諸葛亮単語

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ショカツリョウ
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しょかつりょう
諸葛亮   いわく、

ほかに することは ないのですか?

 

わたしは ちゅうごく さんごくじだいにて しょくかんに つかえた せいじかです。 あざなは こうめい。

くわしくは グーグルか ウィキで おしらべなさい。

 

まて あわてるな これは こうめいの わなだ?

だ ま ら っ し ゃ い !

なんでも わたしのせいに すればいいという ものでは ありません。

概要

中国時代にてに仕えた政治家。字は孔明

外見は多くの場合、着物に先端がくるくるっとした帽子を被り、羽扇を持っており、たまに車椅子に座っている(彼の発明品「四輪」の想像図にちなむ)。

劉備三顧の礼で迎えられ配下となる。劉備の死後は劉禅に仕えた。
その後、丞相として内政に励みながらも自ら軍を率いてを攻める北伐を行った。5度の北伐の最中、五丈原の戦いの中にて病。北伐の際に奏上した出師の表、後出師の表は名文として有名。[1]

一族にも有名な武将が多くいる。例えば諸葛瑾にて政治軍事の両方で活躍していた。

正史における孔明

演義で描かれた活躍のせいで、「妖術使い」だとか「謀の策士」といった戦略扱いされることが多いが(実際、コーエー三國志でもそういう扱いを受けている)、正史における実際の本人は、内政に特に優れていたようである。
戦争揮や戦術眼に関しては、孔明と並び称されたこと龐統劉璋を裏切り劉備らを迎えた法正など、他の人物の方が優れていたと評されることが多い。(共にの建以前に死亡し、北伐には参加できなかった)

正史での彼は戦争に関して慎重で堅実であり、むしろ奇策を好まなかった。ほぼ確実に勝てると踏んだ時にしか攻めなかったため、よく魏延と対立した。有名な話としては、北伐の際に魏延が敵の後ろからの奇襲を提案したものの、成功するかどうかは半々だったために孔明が退けたというものがある。このことについて、「に劣るが致命的な大敗を免れてきた孔明戦略眼」と見るか、「奇襲での勝利以外に逆転のがないにも関わらず奇策を用いれなかった孔明失策」と見るかでその手腕の評価は異なる。

陳寿は評において「臨機応変の軍略は得意でなかったのではないか」と疑問を投げかける。ただし、諸葛亮が数で勝る軍を相手に、さしたる損もなく「勝てずとも負けない戦い」を数年に渡って展開し [2]、退却時にも王双や対戦線のナンバーツーの名将・張郃を討っている。電光石火の急襲を得意とする司馬懿ですら、打ち破られて堅固に守り続けるしかない状態に追い込まれたことは紛れもない事実である。(敵の司馬懿からも「下の奇才」と最大限に評価されている)

諸葛亮に関する成句

諸葛亮をもとにしたキャラクター

策士・諸葛亮孔明 ジャイアントロボ THE ANIMATION~地球が静止する日~
「だまらっしゃい!」
書籍『世界征服は可か?』において「寒さで部下が次々と凍え死んでいるのに何が『策士孔明プランどおり』か」とダメ出しを喰らっている。
諸葛亮(恋姫†無双
はわわ、ご人様、敵が来ちゃいました!」
時々テンパって舌をかむが、軍師としての判断折り紙つき。「」では同僚に「あわわ」ことホウ統が加わる。
諸葛亮孔明(一騎当千
諸葛亮孔明(鋼三国志
孔明リ・ガズィBB戦士
諸伏高明名探偵コナン)なお、声優横山三国志と同じ速水奨
諸葛孔明(Fate/Grand Order
正確には、現代人の依り代によって存在を保つ「疑似サーヴァント」としての登場。
 → ロード・エルメロイⅡ世

 諸葛孔明(パリピ孔明

余談・その他

  • である劉備のいなくなった後は、彼の遺志を引き継ぎ、の全務を自分で決裁していた。それに加えほとんど睡眠をとらず、食事は数しか食べない状況が続いていたとか。そのため、彼の最期は過労死であったといわれている。 [3]
  • 日本の実業である渋沢栄一も幼少期に『通俗三国志』を読んで育った。彼も孔明ファンの一人だったとされている。 [4]

