「蘆名盛隆」(あしな・もりたか - 1561~1584)とは、日本の戦国大名。会津蘆名家18代当主。
実父は顔芸でお馴染みの二階堂盛義。養父は蘆名盛氏。
概要
二階堂盛義と阿南姫(伊達晴宗の長女)の間に二階堂家嫡男として生まれるが、父・盛義が蘆名盛氏と対立し敗れた事で、降伏の為の人質として盛氏のもとに差し出された。
あの顔はその時の悲痛な気持ちを表しているのかもしれない。
しかし、1575年に盛氏の嫡男・蘆名盛興が後継者を残さず死去した為、盛隆が盛興の未亡人・彦姫を正室として娶り、盛氏の養子となり後見を受けることで蘆名氏を継承することとなる。
ちなみに彦姫は伊達晴宗の次女・盛隆にとっては叔母に当り、当時盛隆は15歳、彦姫は24歳(数え年。現在で13~4歳と22~3歳)。
この設定に食いつく人は多いと思う。
1580年に盛氏が死去するまでは実権は盛氏が握っていたが、死去後に実権を掌握すると対立していた二階堂家出身者で人質と言うこともあり、また、本人も父・盛義と共に二階堂家の復権に力を注いだ為に蘆名旧臣の一部から反発・反乱が起きたが、それらも手際よく鎮圧する手腕を見せている。また、外交活動にも積極的であった。
あの顔は息子の活躍に喜んでいる様を表しているのかもしれない。
美男子として有名で、常陸の戦国大名・“鬼義重”こと佐竹義重が戦場で盛隆の姿を目撃して一目惚れし、想いを綴った手紙を送ったと言われている。
また、盛隆は1584年に家臣の大庭三左衛門に殺されてしまうのだが、これも「痴情のもつれ」であると言われている。
あの顔は「アッー」と言ってるのかもしれない。
若年ながら優秀であった盛隆の死後、蘆名家は盛隆と彦姫の間に盛隆の亡くなる1ヶ月前に生まれた子・亀王丸を当主とし、彦姫が実家である伊達家の支援を受けながら支えていくが亀王丸は僅か3歳で疱瘡の為に死去。
この後、蘆名家は養子継承者として義広(佐竹義重の子)を送り込んだ佐竹家と、それに対して反発する家臣団に付け込んだ伊達政宗との間で争いが起き、没落していく。
その他
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | ― | 政治 | ― | 魅力 | ― | 野望 | ― | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 67 | 政治 | 52 | 魅力 | 73 | 野望 | 59 | 教養 | 53 | ||||
覇王伝 | 采配 | 78 | 戦闘 | 62 | 智謀 | 43 | 政治 | 66 | 野望 | 55 | ||||
天翔記 | 戦才 | 114(B) | 智才 | 80(B) | 政才 | 130(B) | 魅力 | 71 | 野望 | 72 | ||||
将星録 | 戦闘 | 51 | 智謀 | 72 | 政治 | 66 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 66 | 戦闘 | 60 | 智謀 | 59 | 政治 | 55 | ||||||
嵐世記 | 采配 | ― | 智謀 | ― | 政治 | ― | 野望 | ― | ||||||
蒼天録 | 統率 | 57 | 知略 | 44 | 政治 | 52 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 57 | 知略 | 50 | 政治 | 45 | 教養 | 48 | ||||||
革新 | 統率 | 65 | 武勇 | 62 | 知略 | 51 | 政治 | 56 | ||||||
天道 | 統率 | 65 | 武勇 | 62 | 知略 | 51 | 政治 | 56 | ||||||
創造 | 統率 | 48 | 武勇 | 62 | 知略 | 53 | 政治 | 52 |
関連項目
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