財政再建とは、家庭や企業や地方公共団体や政府において、支出よりも収入が少ない財政赤字の状況を変化させ、支出と収入が同じ額の財政均衡の状態にしたり、支出よりも収入が多い財政黒字の状態にしたりすることをいう。緊縮財政とも言われる。
概要
日本政府の財政
日本政府の一般会計の歳入は、「租税及び印紙収入(租税収入)[1]」と「その他収入(税外収入)[2]」と公債金の3つに分かれている。この中で、企業会計における収益に相当するのは租税収入と税外収入の2つである。
一方、日本政府の一般会計の歳出の中で、一般歳出と地方交付税交付金と国債利払いの合計額が企業会計における費用に相当する。
そして日本政府の一般会計の歳出は、租税収入と税外収入の合計額よりもずっと多い状態が続いている。このことを財政赤字という。
歳入の全体額から「租税収入と税外収入の合計額」を引いた数字は、国債を発行して市場に売却して得られるお金になる。これを公債金という。簡単にいうと、日本政府が市場参加者からお金を借り入れて、収入の不足を穴埋めしている。
歳入の全体額に対して公債金がどれだけの割合を示すかの数値を公債依存度という。日本は公債依存度がだいたい3割程度の国である。
2つの政治勢力の対抗
日本国政府の予算は、公債依存度が3割程度の状態がずっと続いている。そして国債発行額の合計が2018年には874兆円に到達した。
このため「財政再建をするべきだ」という声が平成の30年間で強まることになった。「租税収入と税外収入の合計額」と政策経費を比べたものをプライマリーバランスというのだが、「プライマリーバランスを黒字化すべきだ」と言い始め、そのために増税と歳出削減に励むようになった。
財政再建のために増税と歳出削減をして緊縮財政にもっていくのだが、増税したり歳出削減したりするとデフレの圧力が強まり、不景気になり、治安が悪化する。
このため、「財政再建はデフレになって景気を悪くして治安を悪化させるので、反対だ」という声も発生する。また「自国不換銀行券建て国債は、日銀法第4条に基づいて政府の影響を強く受ける中央銀行がまったくの負担無しで通貨発行権を行使することで簡単に返済できる。ゆえに自国不換銀行券建て国債は政府にとって極めて軽い負債だ。財政再建は不要である」という意見も頻発する。
財政再建論者と財政再建不要論者の論争は、令和時代になってもなお続いている。
両者の特徴はまさに対照的なので、表にしてまとめておく。
財政再建論者 | 財政再建不要論者 |
国債は悪 | 自国不換銀行券建て国債は悪ではない |
プライマリーバランスを黒字化しよう | プライマリーバランスは赤字でよい |
増税を志向 | 減税を志向 |
歳出削減を志向、緊縮財政を目指す | 歳出増加を志向、積極財政を目指す |
財政再建を導くような思想の一覧
財政再建を導くような思想の一覧は次の通りとなっている。
- 新自由主義(市場原理主義)
- 小さな政府
- 均衡財政論・健全財政論(ジェームズ・マギル・ブキャナン・ジュニアが代表的な提唱者)
- 租税財源説(税金は財源)
- 商品貨幣論
- 国債恐怖症
- インフレ恐怖症
- 民尊官卑
- リバタリアニズム
- 自助論
政府財政を支える安定的な財源 消費税と自国不換銀行券建て国債
政府の財政を支える安定的な財源というと、消費税と、自国不換銀行券建て国債である。
この2つとも安定的であることに定評がある。消費税はどれだけ不景気になろうが一定の税収をもたらすし、自国不換銀行券建て国債は日銀法第4条に基づいた日銀の献身的な支援がいつでも得られるので必ず市場に売却できる。
消費税と自国不換銀行券建て国債は、安定財源界の東西横綱といえる。
政府の一般会計の歳入の中で、消費税は「租税及び印紙収入(租税収入)」に属し、自国不換銀行券建て国債は公債金に属する。
消費税と自国不換銀行券建て国債は、安定財源である点で同じものだが、経済に与える影響という点で真逆の性質を持っている。
「消費税を増税して得られたお金で政府支出をする」というのは、国家経済の民間部門の需要を大きく抑制してからお金を吸い上げ、そのお金で国家経済の政府部門の需要を増やすものであり、民需を減らして官公需を増やすというものであり、需要の全体量があまり変化しない。つまり、インフレ圧力・デフレ脱却力が非常に弱い。
一方、「自国不換銀行券建て国債を発行・売却して得られたお金で政府支出をする」というのは、国家経済の民間部門の需要を抑制せずに中央銀行の支援を受けながらお金を吸い上げ、そのお金で国家経済の政府部門の需要を増やすものであり、民需を維持して官公需を増やすというものであり、需要の全体量が官公需の分だけ増える。つまり、インフレ圧力・デフレ脱却力が高い。
また、消費税と自国不換銀行券建て国債は、安定財源である点で同じものだが、抱える支持者は正反対である。緊縮財政の支持者は消費税を非常に好み、積極財政の支持者は自国不換銀行券建て国債を強く推す。
2つを比較すると次のようになる。
消費税 | 自国不換銀行券建て国債 | |
財源としての安定性 | ○ | ○ |
