概要
天保12年(1841年)11月1日、幕臣・吉沢雄之進の次男として江戸で生まれる。諱は則良。通称大三郎。
父方の祖父赤松良範の養子になり赤松性を名乗る。江川太郎左衛門から砲術や兵学を、坪井信良から蘭学を学ぶ。
安政4年(1857年)4月、番所調所句読教授出方役に就任。その後長崎に赴き、長崎海軍伝習所で測量術、航海術などを学ぶ。
安政7年(1860年)、測量方兼運用方として咸臨丸に乗り渡航。
慶応4年(1868年)5月に帰国。箱館戦争に旧幕軍として参加しようとしたが未遂に終わり、駿府へ移住。静岡在住時には沼津兵学校の教授を勤めた。
明治3年(1870年)、政府の命に応じ出仕。その後は横須賀造船所長、海軍造船会議議長、海軍中将、貴族院議員などを歴任した。
関連項目
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