概要
株式会社KADOKAWAの取締役会長などを務めていた。(2022年10月4日に会長職の辞任を表明し、同年11月4日に取締役も辞任。)
株式会社KADOKAWAは日本で有数の出版大手/総合エンターテインメント企業「KADOKAWAグループ」(角川グループ)を取りまとめる企業であるため、同グループのトップらの一人ということになる。
株式会社KADOKAWAの大株主の一人でもあり、令和3年度の同社の有価証券報告書によれば、2,920株、同社の発行済株式総数(自己株式除く)に対し2.07%保有しており、所有株式数の順位で言えば9位。個人株主としては川上量生(8,193株、5.8%)に次ぐ2位である。
苗字からもわかるように、KADOKAWAグループの創業者一族の出身でもある。同グループは1945年11月10日に国文学研究者であった角川源義が出版社を創業したことを源流にしているが、この角川源義の次男が角川歴彦である。なお、著名な兄弟姉妹に、姉に出版社『幻戯書房』創業者・作家の『辺見じゅん』こと真弓、兄に角川書店第2代社長の春樹がいる。
1966年に父の会社である角川書店に入社。雑誌部門にて1982年にテレビ情報雑誌『ザテレビジョン』、1983年創刊のパソコン/ゲーム雑誌『コンプティーク』、1988年にライトノベルなどの文庫レーベル『角川スニーカー文庫』、1990年にタウン誌『週刊トウキョー・ウォーカー・ジパング』(後の東京ウォーカー)、1991年にTRPG誌「コンプRPG」、1993年に角川スニーカー文庫と連携するライトノベル系雑誌『ザ・スニーカー』など、様々な新雑誌/新レーベルを立ち上げ成功させた。また、子会社「ザテレビジョン」「角川メディアオフィス」の社長も兼任し、同社はこういった雑誌/レーベルの編集なども担当していた。
兄の角川春樹が、文芸、映画に強くトップセールスを行う一方、番頭として春樹の不在時に重役会議を主宰するなど社内をまとめつつ、これらの雑誌/レーベルを基盤としてメディアミックス戦略を成功させ会社の両輪の一角となっていた歴彦だが、角川書店の社長となっていた兄、角川春樹の映画メディアミックスに陰りが見え始めたり、角川書店の後継者として入社させた春樹の子息が入社を経て、春樹と徐々に関係が悪化(歴彦は当時副社長)。歴彦側の派閥だった役員が解任されるなどのトラブルを経て、1992年に歴彦は退社し、「角川メディアオフィス」の社員らの大半を引き連れて新会社「メディアワークス」を立ち上げた。(ニュータイプも発行していた井上伸一郎はじめ、ザテレビジョン社のスタッフは残留)
メディアワークスでもパソコン雑誌『電撃王』、ライトノベル文庫レーベル『電撃文庫』、漫画雑誌『コミック電撃ガオ!』など様々な事業を立ち上げ、「角川メディアオフィス」時代のノウハウや作家らなどとの人脈を武器に角川書店のライバル/競合的な立場となって古巣の角川書店、そして兄の春樹と鎬を削った。
だが1993年、兄の春樹がコカインを密輸していたのがバレ、業務上横領などの罪も含めて逮捕されてしまう。春樹は角川書店社長を全役員から解任され、そして歴彦が角川書店に戻って社長の座を受け継ぐことになった。歴彦が社長に復帰した際にはその際春樹派の主要メンバーだった見城徹など7名は角川書店を退社し、幻冬舎を立ち上げている。
しばらくメディアワークスと角川書店は並列していたが、角川グループの持株会社化、角川グループ各会社のワンカンパニー化を経てメディアワークスはKADOKAWAに吸収されることになる。
アスキー、エンターブレイン擁するメディアリーブスを投資会社から買収、親会社リクルートの都合により競売に掛けられていたメディアファクトリーを買収、経営者から売却の相談を受けていた中経出版グループなどを買収するなど規模拡大を押し進める。
その後のループ再編により、角川書店取締役会長を経て、角川グループホールディングス、KADOKAWAと、カドカワ代表取締役会長など代表職が就いたり就かなかったり、社長になったりと紆余曲折あって株式会社KADOKAWAの取締役会長となった。角川お家騒動後の経営改革として社則などを整備する際に同族企業にしないため角川一族に株を手放させ、一族を退社させたこと、歴彦に子息がいないことから後継者問題が生じていた。