一般会計の歳入のどこに属するか | 租税及び印紙収入(租税収入) | 公債金 |
民需 | 減少 | 維持 |
これを財源としての政府支出を行った場合の国内需要の全体量 | ほぼ維持 | 増加 |
インフレ圧力・デフレ脱却力 | 弱い | 強い |
支持者 | 緊縮財政支持者 | 積極財政支持者 |
財政再建を志向する人たち
人口資源の効率的な配分を目指す効率至上主義者
世の中には、人口資源の効率的な配分を目指す人たちがいる。そういう人たちのことは、効率至上主義者と呼ぶことができる。
効率至上主義者は、政府が生産性の低い土地で大規模な公共事業を行って雇用を創出する姿を見ると、猛烈に憤怒する。「政府のせいで生産性の低い土地に人が縛り付けられていて、国富の生産にとって無駄で非効率な状態になっている」と苛烈に批判する。
また効率至上主義者は、政府が老人に対して年金や医療費補助金や介護費補助金を給付して老人を世話する産業の雇用を創出する姿を見ると、猛烈に憤怒する。「老人は生産性が低い存在であるので、老人を世話する産業は生産性が低い産業である」と述べてから「政府のせいで生産性の低い産業に人が縛り付けられていて、国富の生産にとって無駄で非効率な状態になっている」と苛烈に批判する。
効率至上主義者は「緊縮財政になって小さな政府になれば、生産性の低い土地から生産性の高い土地へ人が移住するようになり、生産性の低い産業から生産性の高い産業へ人が転職するようになり、人口資源の効率的な配分が行われ、国富の生産が効率的になる」とか「政府が経済に介入することで、無駄で非効率なことになる」と主張する。このため効率至上主義者が緊縮財政の強固な支持層となっている。
ちなみに、政府が生産性の低い土地で大規模な公共事業を行って雇用を創出することには一定の意味がある。生産性の低い土地で雇用を創出して、生産性の低い土地に人を張り付かせると、人口空白地域の発生を食い止めることができ、治安を維持することができる。人口空白地域は凶悪犯罪の証拠品を隠滅するのに最も適した場所であり、人口空白地域が増えるほど凶悪犯罪を行いやすくなって治安が悪くなる。生産性の低い土地への支出は治安維持費と考えることができる。
また、政府が老人に対して年金や医療費補助金や介護費補助金を給付して老人を世話する産業の雇用を創出することには一定の意味がある。老人というものは怪我や病気になりやすい存在であり、医療器具への需要を作り出す存在である。医療器具の中には生産するのが非常に難しいものが多く[3]、医療器具への需要を増やすと高品質な切削工具・切削油・工作機械・CAD・CAMへの需要が増え、製造業の技術が大いに底上げされる。老人への年金・医療費補助金・介護費補助金は産業振興費と考えることができる。
治安が悪化することを望む人
緊縮財政になると治安が悪化する。
緊縮財政になると、生産性の低い土地への公共事業が減らされるので、生産性の低い土地から逃げ出す人が増え、人口空白地域が増える。人口空白地域というものは凶悪犯罪の証拠品を隠滅しやすい場所である。このため、人口空白地域が増えると凶悪犯罪者にとって凶悪犯罪の証拠品を捨てやすい状況になり、凶悪犯罪をしやすい状況になり、治安が一気に悪化する。
緊縮財政になると、警察の人員と予算が減り、警察の治安能力が低下する。
緊縮財政になると、行政各部の人員と予算が減り、規制する事が難しくなり、悪行を行う団体が跳梁跋扈する事態になる。例えば、文化庁宗務課は2022年10月の時点でたったの8人であり、その少ない人数で全国の18万の宗教団体を管理している(記事)。これだけ文化庁宗務課の人員が少ないのなら、霊感商法で暴れ回るカルト宗教団体が出現しやすくなり、人々の財産が危険にさらされやすくなり、治安が悪くなりやすい。
治安が悪化することを望む人は、世の中に一定の割合で存在する。
治安が悪化すると、人々の気持ちが落ち込み、「自分や身内が犯罪の被害に遭うかもしれない」という将来不安を感じるようになり、消費を抑えて貯蓄をするようになる[4]。「遊ぶ気になれない」「どうせ遊ばないのだから低い給料でも良い」「職場にいた方が安全だ」という気分になり、薄給の長時間労働を受け入れるようになり、人が次第に「生産するだけのロボット」に変化していく。こうなると、人件費を低く抑えることで税引後当期純利益を稼ぎ出そうとする企業経営者は従業員の賃下げを行いやすくなる。
人件費を低く抑えることで税引後当期純利益を稼ぎ出そうとする企業経営者
企業の経営者にもいろんな人がいるが、その一部に、「人件費を低く抑えることで税引後当期純利益を稼ぎ出そうとする企業経営者」がいる。そういう企業経営者は、政府や地方自治体の緊縮財政を支持する傾向にある。
大企業というのは、就職市場において政府や地方自治体と競合しており、高学歴の熟練労働者を奪い合っている。高学歴の学生は、「政府や地方自治体に就職するか、それとも民間の名門大企業に就職するか」と悩むことが多い。
政府や地方自治体が積極財政となり、高学歴公務員の給与を引き上げると、就職市場で競合する大企業も高学歴従業員の給与を引き上げざるを得ない。「高学歴従業員の給与を引き上げないと、政府や地方自治体に高学歴人材をすべて奪われてしまう」と焦るからである。
