概要
元仁元年(1224年)、北条義時卒去後に伊賀氏の変などを抑えて執権に就任した北条泰時は自分をサポートする機関として副執権ともいうべき連署、そしてこの評定衆を設立した。この評定衆には政所執事、問注所執事も含まれており、執権・連署・評定衆による評定会議が鎌倉幕府の最高議決機関・訴訟機関となったのである。
とはいえ訴訟に関しては引付衆の設立によってある程度分譲されることとなり、また最高議決機関としては私的機関であった寄合衆の公的化によって形骸化し、実質幕内における寄合衆に次ぐ家格を示すものと化していったのである。
なおこの評定衆は事実上の栄誉職というところまで室町幕府に丸パクリされている。
評定衆家
北条氏
文士
外様武士
御内人
ここに挙げたもの以外にも存在する。
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