蘇我入鹿とは、飛鳥時代の政治家である。西暦645年6月12日没。
蘇我馬子の孫、蘇我蝦夷の長男。
概略
643年:山背大兄王を攻め殺す
中臣鎌足らと遣隋使だった僧・旻に学んだ学識豊かな人物だったという。
642年、舒明天皇が崩御しその妃だった皇極天皇が即位すると父に代わり朝政を執るようになる。翌年は父から大臣の位を譲られる。
大臣を譲られて直後、聖徳太子の子である山背大兄王ら上宮王家を攻めて尽く自害に追い込んだ。『日本書紀』には入鹿の独断で、父の蝦夷がさすがにこの行為に激怒したと書かれている。
蘇我氏の権勢は揺るぎないものとなったかに見えた。
645年:中大兄皇子らに殺される(大化の改新の始まり)
皇極天皇の皇太子は、舒明天皇と入鹿の叔母の子にあたる古人大兄皇子だった。しかし古人大兄皇子の異母弟にあたる、皇極天皇の実子の中大兄皇子は、中臣鎌足、蘇我倉山田石川麻呂(入鹿の従弟)らと共謀して入鹿打倒を企てた。
645年6月12日、三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢の使者が来朝した。皇極天皇も入鹿も出席したこの場で入鹿を暗殺することになった。普段から入鹿は警戒心が強くどんな時でも佩刀していたが、中大兄皇子は道化に言い含めて剣を外させていた。
蘇我倉山田石川麻呂が上表文を読み、中大兄皇子らは影に隠れ入鹿暗殺の機会を狙っていた。しかし暗殺者達は怖気付いてなかなか実行に踏み切れない。汗だくになりガタガタ震えだした石川麻呂を入鹿は訝しんだ、その時中大兄皇子自らが飛び出し、入鹿をさんざんに斬りつけた。入鹿の最期の言葉は「私に何の罪があるのでしょうか。お調べ下さい」だった。
入鹿の死体は雨の降り出した屋敷の庭に置かれた。中大兄皇子は用意していた軍勢で入鹿の父蝦夷の邸宅を攻め、蘇我氏の邸宅に籠っていた軍勢も説得によりみな逃げ散ってしまう。翌13日蝦夷は邸宅に火を放ち自害し、かくして蘇我氏本家は滅び、中大兄皇子主体による「大化の改新」が始まることになった(この事件自体は「乙巳の変」と呼ばれている)。
考察
『日本書紀』を見れば蘇我入鹿は専横が過ぎて殺された権臣という描かれ方をしている。
しかし果たしてその程度の単純な図式で入鹿暗殺の背景を語れないと、様々な議論が起きている。首謀者だけでなく入鹿暗殺の時期、果ては入鹿の正体を覆す説等もあり、どれも結論は出ていないが、今後の研究課題といえよう。
なお、蘇我入鹿の別名は鞍作大郎、林大臣などがある。入鹿という名前は中大兄皇子らが彼を貶めるために死後に勝手に付けた名という説もある(もちろん反論もある)。
入鹿とその家族
- 蘇我稲目 - 曽祖父。そがのいなめ。
- 蘇我馬子 - 祖父。そがのうまこ。
- 物部守屋の妹 - 祖母。『日本書紀』には名前は記録されていないが、太媛(ふとひめ)あるいは布都姫という名前が表記されている文献もあり、同人STG「東方神霊廟」の物部布都の元ネタらしい。
- 蘇我善徳 - 伯父。そがのぜんとこ。法興寺(飛鳥寺)の寺司となった。その正体は様々な議論がある。
- 蘇我蝦夷 - 父。そがのえみし。善徳の弟だが、蘇我氏本家を継いだのはこちら。
- 弟(氏名不詳) - 蝦夷の次男で、物部氏の血を引いているとして物部大臣(もののべのおおおみ)となした、と『日本書紀』にある。
- 蘇我倉山田石川麻呂 - 従弟。そがのくらのやまだのいしかわのまろ。蘇我氏だったが中大兄皇子らと共謀して入鹿を暗殺した。
各メディアにおける蘇我入鹿
日本史を学ぶと蘇我馬子の馬子って男なのに変な名前だと言われるならば、その次は必ず入鹿(いるか)ってかわいいー、若しくはプールで輪潜りしてそうと言われてしまうのが宿命か。
ギャグマンガ日和
まだアニメには登場していないが「ちびっこ歴史大冒険」の回で登場する。
権力をかさにきて威張っていたが、630年にれきしハカセのタイムマシンでやって来た小学生、岡山太一君に「年表に2つしか出てこない」ことを理由に何かやってと言われ、自分が何もできない事が分かると急に卑屈になった。
しかし635年、ついに…
東方Project
「東方神霊廟」に登場する蘇我屠自古はOverDriveの怨霊「入鹿の雷」を持っている。
入鹿を暗殺した中臣鎌足の屋敷に雷を落とし祟り殺したということになっている。
また、蘇我入鹿と東方神霊廟との関係について深く考察されている方もいる。この議論の根底は「聖徳太子=蘇我入鹿」説であり、これによって蘇我屠自古(妻)が入鹿の雷を持っているだけでなく、物部布都(祖母)が同じくODの聖童女「太陽神の贄」を持っていることで、豊聡耳神子(聖徳太子=入鹿本人)との関係を解明できるというものである(外部リンク参照)。
※ あくまで「…という説もある」という議論を採用した可能性があるという事であり、製作者が信じているか否かは別の次元である。
長岡良子の諸作
長岡良子の漫画「暁の回廊」では、物語の中心的な人物として登場。容姿端麗にして頭脳明晰。未だ若輩とされかねない年齢であるにもかかわらず、既に政界の中心として重きを成す存在として描かれている。
その外見はあくまで明朗な青年政治家だが、しかし内心では、土着豪族たちの寄り合い所帯である朝廷の、また蘇我氏族の中で必ずしも磐石ではない自らの家の行方を憂いている。そのためか、時の朝廷では数少ない覇気有る人物、中大兄皇子と意気投合。互いに、この国の新しい形を切り開いて行こうと語り合うのだが…。
漫画の主人公である阿刀の姉と恋仲になるが、阿刀は入鹿のことを、自分の母代わりと言うべき大切な姉を託せる人物であると評価。また乙巳の変を端緒として描かれる別作品「夢の奥城」には、「温厚な蝦夷様を、闊達な入鹿様を討ち果たすとは神をも恐れぬ所業。このような世が長く続くはずはありません」と、その死に悲嘆を隠さない人物も登場している。
そのため長岡作品における蘇我入鹿は、悪人と言うよりはむしろ、志半ばにして斃れた悲劇の人と言うべきイメージに近くなっている。
その他
関連商品
関連項目
外部リンク
- ZUN氏は東方神霊廟で聖徳太子=蘇我入鹿の同一人物説を支持? (「ネット功徳な日々」)
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