
1988年12月19日生まれ、滋賀県栗東出身。
父は調教師の藤岡健一、兄は同じく騎手の藤岡佑介という競馬一家である。
2004年に競馬学校第23期生として入学。同期には浜中俊、丸田恭介、荻野琢真らがいる。
卒業後は宮徹厩舎に所属。2013年からフリー。
2007年3月3日、中京競馬場・未勝利戦にて父・藤岡厩舎の馬でデビューし、見事初騎乗初勝利を達成する。この年はJRAで24勝。
2年目には秋華賞にてGI初騎乗(13番人気4着)。年内37勝の成績であった。
2009年、ジョーカプチーノでファルコンステークス(GⅢ)を制し重賞初勝利。このコンビで続くニュージーランドTで3着の後、GⅠ騎乗2回目となるNHKマイルカップ(GⅠ)にて10番人気の低評価を覆し優勝。夏には若手騎手の招待競走に招待されオーストラリアのフレミントン競馬場で騎乗している。
2010年2月7日にJRA通算100勝を達成。
3月26日に胸の痛みで救急搬送され、精密検査で自然気胸と診断される。復帰後も度々再発したため、2011年の秋ごろまで手術と休養を繰り返していた。
2018年、神戸新聞杯(GⅡ)でワグネリアンに騎乗・勝利し通算500勝を達成。主戦であった福永祐一が前週に落馬・頭骨骨折の重傷を負ったことによる代理騎乗であった。
2022年には地方競馬初騎乗となる佐賀記念(JpnⅢ)にて、ケイアイパープルに騎乗し勝利。
2023年6月には第一子が誕生。11月のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)ではR.ムーアの負傷によって代打騎乗したナミュールで、14年ぶりにGIを制覇。これにより史上初となる「当日乗り替わりでのGⅠ制覇」を達成している。
突然の悲劇
2024年にはキャリアハイも狙える勢いで勝ち星を積み上げ、3月30日にJRA通算800勝を達成。しかしその一週間後の4月6日、阪神競馬場での騎乗中に落馬し、後続馬と接触する。落馬直後から昏睡状態に陥り、そのまま目を覚ますことなく、10日夜に息を引き取った(35歳没)。JRA騎手としては竹本貴志(2004年没)以来の殉職者となった。
同年の3月24日には高知競馬の塚本雄大騎手も落馬・殉職しており、僅か2週間おきの訃報となってしまった。
エピソード
人柄について
競馬関係者から人格を高く評価されている兄・佑介と同じく、康太もまた人柄の良さで知られた。佑介曰く「要領が良く、物おじしない」「結構我が強い」「怒らせると大変」。競馬学校ではその要領の良さを発揮し、教官のお叱りを一人だけ回避したこともあったそうな。
幼少期は兄弟喧嘩はあまりしなかったとのこと。弟を泣かせると佑介が父に激怒されるのが一因でもあったそうな。どちらかと言えば大人っぽい兄とは対照的に子供っぽかったらしく、康太少年が小学6年生のときには、同校の1年生が藤岡家に遊びに来る(しかもアポなし)ことがあったらしい。
2011年、度々悩まされた肺気腫(自然気腫)の発症原因は「独身寮の部屋の掃除をさぼっていたこと」とファンの集いで明かした。オシャレ派の佑介はその汚れっぷりにドン引きしたらしい。
交友・知遇について
同期の23期生達とは仲が良い。その中でも自身と同じく、早めにG1を制した浜中俊とはイベント等で共演する機会も多かった。藤岡兄弟ぐるみで付き合う中だが、康太は「自分が女性だったら付き合いたい騎手は?」という質問には「顔だけで選ぶなら浜中。でも良いところも悪いところもよく知ってるので、絶対に付き合いたくない」とも回答している。物おじしないなぁ……
ジョッキーフェスティバルにおいては浜中と並んで「壁ドン」ポーズを撮影した。その等身大壁ドン写真パネルは阪神競馬場東ウイング3階に置かれ、UMAJO向け記念撮影スポットとなっている。
松山弘平から『ももいろクローバーZ』を布教されてハマり、ファンを公言している。佐々木彩夏(あーりん)が推し。調教中やレース当日にはド派手なライブパーカーを堂々と羽織っていたほどである。おかげで調教VTRでは一発で騎乗者がわかる。