政府や地方自治体が緊縮財政となり、高学歴公務員の給与を目一杯引き下げると、就職市場で競合する大企業も高学歴従業員の給与を引き下げることができる。「高学歴従業員の給与を引き下げても、政府や地方自治体に高学歴人材を奪われずにすむ」と安心するからである。
また、中小企業や一部の大企業は、就職市場において政府や地方自治体と競合しており、低学歴の非熟練労働者を奪い合っている。
政府や地方自治体が積極財政となり、三公社五現業のような官営事業を行って、低学歴の非熟練労働者を積極的に雇い入れてある程度の優しい労働環境で働かせるようになると、つまり就業保証プログラム(Job Guarantee Program JGP)を実施するのと似た状況になると、就職市場で競合する企業は「低学歴の非熟練労働者に対して給与を引き上げて優しくすべきだ。そうしないと、政府や地方自治体に低学歴人材をすべて奪われてしまう」と焦るようになる。
政府や地方自治体が緊縮財政となり、官営事業を民営化して、低学歴の非熟練労働者を積極的に雇い入れてある程度の優しい労働環境で働かせることをとりやめると、就職市場で競合する企業は「君たちのような低学歴の非熟練労働者は他に行き場所がない。労働環境が悪くても我慢しろ。賃金を引き下げられても文句を言うな」という威圧的な態度で労働者に接することができるようになり、低学歴の非熟練労働者に対して無限に賃下げすることが可能になる。
新自由主義(市場原理主義)を信奉する人や、株主至上主義を信奉する人の中には、企業経営者が人件費を低く抑えて税引後当期純利益を稼ぎ出そうとすることを大いに肯定する人が多い。
2003年12月ごろの経団連は「人件費を低く抑えることで税引後当期純利益を稼ぎ出そうとする企業経営者」が多かったようで、2003年12月16日に公表した2004年版経営労働政策委員会報告において「適正な人件費水準の管理」「賃金水準の適正化」「高止まりの賃金水準を、国際競争力を保てるような適正な賃金水準へ」といった表現をちりばめている。
「人件費を低く抑えることで税引後当期純利益を稼ぎ出そうとする企業経営者」は、「従業員の賃上げをすることで民需が高まり、消費者が増え、消費者から生産者への『この商品のここが悪い』という情報提供が増え、生産者が鍛え上げられ、企業の技術水準が高まり、日本の国際競争力が高まる」という考え方や、「需要・消費は生産企業を育てる。消費者は生産企業にとって教師である」という考え方をするのが、とても苦手である。
グローバリズム・新自由主義の支持者
グローバリズム・新自由主義を支持する者は、財政再建を支持することが多い。
グローバリズムとは、国家の規制を緩和して、ヒト・モノ・カネの移動を自由化することにより競争原理を導入し、ビジネスチャンスを広げる思想のことをいう。自由貿易を極大化させるために「小さな政府」を理想視しており、政府支出の削減を望み、緊縮財政をこよなく愛する。
新自由主義者の典型例というと竹中平蔵である。竹中平蔵は小泉政権に入閣して、プライマリーバランスの黒字化を主張した。その結果として2001年骨太の方針に「プライマリーバランスの黒字化」が入ることになった。講演でも、「プライマリーバランスを黒字化しなければならない、そのため緊縮財政が必要だ」とひたすら訴えるのである。
竹中平蔵に限らず、海外においても、グローバリズム・新自由主義の支持者が、緊縮財政を唱えて「小さな政府」を志向する例が本当に多く見られる。
自由貿易の極大化は、政府の権力を弱体化させて規制緩和しないと実現しない。そのためには、緊縮財政にして政府の各省庁へ与える予算を削減すればいい。極端な話、予算を目一杯減らせば規制業務を担当する部署の人数が減って、規制したくても規制できなくなり、規制緩和が進むのである。
自由貿易と規制緩和と緊縮財政、この3つは常に揃っている。そのことを三橋貴明は「グローバリズムのトリニティ(三位一体)」と名付けている。
霊感商法で荒稼ぎするカルト宗教団体と、そうしたカルト宗教団体から選挙で支援を受ける国会議員
緊縮財政になると警察の予算と人員が削られるし、文化庁宗務課の予算と人員が削られる。先述のように、緊縮財政が長く続いた日本では文化庁宗務課の人数がたったの8人であり、その少人数で18万の宗教団体を管理することになっている。
こういう状況だと、霊感商法で荒稼ぎするカルト宗教団体が大暴れしやすい状況になる。霊感商法でしっかりと信者からお金を召し上げ、教団の規模と実力を大きく高めることができる。
また、霊感商法で荒稼ぎするカルト宗教団体は、選挙になったら候補者に対して支援をすることがある。
選挙運動員はできるかぎり無償で雇わねばならないことが公職選挙法で決められており、どの候補者も無償で働く選挙運動員を確保することに頭を痛めている。そのような状況の中でカルト宗教団体が、信者に対して「あの候補者の選挙運動を手伝え」と指示することがある。選挙の候補者にとって、カルト宗教団体から派遣される労働力は大きな助けになる。
