虚無とは、何もない、むなしいこと、ではない。
何も無い=虚無なのか?
この記事には、独自研究と論理の飛躍がふんだんに含まれます。 |
虚無という状態あるいは存在・概念を表現する際に、「何も無い」は近い表現ではあるものの、虚無を的確に言い表しているとは言いがたい。
そもそも、「何も無い」ということは、すなわち「何も無い」という状態が「ある」ということを指し示している。「何も無い」という表現そのものが「何も無い」ことを否定してしまうのである。数字のゼロ(0)を考えてみて欲しい。0は数がない状態、正負どちらにも傾かない状態を示すが、それは数というものが存在することを否定しない。あくまで0は0という状態であるということを示す数値であり、そこには0という数値が「ある」
「何も無い」ということは「ある」ということと大して変わらない。それはこのニコニコ大百科でも明らかである。「ニヒリズム」の記事のように何も書かれていない記事は、その何も書かれていないということ自体によって説明とする。すなわち何も書かれていないことが最も重要であり、何もかかれないことに意味があるならば、「ニヒリズム」の記事は明らかに意味が「何も無い」記事ではない。ちなみにこの記事の初版もほぼ何も書かれていない記事であった。
いわゆる立て逃げ記事も同様で、これらはほとんどあるいは全く内容に欠けるあるいは意図不明な記事群とみなされるが、それでも何者かがその記事を作成する意図をもって立ち上げた以上、記事上に「概要を書いてください」以下まったくの無編集であったとしても、その記事が作られたという事実をもって「意味のない」記事ではない。それは明確に意味を持ち得る「糞記事」あるいは「要編集記事の一覧」として燦然とこの世界に存在する。
「何も無い」は「ある」という状態の一部であり、それは本当の意味で「何も無い」ことを指し示してはおらず、したがって虚無というものからはいささか遠い。なぜこうなってしまうのかといえば、我々人間にはあらゆる「何も無い」を「なにもない」と意識的に知覚することは(少なくとも今は)不可能だからである。
デカルトのおっさん曰く「我思う故に我あり」、人は思い考えることであらゆる存在の証明を行える。そのために、「思う」ことは「ある」ことを想起するがゆえに、「『ない』ということがある」と想起するほかないのである。
虚無るには
「何も無い」にさえ近づけない現状では、虚無についてその性質を表現、記述するのははなはだ困難である。漫画家、石川賢は自身のライフワーク作品、虚無戦記の巻末に「虚無の世界はやはり虚無でした」と記している。これはひどいが、虚無の真理を示した言葉であるとも言える。
虚無とは、虚無である。
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