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しょかつりょう
諸葛亮   いわく、

ほかに することは ないのですか?

 

わたしは ちゅうごく さんごくじだいにて しょくかんに つかえた せいじかです。 あざなは こうめい。

くわしくは グーグルか ウィキで おしらべなさい。

 

まて あわてるな これは こうめいの わなだ?

だ ま ら っ し ゃ い !

なんでも わたしのせいに すればいいという ものでは ありません。

概要

諸葛 181-234)は中国三国時代にてに仕えた政治家。徐州琅邪陽都県出身。字は孔明。妻は黄夫人

外見は多くの場合、着物に先端がくるくるっとした帽子を被り、羽扇を持っており、たまに車椅子に座っている(彼の発明品「四輪」の想像図にちなむ)。

劉備三顧の礼で迎えられ配下となる。劉備の死後は劉禅に仕えた。
その後、丞相として内政に励みながらも自ら軍を率いてを攻める北伐を行った。5度の北伐の最中、五丈原の戦いの中にて病。北伐の際に奏上した出師の表、後出師の表は名文として有名。[1]

一族にも有名な武将が多くいる。例えば諸葛瑾にて政治軍事の両方で活躍していた。

正史における孔明

演義で描かれた活躍のせいで、「妖術使い」だとか「神算謀の策士」といった戦略扱いされることが多いが(実際、コーエー三國志でもそういう扱いを受けている)、正史における実際の本人は、内政に特に優れていたようである。
戦争揮や戦術眼に関しては、孔明と並び称されたこと龐統劉璋裏切り劉備らを迎えた法正など、他の人物の方が優れていたと評されることが多い。(共にの建以前に死亡し、北伐には参加できなかった)

正史での彼は戦争に関して慎重で堅実であり、むしろ奇策を好まなかった。ほぼ確実に勝てると踏んだ時にしか攻めなかったため、よく魏延と対立した。有名な話としては、北伐の際に魏延が敵の後ろからの奇襲を提案したものの、成功するかどうかは半々だったために孔明が退けたというものがある。このことについて、「力に劣るが致命的な大敗を免れてきた孔明戦略眼」と見るか、「奇襲での勝利以外に逆転がないにも関わらず奇策を用いれなかった孔明失策」と見るかでその手腕の評価は異なる。

陳寿は評において「臨機応変の軍略は得意でなかったのではないか」と疑問を投げかける。ただし、諸葛亮が数で勝る軍を相手に、さしたる損もなく「勝てずとも負けない戦い」を数年に渡って展開し [2]、退却時にも王双や対戦線のナンバーツーの名将・張郃を討っている。電光石火の急襲を得意とする司馬懿ですら、打ち破られて堅固に守り続けるしかない状態に追い込まれたことは紛れもない事実である。(敵の司馬懿からも「下の奇才」と最大限に評価されている)

諸葛亮に関する成句

諸葛亮をもとにしたキャラクター

策士・諸葛亮孔明 ジャイアントロボ THE ANIMATION~地球が静止する日~
「だまらっしゃい!」
書籍『世界征服は可か?』において「寒さで部下が次々と凍え死んでいるのに何が『策士孔明プランどおり』か」とダメ出しを喰らっている。
諸葛亮(恋姫†無双
はわわ、ご人様、敵が来ちゃいました!」
時々テンパって舌をかむが、軍師としての判断力は折り紙つき。「」では同僚に「あわわ」ことホウ統が加わる。
諸葛亮孔明(一騎当千
諸葛亮孔明(鋼三国志
孔明リ・ガズィBB戦士
諸伏高明名探偵コナン)なお、声優横山三国志と同じ速水奨
諸葛孔明(Fate/Grand Order
正確には、現代人の依り代によって存在を保つ「疑似サーヴァント」としての登場。
 → ロード・エルメロイⅡ世

 諸葛孔明(パリピ孔明

余談・その他

  • である劉備のいなくなった後は、彼の遺志を引き継ぎ、の全務を自分で決裁していた。それに加えほとんど睡眠をとらず、食事は数しか食べない状況が続いていたとか。そのため、彼の最期は過労死であったといわれている。 [3]
  • 日本の実業である渋沢栄一も幼少期に『通俗三国志』を読んで育った。彼も孔明ファンの一人だったとされている。 [4]

関連動画

関連項目

脚注

  1. *なお、後出師の表は演義のみの登場であるため、後世の創作である可性もある。
  2. *北伐最大の損馬謖の出した三千前後の損であり、大将級が討ち取られたこともない。
  3. *三国志の英雄たちは実は「ダメ上司」だった 曹操・諸葛亮は「リーダーの反面教師」だ (東洋経済オンライン 2017/12/12 8:00)exit
  4. *諸葛亮(孔明)は「天才軍師」ではなく愚直な軍師だった? (Yahoo!ニュース 2021/11/22(月) 11:00)exit
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諸葛亮

751 ななしのよっしん
2026/01/13(火) 12:41:32 ID: +zlO4ovfoX
横山三国志ジャイアントロボ三国無双での仲間内での不和といい、死に体の力で戦乱長引かせていたくらいのイメージしかない。既に言われてるかもだけど、豊臣政権時の石田三成官僚・文官でしかなく、宰相をするほどの政治力はなかったんだろうな
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752 ななしのよっしん
2026/01/13(火) 12:45:22 ID: +zlO4ovfoX
>>751
それだけに、なぜこれだけ創作物で人気なのか不思議だよな。そもそも、羅貫中がなぜあれだけ孔明びいきだったのかってのもあるけど。
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753 ななしのよっしん
2026/01/13(火) 13:05:28 ID: ZliVivrMPS
君に「皇子が無能なら君が後を継いでくれ」とまで言われたのに
劉禅にあとを継がせて、滅亡まで在位させたから人気は高いだろう。
孔明死後、即滅亡か臣下に乗っ取られたなら評価は低いだろうけど
琬だけでなく費禕バランサーとして機した結果、一時北伐も停滞。