経営者の姿勢としては合理的ではあるが、オタク向けだけでなく、実写映画ドラマにも関心があり、『沈まぬ太陽』に関してはトップ自ら調整に出ており、社長就任当初当初はアニメ映画中心だったが90年代後半以降、角川映画を復活させ映画リングシリーズやメディアミックスについて自らも携わってきた。
また若いときから予算に厳しいとされており、番頭として動いていたこともあり兄の春樹の会社を傾かせるような大盤振る舞い予算を使うのとは対照的であるとされる。批判も無い訳では無く代表権を退いた後も役員人事をハンドリングしていたのではないかとされる。
アメリカのAmazonのKindleに早くから危機感を覚え、デジタルトランスフォーメーションを推し進め、ブックウオーカーやNTTドコモとの合弁事業ドコモアニメストアの事業も推し進めていた。出版社の枠を外したメガコンテンツプロバイダー化を目指す方針を掲げ、出版拠点、博物館、観光拠点の『ところざわサクラタウン』の開設にも熱心であった。
以上のように、日本のサブカルチャー・オタク分野に多大な影響を与えている、オタク文化の偉人である。
角川グループ以外でも、日本雑誌協会理事長、日本映像ソフト協会(JVA)会長、コンテンツ海外流通促進機構(CODA)代表幹事、東京国際映画祭チェアマン、内閣官房知的財産戦略本部本部員、東京大学大学院情報学環特任教授、財団法人角川文化振興財団理事長、一般社団法人アニメツーリズム協会理事長など、輝くような様々な重要ポストを歴任した。
編集者・漫画原作者の大塚英志とは親しい仲であったが近年は歴彦について批判が目立つ。(が、角川書店系雑誌にて漫画連載を続けている。)
このように完全に兄・春樹を乗り越えたはずの歴彦だったが、一つ春樹にあって歴彦に無いものがあった。
そう、逮捕歴である。
だが、2022年9月14日。2020年東京オリンピック・パラリンピックのスポンサー選定をめぐる汚職(大会組織委員会元理事の高橋治之容疑者に対する贈賄)容疑で、東京地検特捜部は歴彦ほか2人の社員、元社員を逮捕した。このことによって彼ら兄弟は初めて、逮捕歴という同じステージに登ることができたのだ。
ただこれらの話は検察の主張であり、被疑者否認事件であり2022年11月4日現在、検察により起訴はされたが、歴彦本人は弁護士を通じ裁判で無罪を主張するとしている(取締役と会長は辞任)。よって裁判で有罪とは確定していないことに留意する必要がある。
2024年6月27日に手記『人間の証明 勾留226日と私の生存権について』がリトルモア社から英語版と同時に刊行された。タイトルは作家・森村誠一氏の遺族から許諾を貰い付けているという。歴彦の拘留中の体調不良にも関わらず治療を積極的に施さない処遇を受ける、自白をしなければ保釈を認めない検察・裁判所の人質司法を強く批判するとともにこれからの人生のライフワークとして闘う覚悟を見せる。出版と同時に外国特派員協会で記者会見を行い、東京地方裁判所へ国家賠償請求として国を提訴した。請求額は二億二千万円。人質司法への反対連帯としてChange. orgでの署名活動も行われた。なお、オリンピック疑獄に関しては無罪を主張しているが刑事裁判で闘い抜くとして本件とは分けて主張している。
備考
ところざわサクラタウンにある、ラノベ・漫画図書館にある宣言文『ライトノベル宣言』のほか電撃文庫や角川EPUB選書など一部のレーベルの巻末には角川歴彦による刊行の辞が掲載されている。
なお、電撃文庫の巻末の創刊の辞は2022年10月以降収録がなくなっているようである。
関連動画
著書
- クラウド時代と〈クール革命)(片方善治監修、KADOKAWA、2010年刊行)
- グーグル、アップルに負けない著作権法(KADOKAWA、2013年刊行)
- 躍進するコンテンツ、淘汰されるメディア(KADOKAWA、2017年刊行)
- 人間の証明 勾留226日と私の生存権について(リトルモア、2024年刊行)
関連項目
親記事
子記事
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兄弟記事
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