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この記事は馬鹿には見えない文字で書かれています。 馬鹿でなければ見ることができるはずです。 |
裸の王様とは、アンデルセン童話の一つである。
概要
お城の王様の元に仕立屋が現れて、跪き無手を掲げて「これは馬鹿には見えない布です」と王様に見せた。
それを聞いた王様は見えない自分は馬鹿だと思われたくないために「おお、素晴らしい布だ!」となにも持っていない手に対して感想を述べる。
他の従者達も(見えないのは自分だけではないか?)と思い、馬鹿だと思われたくないために次々と感想を述べた。
仕立屋は織り機を借りて服を仕立て上げたふりをして、なにもないのに「服が出来た」と王様に見せる。
周りが美しいと言うので王様も(自分には見えないが、きっと美しい服なのだろう)とそれを大金で買い取った。
王様は触れた感触もないその服を着て、城下町を歩いた。
『馬鹿には見えない服』の存在は町の人々も聞いており、見えもしないのに馬鹿だと思われたくないために、裸の王様を次々と賛美した。王様は気を良くして胸を張って歩いた。
しかし、そんな事を知らない子供たちが王様を見て笑う。
「王様が裸で歩いているぞ」「裸の王様だ!」
その言葉を聞いた町の人々も徐々に王様が裸であると言い始め、すぐに全員が「裸の王様」と笑い始めた。
この話の教訓
この童話は様々な事柄のたとえ話などに、用いられる。
- 「周りが言っているから、自分が間違っているのに違いない」という自己判断の喪失。
- 「馬鹿だと思われくない、周りより下だと思われたくない」という人間の小さな見栄。
- 上記を用いた集団催眠商法という詐欺。
- 「王様」だが「裸」。転じて、実際には無い実力や権威を見せかける者への批判。
- 「裸」だが「王様」。転じて、実力が無さそうな人間だが実は何らかの力を持っているという例え。
- 権力とは国民一人一人が思い込む事によって生まれる、目には見えない衣服のような物という例え。
- 子供のようなまっすぐな意見も、時には大切だという事。
- もしくは現実的な正しい意見よりも、集団が思い込む嘘の方が時には大事であるという事。
- 例え裸であっても、王様のようなプライドを持てという人間賛美。
などなど。話が分かりやすい分、いろんなことを考えさせられるストーリーである。
それはともかく、もっと重要な事がある。それはこの王様が「刑法174条 公然わいせつ罪」に罰せられないかという事である。
わいせつ罪において重要なのは『性的興奮を覚える目的のため』に裸になったかどうかである。ここでいう裸は陰部、女性の場合はさらに胸部を他人に対して晒しているかどうかであり、そこさえ隠してあれば裸ではない。
もし仕立屋がパンツまで『馬鹿には見えない布』で作っていたらどうであろうか? そうであれば王様は陰部丸出しで町中を歩くことになるので公然わいせつ罪と言えるだろう。しかし王様は性的興奮を目的として着ているのではなく美しい服があると思いこんで着ているにすぎない、仕立屋が詐欺罪で訴えられるのは当然であるが王様は罰を受けないのである。
と結論付けたいところだが、ここで重要になるのが『馬鹿には見えない布』であるという事である。そう『馬鹿以外には見える』が『馬鹿には見えない』つまり馬鹿に対しては完全に露出状態になってしまうのである。
過去の富豪には「奴隷に裸を見られても何とも思わない」という人を人として見ていない差別発言をした女性もいたが『馬鹿』は確実に人類の範疇であろう、つまり王様はいくらかの人物に対しては陰部を見せることを良しとしていたという事になってしまう。
そこを指摘されれば「着なければならない状況であった」と集団催眠の可能性を挙げるであろうが果たして下着まで『布』を使う必要があったのか、裸体を見せる事で実は快楽を得ていたのではないか? もちろん想像の犯罪なので決着はつけなくてもよい。
ちなみにアンデルセン童話も、元になったスペインの童話も、ちゃんと下着はつけていたとのことである。
関連作品
- ユニコーンの八枚目のアルバムSPRINGMANの収録曲「裸の王様」
- ロックバンドTHE BLUE HEARTSの曲「裸の王様」
- 東京バナナボーイズの曲「裸の王様」
- LOVE PSYCHEDELICOの曲「裸の王様」
- SMAPの曲「はだかの王様 ~シブトク つよく~」
- JAGATARAのアルバム「裸の王様」
- 1993年に日本テレビで放映していたバラエティ番組「谷村新司のテレビ裸の王様」
- Waffle制作のエロゲー
- 遊戯王のカード『裸の王様(おうさま)/The Emperor's Holiday』
永続罠 全ての装備カードの効果は無効になる。
関連項目
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