豊田陽平(とよだ ようへい)とは、日本のプロサッカー選手である。
J3リーグのツエーゲン金沢所属。元サッカー日本代表。
概要
星陵高校から2004年に名古屋グランパスエイトに入団。2005年7月13日にプロ初ゴールを決める。
2007年-2008年はモンテディオ山形に期限付きで移籍。2007年は小腸破裂で長期離脱、相手選手の顔面を蹴るなどと不幸が続くも、リーグ戦で6得点を挙げた。2008年は11得点を挙げ、山形をJ1昇格へと押し上げる活躍をした。
2009年に名古屋に戻らず京都サンガF.C.に完全移籍。21試合に出場するが、たった1得点に終わってしまった。
2010年より期限付きでサガン鳥栖に所属。チームは得点力が下がる中で、豊田は13得点を挙げる活躍をした。2011年はシーズン序盤はベンチスタートが多かったが、中盤以降はスタメン出場が多くなった。後半戦だけで17得点を挙げ、2011年シーズンはJ2最多得点の23得点でチームのJ1昇格に貢献。2012年からは完全移籍で鳥栖に所属することになる。
2012年も鳥栖のエースとして躍動。19得点をあげ(ランキング2位)、サガン鳥栖5位という好成績の原動力となった。
9番を背負って挑んだ2008年の北京オリンピックで日本代表は3戦全敗に終わったが、チーム唯一の得点を挙げている。
2013年7月に開催された東アジア杯のオーストラリア戦で念願のA代表初キャップに加え2アシストを記録し勝利に貢献。
韓国戦では同点で迎えた後半43分からの投入となったが、少ない時間でも見せ場を作った。柿谷曜一朗の2点目でチームが勝ち越しに成功して迎えた試合終了直前、韓国のCKにGK西川周作が飛び出すも弾き損ね、こぼれ球をDFホン・ジョンホがヘディングシュート。両チームの選手が棒立ちで枠内へと向かうボールの行方を見守る中、ただ一人素早くカバーリングに入っていた豊田が間一髪の所でヘディングクリア。このファインプレーで最大のピンチを逃れた日本は再度のCKを跳ね返し、試合終了。A代表の日韓戦連勝と大会初制覇に大きく貢献すると共に、本大会を通じて内容でも今後に期待を抱かせる動きを披露してみせた。なおこの代表選出はサガン鳥栖所属の選手としても初の快挙である。
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