霊感商法で荒稼ぎするカルト宗教団体から大量の労働力をもらって当選した国会議員は、カルト宗教団体への恩返しをするため、緊縮財政に励むことになる。緊縮財政にして、警察や文化庁宗務課の人数をできるだけ減らし、カルト宗教団体が伸び伸びと霊感商法を行えるような状況を作り出そうとする。
「霊感商法で荒稼ぎするカルト宗教団体」の典型例は統一教会であり、「霊感商法で荒稼ぎするカルト宗教団体から選挙で支援を受ける国会議員」の典型例は自民党の清和会の国会議員である。清和会は自民党の中でも新自由主義(市場原理主義)の気風が最も強く、緊縮財政を支持する傾向が最も強い。
調整の仕事をするのが嫌いな国会議員
官公庁にとって緊縮財政というのは、要するに、仕事をやめる、仕事を放棄する、仕事を失う、ということになる。予算を削られることによって人員の削減に追い込まれ、事業計画の規模が縮小したり、あるいは事業計画自体が消滅したりする。
国会議員にとっても事情は同じで、緊縮財政になると国会議員の仕事が減る。積極財政のときは、予算をしっかり消化するために業者の手配をしなければならず、国会議員が調整をしっかり行う必要があり、国会議員の仕事が増える。「予算を付けたのに、その予算を使って仕事をする民間企業が不足していて計画が進まない」という間抜けな事態になってはいけないので、公共事業を引き受ける民間企業たちと大いに話し合わねばならない。緊縮財政においては、国会議員はそうした忙しさから解放されるのである。
このため、調整の仕事をするのが嫌いな国会議員が緊縮財政を支持する傾向にある。民間企業と話し合うことをサボり、テレビや雑誌に出て芸能人かアイドルであるかのように振る舞って「お茶の間の人気者」になろうとする劇場型政治家は、緊縮財政を支持することになる。
財務省主計局
財務省のなかで支配的な権力を持っているのは、主計局である。
財務省主計局というのは財政再建が大好きであり、財政再建を国是(国の大方針)ならぬ「局是(局の大方針)」としている。財政再建を旗印に掲げていると、財務省主計局としては権力も増えるし、とても仕事をしやすくなるのである。
財務省主計局は財務省のなかで支配的な存在なので、主計局の局是がそのまま財務省全体の「省是(省の大方針)」となる。
霞ヶ関の各省庁というのは、外から見るとどれも同じように見えるが、はっきりと2種類に分けることができる。財務省と、財務省以外の省庁である。
財務省主計局は、財務省以外の各省庁に対して、絶大な権力を持っている。財務省以外の各省庁が「予算を付けてください」とお願いしてくるのに対し、財務省主計局は凄まじい勢いで勉強して理論武装し、そのお願いに対して理屈でもって欠点を指摘して、お願いを撤回させるのである。
財務省主計局においては「他省庁のお願いを叩き潰して予算を減らすほど、出世できる」と言われるが、その噂もあながち間違っていない。
財務省主計局というのはお財布の紐を引き締める係の役所で、財務省以外の各省庁はお財布の紐を必死こいて緩めようとする係の役所である。まあ、お財布の紐をきっちり引き締める立場の人がいないと放漫財政になってしまうから、財務省主計局のやりかたも間違っていないと言える。
財務省主計局が他省庁のお願いを却下するときは、そのお願いに関して猛勉強を重ね(難しい国家試験を通ってきた人たちなのだから勉強は得意である)、「その計画では、人的資源や日時の無駄であります。お国のためになりません」と言うのがお決まりのパターンなのだが、そういう猛勉強をサボる方法がある。それが、財政再建である。
「財政再建のため、予算を付けられません。歳出削減が必要なのであります」と一言言うだけで、他省庁のお願いを却下することができる。お勉強をする労力を省くことができ、財務省主計局にとってまったくもって好ましい状況になる。
財政再建という魔法の一言で、他省庁の予算を削減することができ、財務省主計局の権力が一気に増大する。このため、財政再建は財務省主計局の局益となり、財務省の省益となる。
財務省出身者が財政再建を説き、財務省以外の省庁から出てきた人が財政再建不要論を説く、というのはよく見られる光景である。
財界
民間企業の経営者たちは、財政再建を主張する傾向が強い。
経団連、日本商工会議所、経済同友会の3団体を経済三団体と言い、民間企業の社長・会長が多く集まっている。その経済三団体は常に財政再建を主張していて、しかも財務省の主張と全く同じ論調になっている。
これはなぜかというと、民間企業は財務省に頭が上がらないからである。民間企業が財務省を批判したり財務省の省益を損ねたりすると、税務調査で報復される。財務省とその傘下の国税庁・税務署を恐れるため、財務省の財政再建論に全面的な賛同をしている。
民間企業の経営者にとって税務調査ほど恐ろしいものはない。「税務署の調査で家に入られ、家中をひっくり返されてすべてをことごとく調べられた」という話はよく聞かれることである。
税務署を怒らせないため、東証一部上場の超一流企業の社長・会長が直々に税務署の署長へ挨拶にうかがう、という話もよく聞かれる。
このあたりの事情を証言した文章があるので、引用しておきたい。谷沢永一が、1997年11月出版のこの本