関連動画

以下は孔明の個人研究動画

関連項目

脚注

  1. *なお、後出師の表は演義のみの登場であるため、後世の創作である可性もある。
  2. *北伐最大の損馬謖の出した三千前後の損であり、大将級が討ち取られたこともない。
  3. *三国志の英雄たちは実は「ダメ上司」だった 曹操・諸葛亮は「リーダーの反面教師」だ (東洋経済オンライン 2017/12/12 8:00)exit
  4. *諸葛亮(孔明)は「天才軍師」ではなく愚直な軍師だった? (Yahoo!ニュース 2021/11/22(月) 11:00)exit

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諸葛亮

717 ななしのよっしん
2023/05/21(日) 08:29:37 ID: AqAxEjhc0j
原作漫画にない箇所を映画であと付けしたら不整合って
名作品がみんな通っただろう
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718 ななしのよっしん
2023/06/02(金) 12:13:20 ID: m5x2LS44TR
南蛮はありゃ三英傑の死で々としてる読者を慰めるコメディ編みたいなもんだから
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719 ななしのよっしん
2023/06/09(金) 16:28:23 ID: rEDpTsUT2V
演義は演義で良いけどリアリティのある南蛮討伐も見たい
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720 名無し
2023/07/15(土) 15:19:58 ID: Q97Kio0NX7
甲は弱点を差し引いても余りあるぶっ壊れ装備だと思う
現代だと流石に使いにくいかな
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721 ななしのよっしん
2023/07/17(月) 02:04:21 ID: 3+38R3gwe+
>>704
それはか偏った見方だろう。蕭何韓信がおらず、張良のみだったとして劉邦下を取れたとは思えないな。それにと荊州を得て、曹操に対抗するという諸葛亮戦略に従って劉備は動いていた訳で、諸葛亮戦略構築かったとも考え難い。

というか史記に記された活躍を見る限りでは張良の特筆すべき戦略の構築というよりも、任侠時代に築かれたと思しき人脈と情報収集に基づく謀略、正確な見識に基づく政略的判断にある。

でもって、それらのを最大限活かせるのはある程度の勢が乱立してたり、情勢が混沌としてる状況でなければならず、三時代の様に少数の国家総力戦に近い戦いをしてる中では活かせる余地も少ない。

中原曹操袁術を交えてた頃だったら、もしかすると張良の方が諸葛亮より向いてたかもしれんとは思うが、諸葛亮が仕官した頃の劉備張良が仕えても、諸葛亮以上の成果を得たとは思わんな。
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722 ななしのよっしん
2024/02/05(月) 04:06:35 ID: OT8jsfxa3r
諸葛亮根本的な強みは道徳だと思う。
当時でも、後世でも。

出師見てても意外とアジテーター的な才があるんだが、とはいえ根っこは信賞必罰なので知識人の信頼を得られる。
ここのセンスを持たない策士や将軍中国史で数多墓を掘ってきたが、諸葛亮はこの部分だけは完璧だった。
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723 ななしのよっしん
2024/02/27(火) 13:07:58 ID: ez5QMAqUh2
昔は演義とかのすらも見通す
天才軍師のイメージだったけど、
今は上に下に苦労している悲壮なる
中間管理職、というイメージ
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724 ななしのよっしん
2024/04/27(土) 18:59:35 ID: PxAS3KqjZ7
蕭何で終わるはずだったけど霍にならざるを得なかったというべきか、荀彧曹操になってほしかったのかなっていうポジションになったというべきか
武帝亡き後、大将軍・大司馬兼任でガチの一強時代になってから位剥奪は一回やったけど簒奪はしなかったのよね…
劉備の遺言で有名な「もし息子いなら位奪っちまえ」という元ネタだったりしたんだろうか?
李厳から九錫もらっちまえよとか言われたり李邈みたいにこいついつ簒奪してもおかしくないって思われたりし、そういった空気を受けながらも忠を尽くし身命をげたと思うとなんかクるものがあるな…
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725 ななしのよっしん
2024/05/11(土) 22:41:45 ID: 3+38R3gwe+
軍事も非常に高いので、そもそも蕭何ではないかな。諸葛亮自身のは管仲と楽毅ハイブリッドという印だけど、同時に両者の役割を果たそうとして疲弊してしまったんだろうという感じ。

龐統法正馬良らがして黄権までいなくなりという状況では、そうせざるを得なかったというのもあるだろうけどね。
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726 ななしのよっしん
2024/05/15(水) 19:38:37 ID: mGYkvzqWfu
人を見るがないとかなんとか言われるがその評価に該当しそうなのせいぜい馬謖の一件ぐらいじゃねえのと思うんだがなあ
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