蝦夷共和国とは、1868年から1869年にかけて蝦夷地(北海道)に存在した政権の通称である。
但し、彼らは蝦夷共和国と名乗ったことはない。箱館政権とも呼ばれる。
概要
榎本武揚率いる旧幕府海軍が奥羽越列藩の残党を吸収しつつ蝦夷地に上陸。府知事を敗走させた後、蝦夷地を占領した。彼らは、更に独立政権として認めるよう函館にいた諸外国の領事に要求した。この時、蝦夷共和国が事実上の政権と認められた。実際は、箱館政権に好意を持った英仏艦長が本国無視して覚書送った挙句、言葉の不慣れさから誤った言葉を使っただけらしい。まあ、榎本武揚の外交手腕の賜物といったところか。
首都は箱館。公用語は日本語、他にアイヌ語。総裁は榎本武揚。副総裁に松平太郎。
1868年12月15日に成立を宣言。一応、政権としての体裁は整えたが必ずしも一枚岩ではなかった。
ちなみに、日本で始めて選挙で官職を決めた(公選入札)。多分、投票率は100%であろう(有権者が指揮官級以上の階級に限られたため)。但し、得票結果をそのまま反映はせず、参考にとどめている。
1869年5月17日、政府が新政府軍に降伏し、その他の人も次々に降伏。事実上崩壊した。
軍事力
陸軍奉行大鳥圭介、陸軍奉行並土方歳三の率いる、歩兵四個連隊を中心とした陸軍、および荒井郁之助が海軍奉行を務め、旗艦開陽以下千代田形など軍艦6隻、輸送船6隻からなる海軍を有していた。
北洋の風浪のため多くの軍艦が失われ、千代田形や蟠龍といった残存艦も新政府海軍との海戦の挙句喪失した。
陸軍は五稜郭と周辺の砲台に拠って抵抗したが、激戦の後敗北・降伏し解体されている。
関連動画
関連商品
関連項目
- 5
- 0pt
- ページ番号: 4817106
- リビジョン番号: 2731226
- 編集内容についての説明/コメント: