豪風 旭(たけかぜ あきら)は、尾車部屋所属の元大相撲力士である。現在は年寄・押尾川。
概要
1979年6月21日生まれ、秋田県北秋田郡森吉町(現・北秋田市)出身。本名は成田 旭(なりた あきら)。最終学歴は中央大学法学部政治学科卒業。大学4年で学生横綱のタイトルを獲得。身長171cmと上背はあまり無いが、それによって重心が下がっていることをうまく利用した押し相撲は魅力的。常にトレーニングを欠かすことが無く、自身の相撲を進化させるために日夜研究を重ねている。
既に幕内在位は60場所を突破し(60場所達成に伴い、引退後に「押尾川部屋」を創設する権利を得ている)、35歳という年齢からはベテランの域に到達していることは明白であるが、35歳1ヶ月での初金星(対日馬富士戦)、同2ヶ月での史上最高齢新関脇というスロー記録を複数達成する快挙を達成している。
趣味はサイクリング。焼肉はほとんど生肉の状態で食すという。「豪風がんばるぞ!」という公式ブログを頻繁に更新しており、自身の家族や私生活についても度々触れられている。2006年に結婚、現在は2人の子供がいる父親である。
来歴
相撲を始めたのは金足農業高校入学後から。高校の相撲部で相撲の基礎を学んで中央大学に進学すると、4年で学生横綱のタイトルを獲得し、幕下15枚目付出の資格を得た。身長171cmと小柄であるため本来であれば新弟子検査に通らないところであるが、幕下付出入門ということで体格は不問とされた。
2002年5月場所で初土俵。プロ初取組の相手は安馬(後の横綱日馬富士)であったがこれに勝利、幕下は2場所で通過して同年9月場所で新十両昇進。師匠からは「岩風」という四股名も提案されたが「豪風」を選び、現在に至る。2003年3月場所で新入幕を果たすも右足の負傷で途中休場し、十両に陥落。2005年1月場所も目の病気で全休するなど一進一退を繰り返した時期もあったが、2005年5月場所以降は幕内に10年以上の長きに亘って定着。2006年3月場所で初の上位総当りとなり、2大関を撃破している。2008年3月場所で小結を1場所経験。以降は幕内中位から下位で勝ち越してたまに上位で取る番付となった。
転機を迎えたのは2014年。1月場所の途中で元関脇琴錦の中村親方が佐渡ヶ嶽部屋から移籍(親方は自由に部屋を移籍できる)。理論派でありテレビの相撲解説も的確でわかりやすい中村親方からも指導を受けることになり、同部屋の嘉風と共に覚醒。7月場所は嘉風と共に「尾車旋風」と呼ばれる大活躍で、9日目に横綱日馬富士から初金星。この場所4日目に嘉風が日馬富士戦で達成した史上最年長初金星の記録をわずか5日で塗り替えた。この場所は結局9勝6敗の勝ち越しで、翌場所は史上最高齢で新関脇に昇進。14日目まで7勝7敗であったが、千秋楽にこの場所新大関の豪栄道との7勝7敗対決に敗れて惜しくも負け越した。
柔道の経験を生かし、一本背負いという相撲では大変珍しい決まり手を三度(十両一度、幕内二度)決めており、特に幕内で二度決めた力士は2017年現在豪風ただ一人である。
2018年5月、38歳10ヶ月で再入幕。しかし6勝9敗と負け越し、再び十両へ陥落する。2019年初場所、東十両十二枚目で9日目を迎えた時点でわずか1勝と振るわず、負け越しで幕下陥落が濃厚となったため、翌日現役引退を発表した。
超会議場所トーナメント戦の成績
ニコニコ超会議で行われた大相撲春巡業のワンデイトーナメント大会の結果をここに記す。
大相撲超会議場所
ニコニコ超会議3で開催された。当時の番付は西前頭6枚目(2014年3月場所)。3回戦は嘉風との同部屋対決となった。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | シード | ||
2回戦 | ○ | 引き落とし | 西大関 琴奨菊 |
3回戦 | ○ | 押し出し | 東前頭4枚目 嘉風 |
準々決勝 | ○ | 送り出し | 東前頭筆頭 遠藤 |
準決勝 | ● | 寄り切り | 西横綱 日馬富士 |
決勝 |
大相撲超会議場所2015
ニコニコ超会議2015で開催された。当時の番付は東前頭4枚目(2015年3月場所)。2日目にはリアルSUMOUに登場したが、豊ノ島に上手投げで敗れた際に全身の骨という骨を粉砕されてしまった。その後GYOUJIによって骨は修復されたが、その影響が残ってしまったのか、直後のトーナメント戦では1回戦負けとなった。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | ● | 寄り切り | 東前頭14枚目 佐田の富士 |
2回戦 | |||
準々決勝 | |||
準決勝 | |||
決勝 |
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関連項目
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