- プロ野球選手一覧 > 豊田清
豊田清(とよた きよし、1971年2月2日-)とは、三重県出身の元プロ野球選手(投手)である。2020年からは埼玉西武ライオンズのコーチを務める。
概要
埼玉西武ライオンズ #81 一軍投手コーチ |
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豊田清 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県亀山市 |
生年月日 | 1971年2月2日 |
身長 体重 |
180cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1992年ドラフト3位 |
引退 | 2011年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
鈴鹿高等学校を経て同朋大学に入学。チーム初の1部昇格に貢献した。
西武時代
1993年から1994年まで2年間は一軍登板はなく、1995年にプロ初登板を果たす。
1996年は先発ローテーションに入り、1997年と1999年に二桁勝利を挙げる。
2000年からストッパーになり、2002年、2003年には当時のパ・リーグ記録となる38セーブを挙げた。
巨人時代
2005年オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍。抑えを担当するも安定せず、2006年には高橋尚成、2007年には上原浩治に譲り、中継ぎかセットアッパーに回った。本人は自信を喪失していたが、原辰徳とコーチ陣の励ましもあり、以降は安定し、球威とコントロールを取り戻した。
2008年にはマーク・クルーンが巨人に移籍し、セットアッパーになった。
2009年は開幕から10試合連続無失点と活躍。2勝2敗5セーブ15ホールド、防御率1.99を記録し、優勝と日本一に貢献した。
2010年は不調で16試合の登板に終わり、オフにコーチ転向を打診されたが固辞して自由契約となった。
広島時代
2010年11月16日に広島東洋カープへの移籍することが発表された。
広島では32試合で防御率3.08と、経験豊富なベテランとして手薄なリリーフ陣を支える活躍を見せたが、右足内転筋を痛めたことで「自分のボールが投げられなくなった」と、来季契約の打診を断り現役引退した。
引退後
2012年からは読売ジャイアンツの二軍投手コーチに就任。2015年と2018年は一軍投手コーチを務めた。2018年を以て退団。
2020年からは埼玉西武ライオンズの一軍投手コーチを務める。
人物・その他
- かなりの激情家であり、クーラーボックス殴って裂傷を負い、オリンピック代表の座を失ったという逸話もある。
- 投球練習後にバックスクリーンと外野手に向けて帽子のつばをとって一礼をする。これは「守護神光臨のポーズ」と呼ばれている。
成績
通算投手成績
通算:17年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 558 | 82 | 14 | 6 | 66 | 50 | 157 | 81 | .569 | 992.1 | 207 | 859 | 351 | 330 | 2.99 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最多セーブ投手 | 2回 | 2002年、2003年 |
表彰 | ||
月間MVP | 1回 | 1999年8月 |
最優秀バッテリー賞 | 1回 | 2002年(伊東勤) |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 4回 | 1997年、2001年-2003年 |
関連動画
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関連項目
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