で語っている。
数年前までは、中小企業の経営者の集まりで私が大蔵省の批判をしますと、皆さん目を伏せられたものでした。官僚のトラブルがマスコミで伝えられるようになって、このごろは安らかに聴いていますが、以前は本当に怯えていました。国税庁にも税務署に対しても怯えている。講演の主催者から予(あらかじ)め、官僚批判だけはやめてくれという申し入れがあることも珍しくなかった。どうも谷沢は公然と大蔵批判をやっているらしい、危ない男であるらしいと。そういうことを自分たちが聞いたという実績を残したくない。聞くだけでも怖い。谷沢と同類と思われると税金で報復される、と心配されていた。
※『拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国殿―日本に「戦争責任」なし』256ページ
民間企業の社長というのは、従業員を養っていかねばならない立場であり、冒険をすることができない。財務省の言いなりになり、ひたすら安泰を願うというのは、無理もないことである。
財政再建論者の特徴
財政再建を唱える論者にはいくつかの特徴がある。本項目では、そうした特徴を列挙する。
「政府は民間企業と同じ利益追求団体である」という思想を持つ
「政府というのは民間企業と同じ存在で、貸借対照表(バランスシート)の純資産や損益計算書の利益を増やすことを最優先に目指すべき存在であり、負債額が資産額を上回る債務超過という状態を避けねばならない」と考える思想がある。
そうした思想に染まっていると、国債という負債が増加していく様を見て「これは大問題だ」と考えて、「緊縮財政をして財政再建しよう」と主張するようになる。そして国債に対する恐怖心も増幅し、国債恐怖症を併発するようになる。さらに、「『国民生活の向上のために国債を発行しよう』というのは、『甘い誘惑』というもので、そんな誘惑に乗せられず、負債の削減すなわち国債発行額の削減を目指すべきである」と論ずる。
一方、財政再建不要論者は、「政府というのは民間企業とは全く異なる団体で、貸借対照表(バランスシート)の純資産や損益計算書の利益を増やすことを最優先に目指さなくてよく、そんなことよりも国民の生活水準の向上を優先して目指すべき存在である。国債を発行して政府支出を拡大し、国民生活の向上を図るべきだ」と考える。さらには憲法前文の「国政は国民に福利をもたらす」の部分や憲法第25条第2項を持ち出し、「政府が国民生活の向上をひたすら目指すことは、憲法前文や憲法第25条第2項で定められており、極めて正当的なことだ」と論ずる。
「国政は国民に福利をもたらす」という文章を憲法から削除したがる
日本国憲法の前文には「国政は国民に福利をもたらす」という文章が書かれている。その文章と緊縮財政はとても相性が悪い。このため緊縮財政を支持する政治勢力は、憲法を改正して「国政は国民に福利をもたらす」という文章を削除しようとする傾向がある。
自由民主党という政党があり、平成の30年間の大部分で日本の政権を握り続けて緊縮財政を推し進めてきた。この自由民主党は2012年に自由民主党憲法改正草案を発表したのだが、その草案の前文には「国政は国民に福利をもたらす」という文章が存在しない。
商品貨幣論から発生する兌換銀行券幻想を抱く
日本国債はすべて自国不換銀行券建て国債であり、「日本政府の強い影響を受ける日本銀行が発行する不換銀行券を支払う」と日本政府が約束するものである。自国不換銀行券建て国債は、中央銀行が無限の通貨発行権を行使して返済することができるので、財政破綻の可能性が全く存在しない[5]。政府にとって自国不換銀行券建て国債は極めて軽い負債である。
しかし、日本国債がすべて自国不換銀行券建て国債であることを認めると財政再建の妨げになる。このため財政再建の支持者は、商品貨幣論から発生する兌換銀行券幻想を信奉し、日本国債が自国不換銀行券建て国債ではないように扱う傾向がある。
財政再建論者が兌換銀行券幻想に基づいた思想を述べて財政再建を主張することに対し、財政再建不要論者は次のようなテンプレ回答で応じることができる。
日本銀行が兌換銀行券を発行し、その兌換銀行券を支払うことを日本政府が国債の券面で約束しているのなら、「~」は正しい。
ところが現実は、日本銀行が不換銀行券を発行し、その不換銀行券を支払うことを日本政府が国債の券面で約束しているので、「~」は正しくない。
「~」には、「国債でクラウディングアウトが起こる」とか「日本政府の円建て国債が増えて円建て財政赤字が増えることは財政の深刻な悪化である」とか「日本政府の円建て国債は子孫が税金で返済するしかないので子孫にツケを回すことになり子孫を苦しめる」とか「日本政府が円建てで国債を発行するとその国債を税金で返済するしかないので民衆が将来の増税を予感するようになって貯蓄に励んで消費が落ち込む、つまりリカードの等価定理のとおりになる」とか「政府の財政は一般家庭の家計簿と同じである」といったような、兌換銀行券幻想を持ちつつ財政再建を主張する者が好む言い回しを入れる。そうするだけで、財政再建支持者に対する回答を簡単に作成することができる。
