現在の主筆(編集長のようなもの)はナベツネこと渡邉恒雄が務める。
概要
新聞大国の日本において、最も多く売れている新聞。2位は朝日新聞、3位は毎日新聞である。
シェアで言えば、全国規模でライバルといえるのは朝日のみであり、毎日は大きく引き離している。
朝日新聞がインテリ向け新聞、日本経済新聞がビジネスマン向け新聞とされるのに対して、読売新聞は一般大衆向け新聞と言われている。
全国紙で唯一、紙面に人生相談コーナー(現在の名称は「人生案内」)を設けている。安定した人気があり、前身を含めると100年弱の歴史を持つ長寿企画となっている。
発行部数
以前は1000万部を超えていたが、984万部(2013年6月)→621万部(2023年9月)である。(日本ABC協会発表)。2022年の時点で世界一からは陥落した(一位はニューヨークタイムズ)。
論調
現在の紙面の論調は中道右派・新自由主義寄り。親米保守とも言われる。ただ、似たような傾向の産経新聞よりは穏やかで現実的。
ナベツネが論説委員長に就任する1979年以前は、リベラル(中道左派)な論調も随所で見受けられた。
提言報道
客観報道と調査報道を掲げるのが一般的な新聞報道だが、読売はそれに加えて「提言報道」を掲げている。
時折「緊急提言」という題で紙面を何ページも割いて、特定の問題に対する自社の意見をまとめた特集記事を組む。
1994年に読売新聞が紙面上で突如発表した「憲法改正試案」は当時、関係各所に衝撃を与えた。
最近の例を挙げれば、2011年8月11日に「震災復興」「新政権で復興急げ」などと題して東日本大震災からの復興に関する提言を掲載している(詳細)。
この「提言報道」は、人々に具体的な問題提起をするという意味では有効だとする意見があるが、提言の内容が特定の考え方に偏向していることを憂慮する意見もある。
ジャイアンツ愛
発行元の読売新聞社(読売新聞グループ本社)はプロ野球球団「読売巨人軍」(読売ジャイアンツ)の親会社である。
東京本社版のスポーツ面は基本的にジャイアンツ愛であふれている。
なので、ジャイアンツ愛の精神を持つファンは読売新聞とスポーツ報知(読売グループのスポーツ紙)を読むのが伝統。
1980年に起きた長嶋監督解任騒動の際には巨人ファンの間で読売新聞とスポーツ報知の不買運動が起き、読売新聞は部数を30万部ほど減らしたと言われている。
ちなみに、大阪本社版や西部本社版では、スポーツ面に各地元球団(阪神タイガースや福岡ソフトバンクホークス)が大きく取り上げられることもしばしばで、ジャイアンツ愛は少々マイルドになっている。その一方で名古屋を中心とした東海地方を管轄する中部支社は、東京本社の傘下ということもあってか野球記事の主軸は巨人であることが多い。
インターネット展開
インターネット事業への進出には他社と比べて若干消極的。日本一の新聞という自惚れ自信があるからだろうか。
現在は、ニュースサイト「YOMIURI ONLINE(ヨミウリ・オンライン)」、会員制情報サイト「yorimo(ヨリモ)」、女性(主に主婦)向け情報サイト「大手小町」、その大手小町内にある暇な女性のための吹きだまり掲示板「発言小町」などを運営している。また、朝日・日経と共にニュースポータルサイト「新s(あらたにす)」にも参加していた(2012年2月末にサービス終了)。
2012年5月14日、読売新聞購読者限定の有料サービス「YOMIURI PREMIUM」を開始。料金は、同様のサービスを提供する朝日や日経が月額料金を紙の購読料+1000円に設定しているのに対し、読売は紙の購読料+157円と大幅に安く設定している。
歴史
最初は、東京に拠点を置くちっぽけな新聞社だった。
どうやら文学作品の掲載に定評があったらしいが、記事は全体的に硬派路線であった為か販売部数はライバルに比べて伸び悩む。
1923年の関東大震災で社の経営が傾くと、ちょうどその頃に警察を辞めた正力松太郎が読売新聞社を買収し社長になる。
古巣の警察との癒着パイプを持つ正力の力をフルに使い、それまでとは打って変わって野次馬根性全開の紙面作りを始める。
その他にも様々な策を施した結果「三面記事に強い」新聞となり、ある程度の衆目を集めるようにはなった。
この頃までの読売新聞は、全国紙ではなく東京(関東地方)を中心にしたブロック紙と呼ぶのが最も適当だろう。
読売新聞が本格的に全国進出を始めるのは戦後のことである。
1952年に大阪(現在の大阪本社:西日本向け)に、1964年に北九州(現在の西部本社:九州・山口向け)に紙面製作の拠点を新たに置いた。
1947年に正式に傘下に収めたプロ野球チーム(読売ジャイアンツ)や他社と比べて早い時期から進出したテレビ事業(日本テレビ放送網、読売テレビなど)などを通して宣伝を繰り返し、執拗な拡張活動も繰り返した末に1000万部に達するほどの大新聞となった。
ちなみに、名古屋で展開した中部読売新聞の存在は黒歴史である。
関連する人物
正力松太郎
正力松太郎は、読売新聞を日本を代表する新聞に育て上げたのはもちろんのこと、「プロ野球の父」「テレビの父」「原子力の父」とも呼ばれている。
ここには詳しく記さないが、興味があれば色々調べてみると面白いかもしれない。
渡邉恒雄
ナベツネの愛称で様々な人々から一種のネタとして親しまれている渡邉恒雄は、現在の読売新聞の編集や論説の責任者である。先にも少々触れたが、現在の読売新聞の論調を決めているのは彼。彼をなくして今の読売新聞は語れない。
1979年に読売新聞論説委員長、1985年には読売新聞主筆に就任。その他にも読売グループ内外で様々な役職に就いているが、挙げるときりがないのでやめておく。
主に政界に顔が広い。特に中曽根康弘元首相とは大の仲良し。中曽根が首相を務めていた頃、時の内閣の政策を批判した読売新聞のコラムを主筆権限で差し替え・修正させたこともあるほど。
平成に入ってからはスポーツ界にも関わるようになり、時折彼の行動や発言自体がスポーツニュースでも取り上げられる。
関連動画
関連項目
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