「趙範」(チョウ・ハン ? ~ ?)とは、桂陽太守を務めた三国時代の荊州四英傑の一人である。
※三国志演義では、同じ「趙」姓の公式チートキャラ「趙雲」と同じ常山出身となっている。\あざとい/
正史では
曹操が赤壁の戦いで大敗した後に、劉備が荊州南部へ進撃を開始した際に桂陽太守として登場する。
金旋・劉度・韓玄ら他の荊州四英傑同様に劉備への降伏と帰順を申し入れて、趙雲が桂陽太守の座に新たについた。
そこで趙範は、亡き兄の嫁「樊氏」を趙雲に嫁がせようと画策したところ、樊氏の美貌をもってしても
お互い同姓なのだから、卿の兄は我の兄でもある
と言う趙雲をおとすことができなかった。
趙範は追い詰められて降服したのであって本心は測り知れない。
天下に女は少なくないのだから。
と言って娶らず、趙雲の見立て通り、趙範は後に劉備の元を出奔した。
演義では
荊州四英傑の一人で桂陽太守として陳応と鮑隆を従えて登場する。
曹操が赤壁の戦いに大敗した後に、劉備軍の趙雲が桂陽に攻め込んでくると大言壮語を吐いた陳応に三千の兵を与えて迎撃させたものの、陳応は趙雲に子供扱いされて捕らえられた為、趙範は降伏する道を選んだ。
趙雲に対して桂陽を開城した趙範は、同じ常山出身(演義のみの設定)で同じ「趙」姓ということで誼を結ぼうと宴席を催した際に、傾城の美貌の持ち主であった亡き兄の嫁「樊氏」を趙雲の妻にと勧めた。
しかしこの行為は
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⌒ ) _) |
兄嫁を宴席にはべらすのさえ言語道断
そればかりかその兄嫁を男にすすめるなど畜生に等しい
と言って趙雲は帰ってしまった。
好意で勧めた話なのにボコボコにされて面子を潰された趙範は、陳応と鮑隆による趙雲暗殺の策を採用し、二人を趙雲の陣に送り込んだのだが、趙雲の機転で二人が酔い潰され、同行した兵士達が策の内容を暴露すると、陳応と鮑隆は酩酊状態のまま殺され、趙範が防備を固めた桂陽城は趙雲の手によりあっさり陥落した。
劉備の前で趙範は、なぜ趙雲にボコボコにされねばならなかったのかが未だに解らず、どうしてこうなったと愚痴をこぼしたところ、劉備が気を利かせて自分が仲人になるから樊氏を嫁にもらったらどうかと趙雲にもちかけたが趙雲は、力に屈した者から嫁をとるのは力ずくで奪い取ったと思われる事やそこから民の感情を逆なでする可能性がある事を指摘し、
妻はなくとも武士の勤めは行えます
拙者は武士として名分の立たぬことのほうを恐れます
と言って縁談を断った。
その後、趙範は登場しない。珍しく正史のほうが演義よりひどい。
※その他「趙範」の詳細についてはWikipedaの該当記事参照の事
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関連データ
| 能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
| 三國志 | 53 | 36 | 53 | 67 | 66 | ||||
| 三國志II | 50 | 45 | 43 | ||||||
| 三國志III | 52 | 54 | 58 | 40 | 49 | 19 | |||
| 三國志IV | 48 | 50 | 53 | 58 | 41 | ||||
| 三國志V | 38 | 63 | 58 | 45 | |||||
| 三國志VI | 58 | 40 | 63 | 61 | 51 | ||||
| 三國志VII | 43 | 36 | 58 | 56 | |||||
| 三國志VIII | 46 | 36 | 59 | 56 | |||||
| 三國志IX | 18 | 20 | 35 | 61 | |||||
| 三國志X | 21 | 18 | 33 | 60 | 56 | ||||
| 三國志11 | 28 | 21 | 32 | 58 | 56 |
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関連項目
荊州四英傑家臣 |
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