姜維は北伐再開してしまうが、諸葛瞻董厥らの反対もおり結局中断。の直接的な滅亡原因とは言い難いと思う。
陳寿樊建含めこの3名の評価も低いが)
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754 ななしのよっしん
2026/01/16(金) 19:19:06 ID: 3+38R3gwe+
史実とは異なる創作物での描かれ方を元に誤った人物評価をしておいて、次はなぜ創作物で人気なのかとか言い始めるツッコミどころだらけの一人芝居みたいなコメントをされてもな…。

諸葛亮が偉大でないなら後漢末〜三国時代に偉大と言える人物は曹操くらいだし、戦乱を長引かせたか否かいう観点で人物を評価するなら、
曹操袁紹から離反して戦乱を長引かせた人物であり、荀彧夏侯惇はそんな曹操に協力して戦乱を長引かせた人物、
孫権江南に割拠して戦乱を長引かせた人物であり、周瑜陸遜はそんな孫権に協力して戦乱を長引かせた人物、
司馬一族も内で自の勢力拡のために専横し、用な戦いを引き起こして戦乱を長引かせた人物という評価にしかならん。
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755 ななしのよっしん
2026/01/16(金) 22:29:15 ID: 3+38R3gwe+
戦乱の世と化した後漢末期にあって、若くして名誉や栄達をめることなく隠棲。皇室の血筋に連なりカリスマ性を持つも、機に恵まれず不遇をかこっていた君と運命的に出会い、三顧の礼を尽くされて出仕。
天下統一のための方略を示して君の進むべきを定め、その窮地を救うために江南に割拠する勢力に使者として赴き、君と結んで抗戦する利を説いて同盟を成立させ、下第一の勢力を退ける契機となる。
その後は一軍の将として君がとなる一となり、再び下第一の勢力が攻め寄せて来た際は事実上の宰相として政の一切を取り仕切り、内を固めて補給を絶やさず、再びその侵攻を退けるにあたって大きな役割を果たす。
する君が戦に敗れ、失意の中でするにあたって孤を託され、敗戦と君の死で衰退した国家文字通り懸命の働きぶりで立ち直らせ、他臣にまで称賛される善政によってを治める。
敵国との勢力差を理解しながらも、亡き君の恩義に報いるために遺志を継ぎ、後世に「読んで泣かぬ者は忠臣にあらず」とまで言われる名文を表して出征。
優秀な人材は少なく、同盟勢力も頼り
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
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756 ななしのよっしん
2026/01/16(金) 22:57:10 ID: 3+38R3gwe+
(続き)諸葛亮人生を書き起こせば上記の様なものとなるが、君を一になるまで導し、その命尽きるまでを憂い、君への忠義を貫いた上、500年後まで謳われる程の善政を成し遂げ、後世に残る程の名文を表し、敵国や後世の名将が研究して活用する程の軍才の持ちで、さらには発明の才まであった。

後漢末期から三国時代に生きながら、一人だけ春秋戦国時代スーパスター達の様な生涯を送ってるんだから、そりゃ後世の民衆からは人気があって当たり前だし、立身出世を望む後世の士大夫からすれば、かの如くなりたい思うような人物だろう。
諸葛亮は管仲や楽毅に己をしていたが、後世の士大夫で諸葛亮に心酔してた者達の中には「管仲や楽毅かに上回る」とか「太公望や周旦に匹敵する」とまで言う人達も少なからずいた程なんだから、その評価の高さと人気ぶりは現代の々のではなかったことは容易にえる。
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757 ななしのよっしん
2026/01/31(土) 11:16:13 ID: RZKWZ+1csw
>>740
単純に孫権を揚州に封じ込めておくだけなら中原の争乱から逃れてきた人々や族四氏の厭戦気分を煽れば可かもしれないが、
それをやっちゃうと共同戦線で曹操を攻めさせるのにも支障をきたすので本末転倒なんだよなぁ

一方で孫権は「直ちに曹操を打ち破るのは無理ゲー」「まず荊州、ついで益州を得て下に覇を唱えるべし」という方針で動こうとしてるから
どうしても劉備とは衝突することになる…事後諸葛亮的に見ると詰み状態をなんとか延命してる感じなんかなこれ
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758 ななしのよっしん
2026/02/03(火) 13:15:26 ID: amzzRAnXjM
北方謙三版の表向きは隠士として穏なやもめ暮らしを送りながらも内面では屈として世に出る機会を渇望していた孔明というのは生々しくて良かったな
なぜ(劉備)に対してあれだけ忠を尽くせたのか?→劉備だけが自分を本気で必要としてくれた恩人だったからというシンプルながらも等身大の人間らしいもので、様々な創作孔明の中でも一番好き
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759 ななしのよっしん
2026/02/14(土) 01:20:34 ID: wkTZSUx+oO
>>758
世に出る機会がないって屈を抱えていたかつての自分と重ね合わせて
同志に加えたい(臣下にしたいではない)」とした劉備台詞も考えると
必要としたというよりは自分を屈の中から引き上げて立ち上がって走ることを教えた
君にしてソウルフレンドって感じじゃないかなあ
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760 ななしのよっしん
2026/02/16(月) 11:55:09 ID: amzzRAnXjM
>>759
恩人という書き方だと少々言葉足らずだったかもしれん
概ね自分もその見方とほぼ同意見だ
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