緊縮財政を定める財政法第4条
財政法第4条
緊縮財政を政府・国会に対して要求してくる法律というと財政法第4条である。
財政法第4条
国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
「橋や道路の建設といった公共事業に関するものの財源には国債を使ってよい」と定めている。これを建設国債という。
「公共事業以外の支出は国債でまかなってはならない」と定めている。つまり公務員の給料の支払いだったり、政府の抱える研究機関の開発予算だったり、そういう支出に対して国債を発行するのはダメで、税収の範囲内に支出を削りなさいといっている。いかにもといった感じの緊縮財政志向の法律である。
財政法第4条を骨抜きにする国会
財政法第4条を守っていては政府予算が組めないので、特例国債法という時限を限った法律[6]を国会で成立させ、公共事業以外の支払いにあてるための国債を発行している。これを特例国債という。
要するに、財政法第4条は骨抜きにされているのである。
財政法第4条を骨抜きにする国会議員たちにも言い分があり、「財政法の上位にあたる憲法第83条や第85条では『どれだけ国債を発行するかは国会が自由に決めてよい』と解釈できる条文になっている」というものである。
日本国憲法第83条と第85条は、次のようになっている。
日本国憲法第83条
国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
日本国憲法第85条国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
これらの条文から導かれるのは財政民主主義というものである。国民の代表者である国会には、国の財政を決める権限が与えられている。「国会が公共事業以外の支払いにあてるための国債を発行することを決議したら、その意向が通るのは当然だ」という解釈が成り立ち、財政法第4条もあっさりと無視される。
ちなみに日本国憲法にはこういう条文もある。
財政法第4条というのは法律なのだが、日本国憲法にはとても勝てない。第41条と第83条と第85条の3つに逆らうことは不可能である。こうして、財政法第4条は毎年のように完全無視されている。
平和主義者が財政法第4条を制定した
財政法が制定されたのは1947年(昭和22年)である。この法律の制定に関わったのが、平井平治という人物である。当時、大蔵省に勤めていて主計局法規課長の地位にあった。
この人は反戦平和の思想を胸に秘めていた人で、「戦争遂行には国債の発行が不可欠である。ならば、国債を発行不可能にしてしまえば、戦争をすることができなくなる」という発想のもとに、財政法第4条を立案したという。そのことは1947年出版の『財政法逐条解説』という本に記されている。
日本の左派政党というと、反戦平和をとても熱心に主張する。その左派政党の1つである日本社会党は、1965年に初めて特例国債法が可決成立したときに「特例国債は戦争につながる」と猛反対していた。また、現在の日本共産党も特例国債法を常に批判する。
反戦平和と緊縮財政はとても相性がいい、と言える。
※この項の資料・・・佐藤健志『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路』40~50ページ、しんぶん赤旗2008年4月24日版
日本国憲法と財政政策
日本国憲法は、どのような財政政策を志向しているのか、本項目で確認しておきたい。
ちなみに日本国憲法というのは、公務員全員に対して義務を課す法規であり、その影響力の大きさは財政法をはるかに上回る。
国務大臣は行政府の人事権を握る人のことで、国会議員は立法府の構成員で、裁判官は司法府の構成員である。つまり、行政・立法・司法の三権に関わる公務員は、全員、憲法を尊重し擁護せねばならない。
前文で「政府は国民に福利をもたらすべし」と書く
日本国憲法の前文というのは、各条文の前にある文章で、同憲法の趣旨について記している。
そこには、「政府は国民に福利をもたらすべし」という文章が明確に記されている。
日本国憲法前文
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
国民が国政の福利を享受する、と書いてある。これはもちろん、政府に対して「国民に福利をもたらすような財政政策をせよ」と命じていることになる。
ちなみに、「政府は国民に福利をもたらすべし」という文章は、インフレが激しいときに緊縮財政を導入するときの根拠になり得る。年間インフレ率が10%以上になるギャロッピング・インフレのときは、インフレで損をする国民の方がインフレで得をする国民よりもずっと多くなるので、緊縮財政をしてインフレを押さえ込むことで、より多くの国民に福利をもたらすことになる。
ゆえに「政府は国民に福利をもたらすべし」という文章は、「いついかなる場合でも積極財政をせよ」と政府に命じているわけではない。「インフレ率に応じて積極財政と緊縮財政を使い分けなさい」と政府に命じていると解釈することができるだろう。
憲法第25条第2項で積極財政を努力目標にする
