誰かを助けるのに理由がいるかい?とは、ファイナルファンタジーⅨのキャラクター、ジタン・トライバルの台詞である。
概要を話すのに理由がいるかい?
FF9はスタート画面のまま操作を放置していると現れるデモ画面で、メインキャラクター8人の内に抱える悩みを表す単語と独白が添えられたCG画像が表示される。その内のひとつ、本記事の台詞がジタンのものである。FF9のもうひとつのテーマである『生命讃歌』のロマンが詰まった台詞。
基本的にそれらの台詞は作中でキャラクターが実際話すことはないのだが、ジタンのみ例外で、とあるシーンで『あのキャラ』にこの台詞を口にする。
ネタバレをするのに理由がいるかい?
『あのキャラ』とは、FF9の黒幕であるクジャのこと。
ジタンたちに敗れ、自身の死の恐怖と絶望から生み出された死を司る存在すらも倒されたクジャは失うものをなくし、ジタンたちを外へ転送してイーファの樹の深層にて孤独に死を望む。ジタンはクジャが世界に振り撒いた災いを重く受け止めながらも、「オレが同じ立場だったら同じ行動を取らなかったと言い切れない」、「誰だっていつかは死ぬとはいえ自ら死を選ぶ必要はないだろう」と胸中を説明し、仲間を逃がして単独でクジャを助けに向かう。辿り着いた先でクジャと再会し、なぜわざわざ助けに来たかを尋ねられた折にこの台詞を話す。
存在意義そのもののプライドに背いてまで逃がしてくれたクジャの行動を深く追求せず、愚かな行為と蔑むこともせず、高尚な理由を並べ御膳立てをせず、ただクジャの取った『正しい』行いを『肯定』する意味合いで使うからこそ、この台詞は真の意味を成す。
劇中の他の言葉で例えると「おまえが行くって言ったからさ」と似たような用法で、ストレートな言い方を避け相手の決意を無粋に踏み荒らさないためのファンタジーな返答の仕方。
救出に向かう前にスタイナーに「(救出に行く理由は)それはふたりが同じテラの者だからなのか?」と問われた際にはジタンは「そんな理由じゃないさ」と返している。
ジタンからすれば「逃げろと言ってくれた」、それだけで助けに行く理由は十分だったということになるのだろう。
クジャの積み重ねてきた罪の重さから考えると独善的、偽善的とも取れるし、今生の別れを交わすだけならテレパシーで済ませられるのだが、クジャの敵意を取り除きジタン自身が抱く「この世にいらない存在なんてない」という信念に対する誠意を見せるためには身を挺して助けに行く必要がある。
捨て鉢の善に真っ向からの善で応えたことで、クジャは最期にやっと死の恐怖と絶望を乗り越え永遠の眠りにつく。『生命讃歌』のメッセージ性が強く輝くエピソードである。
既視感を覚えるのに理由がいるかい?
- 『らき☆すた ネットアイドル・マイスター』に「だれかを助けるのに理由がいるかい?」という問題がある。
- 『天頂-TEPPEN-』の片倉千早がこの台詞を話す。
- アニメ『ノーゲーム・ノーライフ』の一話の次回予告で「誰かを助けるのに」「おもしろそう以外の理由がいるか?」というやり取りがある。
関連項目を載せるのに理由がいるかい?
- ファイナルファンタジーⅨ
- ジタン・トライバル
- ファイナルファンタジーの関連項目一覧
- 誰かをtasけるのに理由がいるかい?
- 人間讃歌 - 『ジョジョの奇妙な冒険』より。恐らく似たような意味で"生命讃歌"がテーマになっている。FF9の場合は命ある者と命ある人でない者が入り乱れる世界なので"生命"を広義としている。
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