1962年4月6日生まれ。棋士番号131。兵庫県神戸市出身。若松政和八段門下。
概要
1976年12月、中学2年生(14歳)という史上2番目の若さでプロ入り(当時の史上最年少は加藤一二三)。
その後順位戦を順調に勝ち上がり、19歳でA級に昇る。史上最年少(21歳)で名人位を奪取。以後タイトル戦の常連となり、1991年には棋聖・王位・竜王・王将の四冠に輝くなど、強さを誇った。
羽生善治や、羽生世代と呼ばれる若手の台頭時には最後の壁となって立ちはだかり、特に阪神大震災で本人も被災した1995年には、王将位を防衛して羽生の七冠独占を阻止した。しかし翌年、羽生に奪取され、羽生の七冠を許す。
1997年には名人位を羽生から奪って、名人位通算5期として永世名人の資格を得た(プロ引退後もしくは還暦を迎えたときに十七世名人を名乗ることとなる)。
2003年に王位および棋王を失ってからは七大タイトルから遠ざかっており、七大タイトルへの挑戦も2006年の名人位挑戦が最後となっているが、その後も竜王戦1組を維持し続けるなど、第一線で活躍している。
順位戦A級(名人在位含む)32期、タイトル獲得数歴代4位(通算27期/2013年9月現在)。
その他役職として、2009年4月から2011年3月まで、日本将棋連盟棋士会会長(初代)を務め、2011年5月より日本将棋連盟専務理事(会長に次ぐ職位)と歴任。
2012年12月、故米長邦雄の後任として日本将棋連盟会長に選出された。→谷川浩司専務理事、新会長に
2017年1月18日、三浦弘行九段のソフト指し疑惑冤罪事件を受けて日本将棋連盟会長辞任を表明し、佐藤康光にその跡を譲った。□
2018年10月1日のテレビ棋戦で勝利し、大山康晴、中原誠、加藤一二三、羽生善治に次ぎ五人目の1300勝を達成した。□
2022年4月に満60歳を迎え、日本将棋連盟理事会の推薦および本人・名人戦主催者の合意により、同年5月23日付で現役のまま「十七世名人」を襲名した。(日本将棋連盟の発表)
棋風
早い段階で他の棋士には思いつかない芸術的な手順であっというまに相手玉を詰ませることから、「光速の寄せ」「光速流」と呼ばれている。また、指し手に迷うとき、駒が前に行く手を優先して指すことから「谷川前進流」とも呼ばれる。
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関連項目
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