積極財政を政府に対して要求してくる法規というと、憲法第25条第2項である。
日本国憲法第25条第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
いかにもといった積極財政寄りの条文である。このため積極財政の支持者にとって、日本国憲法第25条第2項は心のよりどころである。
ただ、日本国憲法第25条を根拠にして裁判所が「立法不作為の違憲確認判決」を出すことは、裁判所が国会に「○○の法律を制定せよ」と迫ることになり、国会の立法権を侵害しかねない。裁判所の権力が強くなりすぎて三権分立をおびやかす危険性がある。
日本国憲法第25条を根拠にして裁判所が「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用をしている」という判決を出すことは、裁判所が政府や国会に「△△の件について予算を増額せよ」と迫ることになり、政府の予算編成権と国会の予算議決権を侵害しかねず、財政民主主義を否定しかねない。やはり裁判所の権力が強くなりすぎて三権分立をおびやかす危険性がある。
このため、日本国憲法第25条を根拠に裁判所が判決を下して政府や国会に変革を迫ることは、まったく発生しないわけではないが、軽々しく行われるわけでもない。現実的には発生しにくい。
日本国憲法第25条というのは、積極財政を主張する国民・国会議員にとって心の励ましになるという程度で、それを根拠に裁判所が力強く動き回るわけではない。
債務超過を禁止する条文が存在しない
日本国憲法には、「政府の貸借対照表(バランスシート)が債務超過になることは許されない」という考えを示す文章が出てこない。前文にも出てこないし、そういう内容の条文も存在しない。
何故そうなのかというと、「国家の存亡を左右するような重大事態が発生したら、政府は、債務を大量に発行してでも対応すべきである」という思想があるからだと思われる。
国家の存亡を左右するような重大事態というのは、要するに、他国軍隊の侵略とか、反政府武装勢力との内戦のことである。そういう事態に追いこまれたとき「債務超過になってはいけないから国債を発行せずに済ませよう」などと寝ぼけたことを言っていると、あっという間に首都を占領され、国家が滅亡してしまう。
アメリカ合衆国の歴史を振り返っても、南北戦争という内戦で国債を大量発行したし、対外戦争でも国債を大量発行した。国家の危機を乗り切るためには国債発行が必須である。
国債を大量発行して政府支出を増やして国家の主権を維持する、という選択肢を政府に与えるため、日本国憲法には「政府の債務超過を許さない」という条文が入っていない。
土下座外交と緊縮財政の共通点
1990年代の日本国政府は、土下座外交と呼ばれる外交政策を継続的に行っていた。
そうした土下座外交と、日本における緊縮財政というのは、色々と共通点があるので、この項目で解説したい。
国民主権を優先せず、外国人の信認を得ようとする
憲法第99条により、日本のすべての公務員には日本国憲法を尊重し擁護する義務が課せられている。その日本国憲法には国民主権が謳われており、立法・内閣総理大臣の指名・予算・徴税・国債発行といった重要事項が「国民から選ばれた国会議員で構成される国会」によって議決されねばならないと規定されており、「国民の信認を得るための政治をするべきである」と規定している。
日本国憲法には「外国人の信認を得るための政治はやめなさい」と書いてあるわけではないが、「外国人の信認を得るための政治をするべきである」とも書いていない。
政治資金規正法の第22条の5では外国人からの政治献金を禁止している。前原誠司大臣はこれに引っかかって、2011年3月6日に外務大臣という職を辞任する羽目になった。この規定があるため、日本の政治家は外国人の信認を得ることから解放されるようになった。
土下座外交は、外国政府の顔色をうかがい、外国人に信認されることを目指す政策だった。
日本の緊縮財政は、「市場の信認を得るために財政再建します」と宣言することが常である。安倍晋三総理は「市場の信認を得るために財政再建をする」と国会で答弁している(議事録四七ページ)。麻生太郎副総理に至っては「格付け会社の評価を得ることが大事である」と答弁しているほどである(議事録四ページ
)。
市場というのは大勢の外国人が入りこんでいる場所である。また、格付け会社の大手というと米国の民間企業であるので、格付け会社の評価を得るための政治というのは外国人に信認されることを目指す政治ということになる。
罪悪感を刺激する
とにかく罪悪感を刺激する、というのも共通点の1つである。反対する人の罪悪感を刺激し、反対する人を「自分は迷惑を掛けている。申し訳ない」という弱気な気分にさせ、そうして自分たちの主張をゴリ押しするという技法を体得している。
土下座外交の思想的背景は自虐史観であり、「日本は戦争で罪を犯し、周辺国に迷惑を掛けた悪者だ」ということを、殊更(ことさら)に強調するものだった。そして、土下座外交に反対する人に対して「戦争の罪深さを理解できないことは、罪深いことだ」などと言い、またしても罪悪感を刺激するのである。