ももクロ側でも認知されており、ももクロ番組の公式Twitterアカウントでも取り上げられたほか、番組公式本「ももクロニクル」でインタビューを受けたこともある。康太の訃報が伝えられた際には、佐々木の名前で弔辞が掲載された。
藤岡康太騎手ブレないなぁ…(と勝手に思ってます^^) #momoclo
— 『ももクロChan』 (@momoclochan_ex) March 21, 2020#ももクロ
pic.twitter.com/OutFxTC24O
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競馬について
「初騎乗初勝利」「代理騎乗での勝利」「当日乗り代わり初勝利」と、記憶に残る勝ち方が多い騎手であった。
NHKマイルカップ勝利後のインタビューではジョーカプチーノにかけて「今日はカプチーノを飲みたいです」と答え、後日上野駅のカフェに飲みにいった。またジョーカプチーノの影響か、競馬番組での馬券購入企画では芦毛の馬を高評価する傾向にあった。
調教助手としても評判がよく、中でも友道康夫厩舎との繋がりが深かった。ワグネリアンへの騎乗依頼もこの縁によるものである。
その他の友道厩舎の馬では、2021年京都大賞典(GⅡ)でマカヒキに騎乗し、マカヒキにとって5年28日ぶりの勝利を齎したり、ドウデュースの調教役として主戦の武豊にも信頼されていた。2024年共同通信杯(GⅢ)の勝馬・ジャスティンミラノの一週前追い切りも担当しており、その反応の良さに勝利を確信していたという。
関連動画
――難しいお願いになってしまうかもしれませんが、どうか騎手として輝いていた康太を忘れないでやってください。そして、輝いていたたくさんの瞬間を時々でも思い出していただけたら。そうやってみなさんの心のなかで生き続けてくれたら、兄としてこれ以上うれしいことはありません。
――そして康太。ゆっくり休んでな。お疲れさま。
関連静画
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関連項目
余談―託された人馬たち
康太騎手の訃報後、各開催競馬場では半旗掲揚とファン献花・記帳台設営が行われ、4月13~14日は追悼ムード漂う中での競馬開催となった。この2日間では不思議なことに、康太騎手が関わった馬や人々が次々と活躍を見せた。
はい。ずっと、康太さん乗られてた馬やったんで……。
ありがとうございます……。―高杉吏麒 4/13福島7R
ゼットカレン勝利後のサイン会にて落涙しつつ自分の同期で、夢半ばで落馬事故にあった藤岡康太騎手が乗っていた馬なので、恥ずかしいレースはできないと思っていました。
直線ではしっかり伸びていたように、いい内容で勝てました。強かったです。―丸田恭介 4/14福島民報杯
リフレーミングでの勝利インタビュー最後の最後まで乗ってもらって、この勝利は彼のおかげ。
本当にありがとうございます。
レース中は康太、康太と叫んでいました。
康太騎手の古巣・宮厩舎は3勝。康太騎手が前走を担当した、あるいは勝ち上がりや調教に関わっていた馬達も挙って好走し、同期の丸田騎手も福島メインレースを制した。先述したジャスティンミラノに至っては皐月賞(GⅠ)をレコード優勝である。騎手の殉職は決して美談にしてよい話ではないのだが、それでも何かしらの運命的な力が働いたのではないか、そう思いたくなるような出来事であった。
康太への労いとファンへの感謝を気丈に表明した佑介騎手、中山グランドジャンプ1着入線直前に「康太勝ったぞ!!」と咆哮した黒岩悠、皐月賞勝利インタビューで「康太が後押ししてくれた」と語った戸崎圭太。彼らを始めとする競馬関係者たちは、康太騎手が競馬にかけた情熱の炎を受け継ぎ、今も懸命に走り続けている。
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