虚舟(ウツロブネ; 空ろ船)とは、19世紀初頭の江戸時代後期に、常陸国(現在の茨城県)大洗港の太平洋沖に出現したとされる未確認物体の一種である。ウツホブネという呼び名もある。
概要
日本で古くから語り継がれてきたUFO遭遇事件としては数少ないものの1つであるが、発見時は漂着した状態で見つかっておりまた飛行機能の有無については一切記述が無く、何らかの動力を有していたのかも不明であるため本件をUFOではなく未確認潜水物体(USO)であると見做す説もある。
国内ではフィクションの題材に多く使われてきており、海外のユーフォロジストの間でも知名度はそれなりに高い。なおこの事件について民俗学者の柳田国男氏は、こうした伝説は、江戸に限らず日本各地に古くから伝えられてはいるが「どれも根拠の無い作り話である」とその信憑性を断乎否定している。
虚舟の由来
虚舟うつろぶねとは本来大木の中を刳り貫いて作った舟を指す言葉で、「空舟うつおぶね」の名称で『平家物語』にも登場している(巻第四・鵺)。また漢典『荘子』中に後世「虚舟きょしゅうの喩え」として知られる一節があり、そこでは人が乗っていない無人の渡し船を指す言葉として「虚船」の名が使われている※など、古くから知られる言葉であった。1900(明治33)年に出された森鴎外の小品『鴎外漁史とは誰ぞ』にも虚舟の名が登場するが、こちらは荘子の方を指している。
古語としても、虚舟きょしゅうという語は乗客や荷を載せていない空の船、から船を意味する言葉として古くは平安時代にその用例を残している(『菅家文草』など)。
一方で、江戸時代のものとされる、本件について書かれた報告書形式の資料文では「虚舟」の語は一切使われておらず、事件の噂が各地に伝播する過程で付けられた名称であるか、文筆家による奇譚化に際して当てられたものと思われる。
※荘子、山木第二十「方舟而濟於河,有虛船來觸舟,雖有惼心之人不怒。」
虚舟の目撃談
未確認物体としての虚舟が初めて目撃されたのは享和3年(西暦1803年)2月22日とあり、地元の漁師によって海岸に不審な船舶が漂着しているのが発見されたという。一方別資料では22日では無く同月5日で、漂着先も常陸国ではなく安房国だと記されているとの事。
どの資料でも中に乗員が居たという点では共通しているが、服装・所持品など細かな点でいくつかの相違が見られる。意思疎通を図ったが言葉が通じなかったという点も一緒だが、先述の安房国と記された資料では乗員の人物が日本人達に向かって手を合せ何か話してきたり、南の方角を指して喋っていたが何を言っているのか皆目理解できなかった、といった具合に当時の遭遇者とどのような遣り取りがあったのかについてその一幕を語っている。
南がこの虚舟が飛来(または渡来)してきた方向を指していたとすれば、関東地域のほぼ真南に位置している小笠原諸島や、更に南方の南洋諸島、赤道を跨いだオーストラリアやニューギニア、果ては南極といった場所が候補に挙げられる。特に南極はUFOに関する噂や目撃談などが絶えない場所であるが、虚舟と類似した伝説が南極により近い他の地域に残っているかは不明である。
また後年に江戸の読本作者曲亭馬琴によって著された、虚舟事件を扱う談話の1つである兎園小説『虚舟の蛮女』[日本随筆大成第二期巻一(昭和三年)]には虚舟及び乗員を描いた図版画と共に次のような補足が為されている。
船体内部について【(謎の文字を図示しながら)如此蠻字舩中ニ多ク有之】
船舶内に居た人物について【假髻†白シ何トモ辯シカタキモノナリ】【ネリ玉青シ】
※瀝青の事。
*1間は6尺で約1.8m。
†髢(髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪)の事。
虚舟の形状
虚舟の形は資料によって若干異なっているが、茶碗を上下二つ張り合わせたような形をしているものもあれば、上体はドーム型で真ん中に翼部となる縁があり下半分も半円形をしていたりと、丸型という点では共通である。
また上体には覗き窓が付いているという点や、下部には縦縞模様が入っていることも多くの資料で同様である。覗き窓に関しては枠が四角く、また格子が付いている様子で描かれており、当時の人々からは「障子」を連想させるようなものであったことが伺える。
長さについては全幅を三間としているものもあれば凡そ五間としているものもあり、資料によってかなりバラつきがある。乗員が一名であった事を考えると約5.5mという長さも無理のあるものではないが、UFOとしてはかなり小型の部類に属する事はほぼ確実である。
船内の様子については残念ながら資料には描かれておらず、謎の文字が船内に多く記されていたという点を除いては不明である。よって内部に関してはUFOに搭乗したと証言する海外のコンタクティーによるUFO内部の詳述などを参考する他ないのが現状である。
◆虚舟の正体がUFOやUSOの類ではなく、人類によって開発された潜水艇であった可能性も考えられる。1776年にはタートル潜水艇と呼ばれる世界初の実戦投入された潜水艇がアメリカで既に開発されており、虚舟事件が1803年であった事を考慮すると可能性は無きにしもあらずとなる。しかしタートルは人力駆動であり、遥々アメリカ大陸から潜水艇で生身の人間が漂着するという事は食糧供給という観点から考えてもほぼ不可能ではないかと思われる。日本国内で同様の潜水艇が開発・製造され、国内の何処からか出港し大洗港に漂着したという可能性もあるが、そうした場合その顛末がこのような形で記録される可能性は極めて低い。また潜水艇を発明する程の発明家であれば平賀源内のように後世に其の名を馳せていると思われるため、江戸時代において無名の技術者が人知れず独力で潜水艇の発明を達成していたと考えるには多くの難点を抱えている。