日本の緊縮財政というものの思想的背景は、国債悪玉論である。「国債発行は、将来の子孫に負担を押しつけ、迷惑を掛ける、とても罪深くて悪い行いだ」という言い回しで、国債発行を罪悪視し、国債発行を主張するものを犯罪者扱いするのが特徴である。
土下座外交の他にも罪悪感を利用した例があり、その中で有名なのは二・二六事件における軍部である。反乱将兵に向けて「下士官兵ニ告グ」から始まるビラを撒いて投降を促したのだが、そのとき「オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ」という一文を書き、「君の行動で君の身内に迷惑がかかる」と告げて、反乱将兵の罪悪感を刺激した。
21世紀の日本における財政再建支持者も「国債を発行すればお前たちの子々孫々は借金持ちとなるので皆泣くことになるぞ」と告げることを得意中の得意としており、二・二六事件の軍部と言葉遣いからしてよく似ている。
余談ながら、道徳・倫理の点で責め立て、「あなたは罪を犯した悪い人だ」と糾弾し、「自分は迷惑を掛けた、申し訳ない」という自責の念を持たせ、罪悪感で金縛りにする、というのは、人を支配する上でとても有効な技法である。
人というのは、やはり良心的な存在であり、道徳や倫理をかなり気にする種類の生命体である。「お前は悪いことをした犯罪者だ」と直言されると、誰しも顔色を失い、弱気になり、ひどい場合は脚が震えて涙を流すことになる。人はそれだけ道徳を気にする生物である。もちろん、ごく少数の例外がいて、そういう例外はサイコパスと呼ばれるのだが、やはり道徳を気にする良心的な人の方が圧倒的に多い。
だから、人のそういう性質を利用しようとする者も現れる。信者に対して「君は悪いことをした」と吹き込む新興宗教がしばしば見受けられるが、信者の罪悪感を刺激して弱気にさせ、支配しやすいようにしているわけである。
まとめ
そういうわけで、土下座外交と緊縮財政は、なかなかよく似ている。
ゆえに、緊縮財政のことを土下座財政とか自虐財政と呼ぶのも一興であるといえよう。
財政政策における情報戦
財政政策というのは、緊縮財政を主張する租税主義者と、積極財政を主張する国債主義者が、激しく対立する分野である。
両者はあまりにも激しく対立しており、その抗争の模様は情報戦といってよいレベルに達している。お互いが、情報戦で優位に立つべく、高度で巧みな技術を駆使し、知恵をひねり出している。
高度で巧みな技術を用いた情報戦というが、要するに、蔑称を与え合っているのである。いわば、悪口合戦であり、レッテル張り合戦である。相手を悪いイメージの付いた名で呼んで、相手のイメージを悪化させ、イメージの世界で勝利しようと頑張っている。
租税主義者たちが国債主義者に与える蔑称は、以下のようなものである。
これに対し、国債主義者も負けずに反撃し、租税主義者を次のような表現で呼ぶ。
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その他
関連項目
脚注
- *「租税及び印紙収入(租税収入)」は政府の徴税で得られる収入である。所得税や消費税の税収や、収入印紙を売却して得られた収入が含まれる。収入印紙を書類に貼り付けると「印紙税を支払った」と税務署に認められる。
- *「その他収入(税外収入)」は政府の営利事業で得られる収入や、交通違反の罰金などの収入が含まれる。日本中央競馬会(JRA)や日本銀行からの納付金がここに入る。
- *医療器具の加工は非常に難しい。切削しにくい難切削材の素材であることが多く、切削しにくい複雑な形状であることが多く、切削しにくい微小な形状であることが多いためである。医療器具を上手く加工するには、切削工具、切削油、工作機械、CADソフト、CAMソフトといったすべての要素を改良する必要がある。切削工具のメーカーや工作機械のメーカーが自社の商品を売り込むときの定番文句の1つは「我が社の商品は医療器具の加工に使われております」である(記事1
、記事2
、記事3
)。
- *不確実性に備えて通貨を貯蓄することを予備的貯蓄という。「不確実性が強まるほど人は通貨を予備的貯蓄したがるようになり、消費を避けるようになる」と指摘したのはジョン・メイナード・ケインズである。
- *2002年にアメリカ合衆国の民間格付け会社が「デフォルトの危険性あり」として日本国債の格付けを引き下げた。それに対し、日本の財務省の黒田東彦財務官(2021年現在、日銀総裁の座にある人物)が質問書を送っている。その中には「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか」という文章が入っている(資料
)
- *特例国債法は1965年度(昭和40年度)の初制定から2011年度(平成23年度)の制定まで1年かぎりの時限立法とするのが恒例だった。しかし2012年度(平成23年度)からは複数年限りの時限立法で制定されるようになった。
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