貴闘力(1967年9月28日-)とは、元大相撲力士・プロレスラーである。現役力士時代は藤島部屋→二子山部屋に所属していた。本名は鎌苅忠茂。最高位は関脇。相撲の得意技は突き、押し、張り手、いなし、引き、叩き。
概要
小学生の頃から力士を志していたが、中学校では2年生から柔道をしていた。柔道部の一年先輩に佐々木健介がいる。中学校卒業後の1983年3月場所に初土俵。
1989年3月場所後十両昇進、新入幕の1990年9月場所に11勝4敗で敢闘賞を獲得。
新小結で迎えた1991年5月場所、3日目に横綱在位59年の千代の富士をとったりで破り引導を渡した。9勝6敗で敢闘賞を受賞し翌7月場所新関脇に昇進。
1994年3月場所に前頭12枚目で12勝3敗の好成績を収め、横綱曙や大関貴ノ浪との優勝決定巴線に進出。しかし弟弟子貴ノ浪の立ち合い変化に沈み、貴ノ浪が曙に敗れたために回ってきた曙戦も敗れる。賜杯はあまりにも遠すぎた。
1996年7月場所から三役で連続二桁勝利を挙げ、大関昇進のチャンスを迎えるが11月場所に尿管結石で入院した影響もあり、負け越して失敗に終わる。
32歳で迎えた2000年3月場所は幕尻となる前頭14枚目まで下がってしまい、十両陥落濃厚との見方も出ていた。ところが場所が始まると12連勝で単独トップ、13日目から横綱曙・武蔵丸に連敗したが、千秋楽関脇雅山に逆転勝ちして13勝2敗で史上初の幕尻優勝、当時最長の初土俵から102場所目での幕内初優勝を果たした。
2001年以降は十両に甘んじる場所が増えた。2002年9月場所、12日目ベテラン寺尾に敗れ幕下陥落が決定的となったため現役を引退。年寄・大嶽を襲名し、舅の大鵬が師匠を務める大鵬部屋の部屋付き親方となった。2004年1月に部屋を継承し名称が大嶽部屋に変わっている。
しかし2010年6月に野球賭博問題への関与が報じられ、7月に大関琴光喜とともに解雇処分となった。直後に大鵬の三女と離婚、大嶽部屋は元十両大竜の二子山親方が名跡を変更して継承した。
エピソード
- 仕切りでは制限時間前の立ち合いや睨み合いを度々見せた。また取組が張り手や突っ張りの応酬になることもよくあった。
- 敢闘賞は史上最多の10回受賞している(三賞全体では14回)。しかし前頭筆頭で11勝した1997年1月場所は賞をもらえず「このくらい勝って当たり前の力士と判断されたのだから光栄です」と発言したが、実際は前に出て勝った相撲が少ないのが理由であった。
- 曙に強く本場所の本割で通算15勝(28敗)、金星を7個挙げた。同一相手からの金星獲得個数では、輪島からの高見山と並ぶ最多記録。
- 柔道経験者らしく、「二丁投げ」の決まり手で3回勝っている。
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関連項目
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