更に、こうした初期の潜水艇試作型が(無人状態で)日本の沿岸に流れ着きそれが虚舟伝説の元になったのではという説もある。これについてはタートル潜水艇の開発が大西洋側に面する東海岸のコネチカット州で行われており、またアメリカ大陸の西海岸地域は18世紀末から19世紀初頭にかけてはまだ米領ではなく、スペイン人による植民地化が進んでいたが当時彼らが潜水艇の開発に及んでいたとは考えにくく、同様にしてメキシコ及び中南米から漂着したという可能性も薄い。潜水艇説の残る線としては蘭領東インドやスペイン領フィリピンからの漂着が考えられるが、こちらも当時これらの地域で潜水艇の開発・実験が行われていたという記録はないものと見られる。
謎の文字
船体内部の至る所に記されていたという「蠻字」はどのようなものだったか。これについては図解資料を参照する限り地球上のどの言語の文字とも似つかないものだが、文様自体は直線や三角・四角などの単純図形を2,3組合せたもので、特にこれと言って複雑怪奇な形状をしていたという訳ではない事が伺える(或いは目撃者が部分的にしか覚えていなかった可能性もある)。
また漢字の「古」や「王」によく似た形の字が記されていたとされるが、それらの字そのものやその異体であったというより、日頃漢字を多用している日本人だからこそそれらの形と強くイメージを結び付けて読み取っていたとも考えられる。
また虚舟関連の資料に記されていた文字記号については1980年英国サフォーク州で発生したUFO遭遇案件であるレンデルシャムの森事件において、遭遇者が残したメモから図に起こした謎のシンボル群※との類似性が指摘されており、それらと同一系統のものである可能性も高い。
※同事件のUFO目撃者は二等辺三角形とその頂点付近に丸が描かれたシンボルを書残している。虚舟にも同様の文字が記されていたと伝わっているが、こちらは辺のほぼ中間に丸があり、若干異なったものになっている。
海外のUFO関連情報との比較
資料に描かれている虚舟の形状は今日広く流通しているUFOのイメージ図やその実物を収録したとされる写真・映像のそれとよく類似しており、また中に人の姿をした人物が搭乗していたとされる点も共通している。
しかし一方で本件は19世紀初頭に発生したと報告される奇談であり、フライングソーサーの名を世間に知らしめる事になる、米国で1940年代後半から断続的に発生した一連のUFO遭遇事件よりも遡る事1世期半の時代の出来事である。
更に乗員の出立は異国風の人間と、UFOとセットで語られているようなグレイ型宇宙人のそれとは明らかに異なっており、また遭遇時の状況もアブダクションといったものではなく漂流者としてのそれであり、海外の典型的なUFO遭遇案件とは様相を異にしている事が容易に読み取れる。
また海岸に流れ着いたというのも他のUFO遭遇事件と比べ特異な点である。通例UFOが目撃されるのは内陸部の市街地や森林、牧場や農地といった場所が多く、UFOの仕業であるとの説が流れているクロップ・サークルも無論内陸の各畑地で発生している。海岸にUFOが漂着したというケースは数あるUFO遭遇事件の中でも珍しく、以上の点を踏まえると、共通点は数多くあるものの海外のUFO遭遇事件とはかなり性質の違うものであると考えられる。
虚舟を資料に描いたとされるものを海外のUFOのそれと比較した場合、形状的には恐らくダニエル・フライ(Daniel Fry)が搭乗・撮影したと主張しているものが最も近いが、ダニエル・フライの証言や資料はユーフォロジストの間ではあまり重要視されてきておらず、狂言説も根強い。
ロズウェル事件との比較
UFO遭遇事件としては世界で最も有名なのが1947年にアメリカ合衆国のニューメキシコ州で発生したロズウェル事件だが、本件に関わった米陸軍大佐フィリップJ.コルソが除隊後に著した"The Day After Roswell"(邦題:『ペンタゴンの陰謀』)では同事件で米国が回収したエイリアン・テクノロジーの中にガンマ線照射食品技術があったと報告している。これは保存食を作る技術で、虚舟事件でも船内に壺形の保存容器があり、その中に練り物のような食料が蓄えられていて乗員はそれを食べていたと記されている。もしこれが同様の技術を用いて製造されたものであればロズウェル事件で墜落したUFOと虚舟には何らかの共通性がある可能性が浮かんでくる。
一方でUFOの搭乗員はロズウェル事件の場合3名であったという説が有力で、対するUFOの大きさは諸説あるが高さ3-5m、幅5-9m程度となっている。これは伝わる虚舟の寸法とそう変わらないが、乗員が1名と3名とでは必要な設備に相応の差が生じてくる。以上を勘案すると両件ともその背景は謎に包まれているがやはり性質の大きく異なるものであったと見るのが自然である。
関連動画
リンク
やじきた.com … 新たに発見された江戸時代の資料を元に虚舟事件を検証。
関連項目
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