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赤星憲広(あかほし のりひろ、1976年4月10日-)とは、愛知県出身の元プロ野球選手(外野手)である。現在は野球評論家。
概要
OB | |
---|---|
赤星憲広 | |
基本情報 | |
出身地 | 愛知県刈谷市 |
生年月日 | 1976年4月10日 |
身長 体重 |
170cm 66kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 2000年ドラフト4位 |
引退 | 2009年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
第65回と第66回の選抜高等学校野球大会(春の選抜高校野球)に出場し、大府高校で1番打者として出場した。
しかし、どちらもタイムリーエラーなどで初戦敗退に終わっている。なお、66回大会の相手は横浜高校で、斉藤宜之、進藤達哉、多村仁など後にプロ野球選手となる選手揃いのスター軍団であった。
その後、亜細亜大学に進学し、JR東日本に入社。2000年のシドニーオリンピックで代表となり、代走で起用された。五輪後にドラフトで阪神タイガースに入団する。
プロ入り後
2001年から自慢の俊足を生かし、新人時代から5年連続盗塁王になり、2003年から2005年までは3年連続で60盗塁を決めた。
2003年には恐怖の2番打者としてリーグ優勝に大きく貢献しているが、星野元監督の著書によれば、今岡が1番で調子が良かった事、俊足を生かしてダブルプレーになりにくい事、昨シーズンでレガースを使わなかった事により自打球で骨折、さらに年棒で揉めた事により完全に増長していると判断し、それを抑える為に置いた事を明かしている。
その盗塁数に合わせて、足の不自由な人に車椅子を寄付する慈善活動を行っており、2008年までに300台前後を寄付している。
その足の速さと自分の名字から「赤い彗星」と言う名の異名を付けられた。もちろん、元ネタはシャア・アズナブル。
旧応援歌の一つに「走れ、赤い彗星」という一節が用いられた。
応援では赤い星(★)を持って応援する人もおり、ファンは名前にひっかけた独特の応援スタイルを持つ。
2008年の5月24日の福岡ソフトバンクホークス戦後のヒーローインタビューで、ヤジに向かって「入ってねえんだよこの野郎」とキレるシーンが話題となる。以降、この発言は繰り返しネタにされている。
長らく頸椎のヘルニアなど首の故障に悩まされてきたが、2009年9月12日の対横浜ベイスターズ戦において内川聖一の放った打球に対し、ダイビングキャッチを試みた際に再び頸部を痛め退場となる。これが選手として最後の雄姿となった。(解説者である福本豊は度々赤星のダイビングキャッチについて「即刻辞めるべきだ、あんな体の小さな選手が飛び込んで、ダメージがないわけがない」等と苦言を呈していたが、結局それが的中してしまう恰好になった)
赤星自身は復帰を目指しリハビリに励み、11月2日のブログでは順調に回復していると記していたものの、
検査を重ねるごとに本人の思っていた以上状態は悪く、「中心性脊髄損傷」であることが判明。
顔を上に向けられない状態にまで悪化し、命に関わる状態であったことから同年12月9日、現役引退を発表した。
同日に車いすの贈呈式を行ったが「これから100台、200台と贈り続けたかった。甲子園のセンターの芝生に立つのもこれが最後と思うと、寂しい」と現役生活に対する未練を窺わせた。
引退後
2010年の元旦にスポーツニッポン新聞社の野球評論家となることが発表された。2011年からは日本テレビのGoingに隔週のコメンテーターとして出演している。
2014年、「劇場版名探偵コナン異次元の狙撃手」に刑事役として出演した。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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阪神 | 応援歌のピコカキコ一覧#282 | 9157 |
通算成績
通算:9年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1127 | 4964 | 4330 | 698 | 1276 | 3 | 215 | 381 | 126 | 18 | 426 | 62 | 664 | 38 | .295 | .365 |
タイトル
- 盗塁王:5回
表彰
記録
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関連項目
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